2015年12月30日水曜日

話題

2015年、12月も終わりに近くなると、今年のニュース振り返り、というのが目につくようになる。美術、デザインの現場に近いところにいると、どうしても新国立競技場と五輪のエンブレム、という話題になった。
同居人は先の東京オリンピック時は小学生。学校総動員で甲州街道に並び聖火ランナーに旗を振り、競技を見に行き旗を振り、終了したら「東京オリンピック」記録映画を講堂で鑑賞したクチである。映画という場所に近いところにいると、「東京オリンピック」という記録映画もよく話題になるのだが、それは置いておく。
当時は10月に開催、だから10月10日は体育の日になった。これも最近はハッピーマンデーになったので、何のための祝日だったのかわかりにくくなった。それも置いておく。
そもそも夏季オリンピックを東京でやるか、などと家人とは話す。二六時中自宅ではエアコンが回り、熱中症注意報で「外出注意、屋外での激しい運動は避けましょう」という時期に、スポーツするのか、と考える。スポーツどころか、屋外の観戦すら、やりたくないところである。まあ、それも置いておく。
開催が決まったとたん、予定していた自宅の補修が延期になった。どうやらオリンピック建設ラッシュを見込んで、建材が急に不足し、人材が不足し、どんどん工事が押していく、という状況になったらしい。結局、春休みにやろうとしていた自宅工事が夏休みにずれ込んだ。まあ、時期はずれたが結局工事はできたので、それも置いておく。

置いておいたことはまた後で考えるとして、オリンピックってこういった不自由をかこつことだったのか、いう気がしてきた。もっとほかにすることがあるのではないか、という気がする2015年の暮れである。 

2015年12月29日火曜日

さて、同居人の履歴書を作っている理由である。
同居人は、カウンセリングを学んだので、資格がとれた。いわゆる「カウンセラー」な資格である。多様な人生経験と資格を生かすべく、第2、どころではなく、職歴の行数から言えば第8とか第9くらいの、さらなる人生を目指そう、というわけである。売り込みに履歴書は必須である。

さてさて、昨今の「学校問題」対策に、スクールカウンセリングを導入、と文科省が旗を振っている。学校教員が増員どころか削減されようとする今日この頃、各校にあまねくカウンセラーを配置、というわけにはいかない。考えられるのは、教育委員会が一括採用して、カウンセラーを派遣する、というスタイルだ。しかも、正規雇用ではなく、非常勤で、年間契約であったりする。
こういう「お役所」なところが人事採用するときには、資格や免許が必要になる。カウンセラー業界で一番ポピュラーなのは「臨床心理士」という資格である。勤務校も相談室には「臨床心理士がいます」というのが売りである。
同居人が持っている資格は「学校心理士」。学校現場に近寄った作業をするための資格である。比較的新しい資格で保有者もまだ少ない。…のだが、資格維持のための研修などけっこうハードルがきつい。臨床心理士は、学校関係専門というわけではないが、ポピュラーではある。カウンセラー=臨床心理士、という認識の壁が、意外に分厚いものだったりする。

まあそんなわけで、お仕事応募のための履歴書作成、に相成る。ただし、ポピュラーではない資格でもあり、当たってみては砕けている。どうもこういう業界はいろいろとややこしい。カウンセラー募集、とうたっていても、実際に応募してみると、どちらかといえば社会福祉士、つまりソーシャルワーカーとしての仕事が要求されていたりするらしい。仕事の細分化や分業化が進んでいる業界のようである。

そもそも資格自体もまたいろいろと変わるようだ。現場よりも制度が先、ということなのかもしれない。 

2015年12月28日月曜日

ご相談

同居人は10年ほど前になるが、社会人で大学院へ行った。専攻はカウンセリングである。

カウンセリング、といえば、アメリカの映画を見ているとやけに「カウンセリング」な場面が多い。映画では、「カウンセラー」が話を聞く、というスタイルである。どちらかと言えば医療行為に近いものが多い。日本ではあまりなじみがないが、アメリカではポピュラーなのかもしれない。

ここ10年ほどになるが、大学でも保健室の横に「学生相談室」というのができた。開設されたときの回覧では、学生生活の悩みをいろいろと聞きます、といった趣旨だった。よろず相談窓口、という感じである。週に数回カウンセラーが来て、あとは専任の先生が何名か「担当教員」として名前が並んでいた。
カウンセラーはわかるが、専任の先生にお悩みを聞いてもらうのはいかがなものかと思った。担当として並んでいるT先生に、「授業が難しくてついていけなくて悩んでいます」などと言おうものなら、笑い飛ばされて「努力が足りない」と檄を飛ばされそうである。かえって落ち込みそうだ。 

2015年12月26日土曜日

行数

必要があって同居人の履歴書をまとめることが何度かある。同居人はあちこちと転職をしている。正規雇用だけではなく、非常勤など含めると両手の指では足りない。文房具屋さんで売っているような規定の履歴書では職歴欄の行数が足りない。人生波瀾万丈な状態である。保有資格欄も行数が足りない。免状好きである。

日本社会というのは、学校を出てからブランクなし、新卒で終身雇用が前提のようなところがある。翻って考えれば、実家の父親など、学歴欄は高校大学で2行、職歴一つ、保有免許も普通車運転免許くらいのものである。あっさりシンプルな仕上がりである。

同居人の方は規定の履歴書用紙では無理な行数なので、結局パソコンで自作になる。
できあがった履歴書を人事採用する側から見ると、こういった「職歴が多い」のを、「汚い」というのだそうである。ステップアップで転職したのか、素行不良で退職せざるを得なかったのか、履歴書だけではわからない。無難な人事採用者は、こういうのを最初に「はねる」そうだ。

だから学生の就職活動は終身雇用目指して必死なのである。学歴欄や職歴欄の行数が多い「多様な人生経験」は、日本社会では必要ないのかもしれない。

2015年12月25日金曜日

選択

そんなわけで、同じ学年の実技授業の担当者はすべからく、学生を落とさないように気を遣うことになる。遅刻するな、欠席するな、提出物は耳をそろえて出せ、などという、とうてい大学とは思えないような警告を常時発することになる。

寝坊して遅刻ばかりで授業に出ない、というのは本人の責任である。それで単位が取れない、というのが人生としての「授業」ではないかと思う。
授業が面白くないから出ない、という選択もあってしかるべきだろうと思う。意図的に単位を落とす、という作戦もありだろう。
逆に現在の勤務校では、そういう選択があまりできないようだ。落とした後のフォローを、学校側が対応しきれない、ということである。実技中心の大学なので、学年ごとのカリキュラムがかなりタイトに組まれている。スケジューリングには使用する教室や工房、機材、担当講師やインストラクターなどさまざまな要因がある。さまざまな意味で「余裕はない」のだろう。入学した学生を、大学のスタッフがよってたかって尻をたたいて、単位を取得させ、卒業させているようだ。

人生半ばになってから、こういった大学生活が裏目に出ないといいけど、と思う師走である。

2015年12月24日木曜日

対策

大学の教務課の方からは、なるべく落第を出さないように、という無言のプレッシャーが漂ってくる。だからこそ、保留ちゃんを出さないように、授業中にもしつこく確認する。

大学では単位が取れないのは、たいてい本人による当然の報いである。大学時代に痛い思いをしておかなければどうする、という気もする。人に尻をたたかれて提出するのではなく、単位を落としてからどう「落とし前をつけるか」は自分で考えるべきだ。我々の時代であれば、先生に交渉して独自に落とし前をつける、というのはよくある話だった。追加課題は別として、授業のお手伝い、事務所で雑用係1ヶ月というのも聞いたことがある。
だから「勤務先で集金した現金を電車に忘れたので100万円都合してくれ」などという「オレオレ詐欺」が横行するのである。電車に忘れたのなら親に泣きつく前に自分で対策を考える、くらいのことは、大学時代に痛い思いをしたのであれば気づきそうなものである。自分の息子にそれができない、と親の方がわかっているから現金を用意してしまうのである。悪循環だなあと思う。

教務課からのプレッシャーは、ある意味では経営的なものなのかもしれない。落第が多くなれば、入学志願者が減るからだ。しかし一方で、単位乱発な大学は信用されないとも思う。これも悪循環である。 

2015年12月23日水曜日

保留

さて、くだんの「保留」ちゃんである。

ことほどさように、授業を落としてしまうと、最終的には卒業に響く。もちろん、卒業など関係ない、という強者もいる。しかしたいていの場合は、卒業して就職、というのが目の前にぶら下がっている「ニンジン」である。落としてから気づいても遅すぎるので、授業時にもしつこく出席日数や提出物の確認をする。

それでも落としてしまった学生がいる場合、前述のように、大学の規定通り「再履修」という状態にはならない。だから、別メニューや別課題、自宅作業などエキストラで考えてやらなくてはならない。実技が伴うので、「参考図書を読んでレポート書いて」などというわけにはいかない。だから、落ちてしまう学生がいると、こっちの方が面倒、という実情もある。
だから、研究室のスタッフに手を変え品を変え、保留中の学生のフォローをお願いする。提出物が不足なら追加提出、出席日数が不足なら追加課題を出して、とにかく年度内に単位を出す、という作戦になる。

今年の「保留」ちゃんにも、目下研究室のスタッフが強力にフォロー中である。 

2015年12月22日火曜日

再履修

さて、くだんの「保留」ちゃんである。

たいてい毎年数名は、なにがしかの「採点要項」が不足する。ノートの提出がなかったり、作品が提出条件を満たしていなかったりする。シラバスにうたっている以上、課題違反や未提出は認められない。冷静に考えると、採点基準に満たないので、「対象外」、つまり点数が入らない。
冷静に落としてしまうと、学生は単位が取れない。そうなると「再履修」ということになる。これは敗者復活戦のようなもので、同じ授業にもう一度チャレンジ、という制度である。ところが勤務校の場合、実技授業でこれはけっこう面倒である。

勤務校では、1,3年の実技授業が午前中、2,4年の実技授業が午後に設定されている。1年生の実技授業を落としたら、再履修するのは3年生の期間になる。ところが3年生の実技授業のスケジュールは1年生の実技授業のスケジュールと同じようには組まれていない。たとえば私の授業は10月の3週間月曜日から土曜日の毎日午前中である。ところが3年生の実技授業で後期に週3日の必須授業が組まれていたりする。当然のように、再履修すべき授業には週3日しか出席できない。出席日数が2/3で課題提出の条件なので、半分なら当然のように課題提出の権利をとることができない。明らかに「対象外」である。4年では授業には参加できないので、一生単位は取得できない。私の授業は選択必修授業なので、この単位がなければ卒業の要件を満たせず、卒業できない、という仕組みである。

勤務校の実技授業は、なぜか基本的に「落とす」ことを前提にしていない。なぜなのか、謎である。 

2015年12月21日月曜日

師走

先生が走る、という年末である。
私の場合は、実家の父が銀行勤めで貸付担当が長く、家訓は「お年玉は即貯金、常日頃から借金なし」である。「いつもにこにこ現金払い」な習性に育てられたので、いわゆる「師走」の語源とは縁がない。

さて、12月になって年度内の残務整理、総勢150名ほどの採点もほぼ終了である。ほぼ、というのは、採点保留にしている学生が毎年数名出現するからである。今年度は1名が「保留中」である。
シラバスと授業開始時のプリントには、必ず採点や評価の基準を明文化することになっている。私の授業の場合は、授業の成果物としての作品、制作経過プロセスを記述したノート、プロジェクトを終了した後の反省を踏まえて今後同様の作業をする場合の改善案の提示、それに出席と授業時の態度くらいがワンセットである。実技授業なので、ペーパーテストはない。だから、授業を進めながら、各自の目標をそれとなく探って、それに対する到達度を考えながら、「総合評価」することになる。やればできるはずなのに、自分に対して甘すぎ、妥協点が低すぎる、などというケースはよろしくないので、辛い点数になる。一方で、スキルはないが努力型、あるいは最初に設定したゴールが身の程知らずの高いもので当たって見事に砕け散るようなケースは、私的には評価を高くしている。見栄がよかったり、かっこのよかったりする成果物としての作品であっても、それだけを評価しているのが授業ではない、ということにしている。

出席不足で授業態度はよろしくないし、他人とも協調性はないが、作品だけはオッケーなケースも、時々ある。ほかの授業では、結果オーライ、ということもあるが、私の授業ではNGである。だからけっこうそれなりに、採点はいろいろと考察する点が多く大変なのである。 

2015年11月25日水曜日

ずいぶんと以前のことである。

定年を70歳で迎えた一般教育の先生がいた。一般教育科目なので、勤務校の卒業生ではない。一般講義、なので、「教え子」はいない。実技の先生ではないので、展覧会もなく、最終講義もこじんまりと行われた。
あまり家庭的には恵まれない先生だったが、退任の10年ほど前、最縁して学校の近くに転居していた。退任してもご近所ですね、などとパーティーでは言っていた。

退任後まもなく、風の便りに離婚されたことを聞いた。70過ぎの離婚が、どういう理由なのかはわからない。近くのアパートに一人暮らしを始めたらしかった。
それから数年後、風の便りにアパートを引き払ったことを聞いた。郊外の老人ホームに入ったそうだ。家族もなく、教え子もいない、誰とも会わない日々であるという手紙が、誰かのところに届いたらしい。

そういえば退任の数年前は、講義の後もずいぶんと長い間研究室に灯りがともっていたことを思い出す。「研究」しているのではなく、どうも家に帰りづらいらしい、というのが噂になっていた。

人生、いろいろである。 

2015年11月24日火曜日

頭数

勤務校の専任教授の定年は70歳。
一般的なサラリーマンと比べると、ずいぶんと爺さんになるまで働かせるものである。

勤務校は美術の実技系である。専任教授は実技の先生ばかりではなく、英語や体育、一般教育などの基礎教育課程の講義や実技の先生もいる。実技の先生達も、自分の「研究室」と「教え子」がいる人と、基礎的な授業を受け持っており「教え子」のいない人もいる。
「教え子」がいる、つまり、ゼミだったりして親密な関係にある卒業生がいる先生だと、退任にあたるイベントというのは盛大である。着任当時から現在までの卒業生にあまねく案内を出すこと1500人以上、などというのもある。
一方で、「教え子」がいない、あるいは講義科目だけの先生だと、最終講義やパーティーは学内関係者で埋まったりする。助手として勤務していた頃は、教わったことのない先生だったが、人が少ないから出てくれと言われたこともあった。

教える側も送られる側、いろいろである。 

2015年11月23日月曜日

一列

同居人が受講したある「最終講義」のことだ。

一般の女子大学なので、大講堂での最終講義である。卒業生も担当ゼミの学生も女子ばかりなのに、片隅にそこそこの年齢のおじさま達がかたまって陣取っている。
卒業生や学生の父兄、までが来ることはあまりない。女子大学の先生や職員なら顔を知っている。どうも内部人材ではないようである。どういう人達かと思いながら、講義を聞いていた。

時間通り講義が終わると、おじさま達はおもむろに壇上に上がる。そろいのスーツに蝶ネクタイである。講師の先生をまんなかにして横一列に並ぶと、いきなり歌い出した。先生も歌い出した。

大学時代はグリークラブでならしたそうで、その頃のクラブ仲間がやってきての「余興」だったようだ。講義はまあ「普通」だったが、「余興」は大受けだったそうだ。 

2015年11月22日日曜日

オーバー

最終講義は、先生によってお題目がいろいろである。
専門分野の概論であったり、いつもの講義の続きであったり、全く関係ない話であったりすることもある。

いつも講義が長引く先生がいた。話に熱中してしまい、授業終了のチャイムが聞こえない、というタイプである。最終講義も案の定、話が長くなった。授業の基本は90分だが、最終講義はイベントなので、早めに終える先生が多い。しかしその先生は、「最後だからやはりここは」と話が続いた。心置きなく話しておきたいこと、がたくさんあるタイプである。

90分をだいぶオーバーした頃、スタッフから声がかかった。これ以上話が長引くと、後のスケジュールの「パーティー」の時間がなくなるからである。しぶしぶ話を切り上げたのだが、先生としては「パーティー」よりも「講義」なのだろうな、という風情だった。 

2015年11月21日土曜日

平積み

美術系の勤務校なので、先生も美術系の思考と日常生活である。
退職間際の先生は、最終講義や記念出版で、いつも以上に忙しかったりするのだが、やはり「締め切りに間に合わない」先生もいた。

最終講義がたいてい1月の在校生の学事終了の時期にあり、引き続きパーティーがあったりする。記念出版をする場合は、その時に「お土産」として渡されたりすることが多い。
ある先生は凝り性だったので、編集作業がなかなか進まず、結局最終講義に出版が間に合わなかった。パーティーで手渡されたのは「引換券」である。出版されたら、本をお送りします、と書いてあるのだが、いつ出版されるとは書いてはいない。最後の最後まで本人らしい。

出版なので、それなりの部数を印刷する。ある先生の出版された本は、研究室に平積みにされていた。「ご希望の方はお持ちください」と貼り紙がある。多くの人が出入りするというわけでもないのか、随分長い間積んであった。おかげで、「ああ、あの先生は」といつまでも話題に上っていた。 

2015年11月20日金曜日

定年

勤務校にも「定年」というのがある。職員と専任の教員では定年時の年齢が違っていて、専任の教員は70歳が定年である。現在は「選択制度」というのもあって、前倒しで定年を選べるようになっているようだ。
卒業して幾星霜、習っていた先生たちが定年になり、鬼籍に入るようになる。こっちも歳とった、ということでもある。

学校によっても、「定年退職のイベント」というのがいろいろとあるのだろう。
勤務校では一般講義を受け持っている先生には、「最終講義」というのがある。どちらかといえば「イベント」のようなもので、公開講義になっている。卒業生なんかもやってきて、いつもとは違う雰囲気になる。
実技を受け持っている先生には「記念展覧会」という個展をやることになっている。学内の展示会場で開催され、会期中に本人の「ギャラリートーク」なんかがあったりする。
予算の関係かどうか知らないが、展覧会をやらない先生は「記念出版」というのがある。大学の出版局で本を1冊つくってくれる。もちろん書くのは本人である。

だから、退職間近の先生というのは存外に忙しかったりする。展覧会の準備など、数週間ではなく、数ヶ月から1年ほどはかけるからだ。出版であっても、即座に本ができるわけではなく、それなりに準備と執筆の期間が必要になる。退職間近で「窓際」どころではない。

2015年11月7日土曜日

気づき

今時の学生さんはスマホ持ちなので、授業中に充電している様子である。だから、授業の後、教室を見回ると、ぽつねんと「充電中のスマホ」というのが壁際の椅子に鎮座ましましていたりする。

もちろん、スマホはお持ち帰りになったが、充電中のケーブルとACアダプターだけが壁面に残存しているケースもある。帰宅してから充電できなくて困るだろうなあ、と心配である。

ときどきは、ノートパソコン用のACアダプターだけが残されていることがある。美術系の学校なので、Appleの製品が多い。こんな白くて四角くて大きいアダプターを忘れるなんて、と思っていた。最近のAppleのノートパソコンのACコネクターは磁石方式で簡単に外れるのである。だから、ケーブルが外れたまま気づかないのだろう。

以前、壁際に陣取り、電源を確保し、授業中に操作していた学生が「うえっっ」と叫んだことがあった。電源ケーブルをつないでいた、と思っていたら、実は外れていたらしく、気づかなかった。操作中に電源が落ちたらしい。

電源周りは要注意である。 

2015年11月6日金曜日

シェード

当している学科の授業は、私の担当授業以外にも、短期集中決戦型のスケジュールが多い。授業が一段落すると、教室や工房を片付けるのは、いずこも同じである。
たいてい、いろいろな「忘れ物」が出てくる。

先日は「靴」でびっくりしていたが、ほかの授業の忘れ物では、「衣類」「服飾雑貨」などがあったりする。何か、といえば、フィクションのドラマ撮影の実習授業である。ドラマなので「お芝居」をするわけだが、小道具などを学生が集める。芝居に使った小道具がそのまま置いてある、というケースである。なぜか「デスクスタンドのシェード」とか「座布団」などもあったりする。慌てて取りに来ないので、ここ半年ほど研究室前の廊下のダンボール箱に突っ込んであるままである。シェードを持ってきた本人は、シェードなしのデスクスタンドで勉強しているのだろうか。 

2015年11月5日木曜日

前提

中が直接見えない下足箱なので、ときどきロッカー代わりに使う学生がいる。開けたらなぜかノートや本が置いてあったりする。これも「置いてある」のか、「忘れた」のかは、ちょっと見ただけではわからない。

「置いてある」のだろうと思われる「ブツ」は、学内ではよく見かける。ロッカーに入れるのが面倒で、ロッカー棚の上にほいと置いたり、共用教室にもかかわらず私物を置いたりする学生がいる。見た目に「うるわしい」とは限らないので、「置いてある」のが、お持ち帰り前提なのか、廃棄前提なのか、よくわからない。ときどきは「捨てないでください」という張り紙が付いていることもある。

さて、学内では年に数度「大掃除」がある。長期休暇前、年度末が主な「時期」だ。学生生活課が「ロッカー内や周辺の私物を持ち帰るように」と張り紙をする。ある日清掃業者がすべからく一掃、という作戦である。張り紙後に、さーっと「もの」が無くなったところを見たことがないので、「廃棄したい前提」であるものが多いと思われる。

私が学生の頃も似たようなものだったのだろうが、業者でも「廃棄に困る」ようなものがあったりした。立体の課題の作品で大物、重量級、明らかに埋め立てゴミ、である。校舎の外に、モルタルから掘り出したキノコや玉ねぎがごろごろと転がっていたのを思い出す。 

2015年11月4日水曜日

授業が終わって残務整理である。
提出作品のチェック、採点、というのは普通の「サービス残業」である。
担当授業は機材を使うので、機材のチェックなども「残務整理」に含まれる。
当然のように、教室や工房もつらつらと眺めることになる。

授業が終わる1週間ほど前のことだった。工房は土足厳禁なので、廊下に靴箱とスリッパを用意している。一人分ごとに小さな扉が付いている、風呂屋の下足箱のようなスタイルである。当然のように学生が帰れば、スリッパだけが入っている、はずである。
たいてい、授業が終わったらちょいと確認するようにしているのだが、ある日、女子学生のものとおぼしき革靴が入っていた。学生は全員帰っている。靴がある。うーむ、スリッパで帰ってしまったのだろうか。気が付いたら慌てて戻るだろうな、と思っていた。翌日も、翌々日も、靴はそのままである。授業がすべて終わっても、靴はまだ残っていた。

忘れた、のではなく、置いていったのだろうか。履いてきたのか、持ってきたのか。謎である。 

2015年11月3日火曜日

そこにある

同じ課題を十年一日のようにやっているわけだが、もちろん編集側のハードというのも随分と変わってきた。今やノンリニア編集、つまりコンピュータで編集作業することは「あたりまえ」な時代である。

翻って私がビデオで作業を始めた頃は、テープで撮影、テープのダビング編集、である。編集は基本的に1:1、出力側の1台のプレーヤーのテープから、入力側の1台のレコーダーのテープへと、必要な部分をダビング、つまりコピーをしていく。当然のようにダビング回数が増えれば、アナログ信号なので画像は劣化していく。
基本的にカット編集、つまりそれまでやっていたフィルムをつなげる感覚とよく似ている。違うのは、映像の始め、つまりTOPから順序よく、しかも要領よく、ダビングしなくてはならない、ということである。

フィルムでいうオーバーラップやワイプ、という作業は、2:1編集という。出力側だ2台のプレーヤー、入力側に1台のレコーダー、という編成だ。これはタイムベースコレクタという特殊な機械を挟んで2台の出力側のプレーヤーを制御しなくてはならなかった。オーバーラップするための機材は、全部ひっくるめて、当時で1500万円ほどになった。もちろん自前では用意できない。レンタルでスタジオを借りて半日で数万円である。そこまでして作業するかと自問自答しながら小遣いを貯めた。考えに考えて、大枚はたいて、「効果がない」としたら、泣くに泣けない。

コンピュータではそういった画像の加工はかなり自由になる。アナログの時代で言えば、3:1や4:1くらいの芸当は簡単にできる。だから今の学生さんは、お気軽に「芸当」をお使い遊ばす。そこにエフェクトをかけられるスイッチがあるからだ、くらいの意味しかない。

それがどんな意味があり、効果があるかなど、考える暇などないのかもしれないが。 

2015年11月2日月曜日

小判

同じ課題を十年一日のようにやっているわけだが、映像やコンピュータ関連の作業というのは日進月歩で機材が変わっていく。ビデオカメラは5年もすればかなりくたびれてくる。減価償却期間終了を見計らって新しい技術が出てくる。

今年度使っていたビデオカメラはfull HDの撮影データをカードに保存、それ以前はデジタルデータをテープに記録、その前はアナログのテープだ。アナログテープを使用していた頃は、テープの規格が変われば機材を買い換えていた。Hi8、8ミリ、あたりが20年ほど前だったろうか。1/2インチ、3/4インチ、1インチくらいを使っていた時代だと、まだまだフィルムの方が「現役」だった。

まあ、ここのところは、ほぼ5−7年くらいのスパンだろう。今度変えるとしたら、4Kとか8K、あるいは一眼レフで作業することになるのかなあと漠然と考える。しかしそもそも、基礎課程においてそれほどの撮影のクオリティが必要なのか、という疑問もある。露出どころかピントさえ「知らない」スマホ世代の学生である。うーむ、猫に小判、豚に真珠、という気がしてきた。 

2015年11月1日日曜日

サービス

10月の3週目で、とりあえず勤務校の通学課程における授業日程は終了である。5月の連休明けから夏休みを挟んで16週間、同じ授業を5回繰り返す、というスケジュールである。
もちろん学生の方は入れ替わるので、全く同じ授業にはならない。が、それでも繰り返してこちらが「ベテランになった」という気は全くしない。毎度毎度、新しい発見と、もちろん失敗と反省の繰り返しである。

十年一日で、同じ課題をやっている。ワンパターン、といえば、ワンパターン、である。一方で、学生の方は毎年変わるので、結果は十人十色、同じものはまるっきり出てはこない。実習課題なので、課題における「正解」はない代わりに、「失敗」もまたない。学校には、たまにはこういった「先輩もくぐり抜けてきたあの課題」というのがある。くぐり抜け方、などが先輩から伝授されたりするようだが、実習なので役には立たない。


そして、学生の方は授業が終わればバンザイな状態だが、こちらの方はこれからが「残務整理」である。提出物のチェックと採点、来年度の向けての準備が山積である。非常勤講師にとって、こういうのは「サービス残業」でもある。 

2015年10月7日水曜日

ひび

今時の学生さんはほぼ全員がスマホ持ちである。

お金を払う側から言えば、機材も通信費用も安くはない。1台6万円は、iPhone で言えば最安価格帯である。最新鋭のゴージャスなの、と言えば10万円。パソコンとどっこいのお値段である。値段を見ると、ああこれは「電話」ではなく、「極小コンピュータ」なんだと合点する。
お値段、にもかかわらず、学生さんは無造作にズボンの尻ポケットに入れたり、ほいと机や椅子のヘリに置いたりする。たいてい授業中2ー3回は、「ごとん」というスマホ落下の音を聞く。
学生さんが授業中すりすりしているのを後ろから眺めると、かなりの割合で「傷んでいる端末」を見かける。ガラスが蜘蛛の巣のようにヒビが入っていたり、駆体が微妙にゆがんでいたり、隙間が空いていたりする。動作に支障がないからなのか、ガラス交換が1万円強で修理代金をけちっているのか、なかにはセロテープで補強しているツワモノもいる。


こういうスマホの持ち主を見ると、機械の扱いがぞんざいなのではないかとか、乱暴なのではないかとか勘ぐってしまう。
いやいや、明日も実習、ビデオカメラ落下の事故がないように祈らねば。 

2015年10月6日火曜日

トイレにあるペーパーホルダーは、ちょっとした「棚」状になっている。もともとがペーパーホルダーで、たいていは予備のロールが2〜3個上に置いてある。あまり重たいものは置けないというのは、見てわかる。

半年ほど前に施設担当者がシールを貼っていた。「この棚に肘をのせないでください」。
荷物でなくて肘、である。
肘を乗せて用を足す女子がいるのかなあと思ったら、無理やり肘を乗せてスマホに熱中し、肘に体重をかけるか力を入れるかで棚を破壊したのがいたらしい。

どういうスマホの使い方なのか、トイレに行くたびに謎を感じる今日この頃である。 

2015年10月5日月曜日

棚の上

中毒、というのは、当人たちも気づいているようだ。

街中でスマホに夢中になっていて、自分の子供の面倒を見ない母親、年寄りに席を譲らない電車の中の若いサラリーマンに対しては、問題視したりする。授業中にLINEで友達と昼飯の相談をしているのは、ずいぶんと高い棚の上に上げているわけだ。

授業では、コンセント沿いの席から埋まるようになった。スマホは電気を食う。少しでも充電しておきたいのだろう。コンセントにはスマホ用充電ケーブルがつながっている。
コンピュータを使った実習では、必ずマシンのUSB出力にスマホをつなぐ。これも充電中である。
学食では、向かい合って座った友達と話もせず、黙々とスマホをいじる。友達だ、とわかるのは、一緒に来て、一緒に帰っていくからだ。

友達とのコミュニケーションもスマホ、あるいはLINEである。休み時間中に、誰と熱心にやりとりしているのかと思えば、同じ教室内の向こうの席に座っている学生とである。おーい、と声をかければ済むだろうに。

2015年10月4日日曜日

すま中

今時の学生さんは、スマホ使いである。

授業中は一生懸命スマホをすりすりしているので、授業でわからないことでもあったのかと思ったら、LINE中である。
そのくせ、レポートが誤字だらけである。辞書を引いてね、と言ったら、学校に辞書を持ってきていません、と言う。そういう作業にはスマホは使わない。
授業に関することであれば、スマホ使用はやぶさかではない、と言っている。授業中にLINEしてもいい、と言っているわけではない。使用する目的や内容を「区分」できない。こういう状態が、すでに「スマホ中毒」というものである。

当人たちも、それは理解しているようで、「スマホがないと生きていけない」と公言して憚らない。

こういう学生さんたちは、メディアについて教えられることなく、使っている。習うより慣れろ、だったからだ。だから、自分の都合や興味の範囲で、操作や知識を深化させる。友達の夕食のおかずには詳しいが、個別的自衛権には関心はない。まとめサイトで情報を仕入れるので、興味のない範囲の情報は皆目知らない、という状態になるからだ。新聞であれば、興味のないことも横並びで「見える」ことがあるし、ラジオやテレビであれば「聞こえてくる」こともある。しかしインターネット、特に彼らのような情報収集の方法では、自分の興味の範囲の情報だけをピンポイントで集めてくる。最初から、問題外の外、なのである。 

2015年9月29日火曜日

ラッシュ

引っ越してきた頃は、ずいぶんと雑木林の残る地域だった。東京都と埼玉県の県境、というエリアである。特に交通不便というわけではなく、開発不能か、といえばそうでもない。県境、ということもあって病院が集まっている。母親の時代は、サナトリウムがあったし、今でもハンセン氏病の療養施設がある。つい数年前までは、小児病院があり、このあたりのエリアは「病院銀座」である。
こういった地域では開発のスピードが緩やかになるので、今でも畑が多い。
しかし、ここ数年、近所の雑木林が激減しているような気がする。

近所の女子大学のキャンパス内の林は、数ヶ月でサッカーコートになった。女子サッカーで有名な学校らしい。
自宅近くの林は、あっという間に更地になって、建築資材置き場になった。イントレが山のように積んである。
畑に今年はニンジンが蒔かれていないなあと思ったら、雑草が大きくなり、ある日シャベルカーが入って整地し、小さなお家が何件も建てられ、建売住宅ののぼりが立っていた。
勤務校も同様だが、大学の設備投資の熱心さ、世代交代を見ながら、建築ラッシュな今日この頃を感じる。

10年後も、同じように「建築」が続くのだろうか。その熱が過ぎても、林は戻らないような気がする。 

2015年9月28日月曜日

サービス

通り道にある蕎麦屋が廃業した。まあ普通の、たぶん出前がメインの小さな蕎麦屋である。
しばらく誰も出入りしていない風情だったが、ある日建物が解体された。木造2階建、あまり大きな建物ではなかったので、あっという間に更地になった。
しばらく空き地なのかと思ったら、雑草の生える間もなく、すぐに測量が入り、アスファルトが敷かれ、白い線で四角い枠が引かれた。駐車場である。半分は時間貸し、半分は月極、という様相である。

そんな、駐車場の月極コーナーに、同じ車種で色違いのワンボックスカーが3〜4台並ぶようになった。色見本、というわけではなく、同じロゴが車体に入っている。「放課後学童デイサービス にぎやか」。
後半はシニアなネーミングだが、前半は「民間学童保育」風、である。

子供にとっては「小1プロブレム」というのがあるそうだが、母親にとっても小学校というのは大変なのだそうだ。保育園では午後6時まで預かってもらえたのに、小学校1年生は昼過ぎには帰宅する。小学校の学童保育は空きが少なかったり、通っている小学校には設置されていなかったり。で、小学校入学を機会に会社勤めを辞めた、というのが知人にいた。

まあ、そういったニーズに応える民間業なのだろう。「にぎやか」さんは、ワンボックスカーで送迎付きというサービスなのかもしれない。お子様向けではなく、保護者向けの「サービス」であることが気にはなるが。

2015年9月9日水曜日

心配

新学期の初日を忘れた、などというのは、後になってみれば笑い話である。
中には、怪我をした、大病をした、入院中だ、実家が破産した、学費が払えなくて夜逃げした、などということもあった。だから、初日に来ない、というのは、少し心配なのである。

現在は勤務校もIT時代で、学校からの諸連絡がメール配信されるようになった。担当の研究室では全学生に「授業初日は何月何日デス。お忘れなく」という旨のメールを流しているらしい。
さすがに非常勤であっても教員の方には流してくれない。おかげでこちらは今も昔も、初日を忘れないかひやひやしているのである。 

2015年9月8日火曜日

永遠

さて、本年の新学期は1日始まりである。

小学校ではないので、学事予定表は年度始めに配るだけ、夏休み前の終業式も、夏休み中の登校日もない。自分で年間のスケジュールは管理せねばならない。

以前は、夏休みが明けても学校に来ない学生が、ちらほらいた。
オリエンテーションや履修登録などがあるので、大丈夫かなと思いながら、当日の業務終了。駅に向かうと改札口で当人とすれ違う。「あれ、こんにちはー」などと明るく挨拶される。病気じゃなかったんだと確認すると、「ぜーんぜん、元気ですよー」。今日は何していたのかと聞けば、バイト、と答える。こういう「新学期初日を忘れる」タイプがときどきいる。

夏休みが楽しくて、永遠に続けばいいなあと、暗に思っているのかもしれない。 

2015年9月6日日曜日

試験休み

二学期の期末試験が終われば試験休みである。

公立に進学した隣近所の友人が、新学期の始まりを楽しんでいる頃、こちらは「おやすみ」になる。夏休みを取り戻すほどの長期ではないにせよ、観光客のいなくなった海岸や、夏休みの子供が全くいない映画館など、ちょっと「平日おさぼり」な気分である。

考えてみると、三学期制だと、のべつ試験があるような気がする。ほぼ1ヶ月おきに試験がある、という計算だ。一方で、二学期制だと試験は少ないが試験範囲が大きくなる。成績落下のダメージは、試験の回数が少ないとリベンジしにくいような気がする。

どちらが良いのかは、生徒によってそれぞれだろう。ただ、二学期制の名残なのか、自分の中では夏休みに思いっきり「遊ぶ」ことに、ちょっと罪悪感を今でも感じてしまう。 

2015年9月5日土曜日

学期の始まり

8月の終わりに急に涼しくなってしまい、夏の終わりの名残惜しさなど感じる前に、室内に干されている洗濯物の多さに、ちょっと調子の狂ってしまう9月の初めである。

勤務校は1日が新学期である。なんと、小学校の新学期と同じなのかと思っていたら、都内の小学校では25日始まり、というところがあった。そういえば、横浜に住んでいる甥っ子の学校もそうであった。
「二学期制」である。

三学期制だと、長期休暇が区切りになる。終業式に通信簿をもらって休暇に入る、というスタイルである。私は中学校から私学に入ったのだが、そちらは二学期制であった。
一番違うのは「夏休みに遊べない」ことである。学期半ばには中間試験、学期末には期末試験がある。前期だと、中間試験が6月、期末試験が9月。だから、中間試験後、期末試験までの授業日数が少ない。しかし、試験範囲がその間だけ、というわけではなく、4月から9月までの授業内容が期末試験には盛り込まれる。夏休みは、4月からの復習、中間試験の挽回に励まねばならない。宿題、というのはあまり記憶にないが、ひたすら復習、というのがトラウマである。その頃の学習といえば、有無を言わさず「丸暗記」である。先生御用達の教科書の虎の巻「赤本」を書店でお取り寄せ購入、教科書の解説を、暑い中、ひたすら暗記するのが、「学習」である。

今考えると、学習としては「不毛」なもののように思える。試験のために暗記しているのであって、試験が終われば暗記内容は「用がない」。忘れるものの方が多いだろう。そういえばそんなことも覚えたかな、というのが「記憶」である。年を経た今、本をまるまる1冊暗記などという芸当はできないので、若さゆえの学習方法ではあるのだろうが。 

2015年8月29日土曜日

二次

結局、windowsにプリインストールしているofficeというソフトウェアで、ある程度の「見え」まではできる、ようになっている。ただし、そもそものソフトウェアの基本的なコンセプトとは、方向性の違った作業をしていることになるわけだ。「エクセル方眼紙」にしても、プリントアウトして、プリントされた紙を使うのであればそれで済む。しかし二次利用はできない。他のソフトウェアにデータを流し込むことすらできない。
逆を言えば、印刷所やデザイナーなどが使うソフトウェアはとっても高額である。一般の人が使うには高い。もうひとつは、一般の人が使うにはちょっと知識が必要である。だから、手近なソフトでとりあえずなんとかしてみようと思うのだろう。

アナログな時代であれば、ユーザーの意向を拾える人がたくさんいた。印刷をしたければ印刷所に相談に行く。写真を引き延ばしたければ、写真屋さんに行って注文する。印刷所や写真屋さんのカウンターにいる親父さんが、いろいろと「どうしたいか」というのを聞く。どうしたいのかを明確に伝えることができれば、実作業はプロの職人さんの仕事である。
デジタル世代では、こういった「中間」にいる人がいなくなった。デジタル写真は撮影して自宅でプリントアウト、だからである。

結局我流でなんとかしたくなってしまうのかもしれない。 

2015年8月28日金曜日

熱意

今年の夏はとっても暑かった。しかしお仕事はしなくてはならない。

「エクセル方眼紙」の次につらいのは、「ワード」でレイアウトした冊子の組み直しである。
たいていエクセル方眼紙だと、ペラ、多くても2ー4ページ程度のものが多い。しかし、ワードプロセッサで組まれたものだと、もっとページ数が多いことがある。
ワード、というのはワードプロセッサで、レイアウトソフトではない。のだが、メーカーさんはいろいろと機能をモリモリに盛り込んでさまざまな作業ができるようにして、レイアウトっぽい作業ができるようにはなっている。ただし、使う人によってさまざまな使い方がある。

インデントを揃えるのに、「スペース」を打つのは茶飯事である。次のページまで送る時は、「改行キー」を連打している。
表が入っているのだが、本文上に「罫線」を引いている。
テキストは1ページにいくつかのテキストボックスが入り組んでいたりする。
こういう使い方もあったのかと、逆にときどき感心する。

困るのは、こういう持ち込みをした本人は、このように作りたいというよく言えば「熱意」、悪く言えば「頑固」である。

ページ数が多ければ、印刷所に持ち込めるレイアウトソフトのデータに組み直さなくてはならない。結局これも格闘することになる。 

2015年8月27日木曜日

変換

今年の夏はとっても暑かった。
あまりに暑いので、何もやる気がしない。だらだらである。

そうは言っても、お仕事はそれなりに来るものである。ありがたいことである。
ギャラが作業量相応か、といえば疑問な点もなくはない、と言えるのだが、少なくとも社会的な貢献をしている気分にはなるお仕事がやってくる。
基本的には、営業活動を積極的にしているわけではないので、知り合いからの紹介が多くなる。こちらの仕事の内容やペースはわかっている、ということが多い。

ただし、ときどき、こちらのテリトリーの「写真や映像」「グラフィックデザイン」などはあまりよく知らない、というケースがある。世間的には、こういった人の方がよほど多いと思われるのだが、今や国民的コンピュータ使用な時代である。ワードプロセッサでぽちぽちと文字を打ち込み、画像を配置すれば、それらしいプリントが仕上がってくる。最終的に印刷にあたり手直しして、印刷所指定のファイルデータに変換して、という話が1年に2、3度やってくる。同居人経由で学校関係者が多い。
基本的にレイアウトデータの「データ変換」は、あまりやらない。印刷所指定のソフトとフォントを使ってデータを作成するからである。
しかし、もらったデータを見てのけぞることがある。

一番大変なのは、「エクセル方眼紙」である。作成した本人しかルールがわからない。インターネットでフォントをダウンロードして使っているらしく、macでは再現できない。本文テキストがブツ切れで、再構成しにくい。結局、データ分析、似たようなフォント探し、本文の組み直し、もちろん画像の処理も全くやっていないので、こちらの作業である。

アナログ時代には、原稿用紙に原稿、写真とイラストは実物もしくはプリントで集めるしかなかった。写植で文字組したり、切り貼りしたり、製版指定を出したり、という作業が必要だが、それはデザイナーさんのお仕事である。

しかしまあ、「エクセル方眼紙」起こしは、それよりもはるかに複雑で煩雑な作業である。 

2015年8月26日水曜日

送信

授業が終わって8月、先生の夏休みの宿題といえば、採点、である。

同居人の方の出席とテスト、レポートなんかの素点をざっくり表にして、合計点を出す。
そのあとは、同居人が表をにらんで、最終的な素点を出す。
素点は大学のサーバーに送信、というのが最近の大学内ITの作業内容である。

以前は手書きの点数表を書き留めで送る、という作戦だった。これはこれで「儀式」ではあるのだが、大学のサーバーに接続してデータとして点数を送るのは、IT時代としては便利な面もあるのだろう。
手書きの時代は、書き写しのミスなんかがあったりして、人海戦術でひたすらミスをつぶしていたものである。今や、ボタン一発。らくちんである。
…はずなのだが、大学のサーバーに接続するまでが大変である。もちろんセキュリティーの管理も厳しいので、二重三重にパスワードが必要だ。4月の着任時に大学の教務課の受付で、自分で設定したはずなのに、覚えていない。なぜかといえば、「セキュリティー確保のため、パスワードを書き控えないように」と言われたからだそうである。しかも覚えやすいのはダメ、類推されそうなのはダメ、といくつかの条件がある。しかも使うのは入点の作業時のただ1回だけ、数ヶ月後である。
やっぱり覚えていないので、結局大学の教務課とサーバー管理者に何度もパスワードを問い合わせたりしていた。


不便なITである。 

2015年8月25日火曜日

結果

同居人の大学の方は7月末が学期末、授業終了だった。

最近の講義科目は、1学期内完結方式のようで、概ね15回ほどが1クール、という感じである。
私の頃は1年間26回が基準だったので、その半分である。中だるみせずに済むかもしれないと思う反面、がっつり内容のあるものなら、物足りない感じもする。

同居人の今年の講義は登録が90前後と、以前に比べるとずいぶん減った。担当し始めた当初は200人近くいたので、ほぼ半分程度である。ひとつは「出席はがっちり、抜き打ちテスト2回、その他に授業内机上レポート2回、テスト期間内の試験なし」が行き渡り、一方でウラ番組というか選択肢である授業がいくつか増えた、というところである。名簿を見ると、2年生以上の受講者が激減している。2年生では学生生活が楽しくなり、夏休みや学園祭のドロップアウト、3年生の「自分の制作が忙しくなる」、4年生の「就職活動」「教育実習」「介護実習」による公欠と「卒業制作」の方が切羽つまってくる、という事情がある。公欠では、出席は確保できても授業の内容が確保できるわけではなく、抜き打ちテストや机上レポートに対処できないからだ。

そのせいかどうかわからないが、受講生の8割以上は1年生である。昨今の大学生は現役合格が多いので、高校生の延長であり、「真面目」かどうかはともかく、とりあえず「教室にはやってくる」習性がある。

集計してみると、出席日数でアウトなのは、4〜5名程度、授業中に「居た」かもしれないが授業を「聞いていない」ので出席はまあクリアだがテストやレポートはさんざんなので、明らかに無理、というのが2-3名。したがってドロップアウトが1割未満、当たって砕けろとか、とりあえず登録してあわよくば単位がもらえるかもしれない、という選択傾向が減ったので、授業の計画と進行はスムーズにいった年だったようだ。 

2015年7月30日木曜日

お返事

他の会社の話である。

高齢なのだが、設立者だったこともあって、未だに「会社に来てしまう」、元「お偉い人」である。
筆まめ、世話好き、宴会好きで、あちこちに出向くことを厭わない。すでに80はとうに越しているのだが、元気なじいさんである。
夏にお祝いごとなイベントがあって案内状を出した。いつもなら、速攻で電話がかかってきて「行くからねー」と元気な声が聞けるのだが、今回は電話がない。具合でも悪いのかと思って電話をすると「案内状はもらっとらん」。案内状は会社宛に出しているのだが、どうも担当部署が元「お偉い人」に渡していないらしい。以前の部下だった人に遠回しに事情を聞いた。

会社としてはいつまでも元「偉い人」が出勤することを快く思っていないらしい。じいさんが若い頃と違って、会社は大きくなり、組織的になっている。ワンマンなじいさんに振り回されるのはちょっとねー、というニュアンスである。もちろん高齢なので、出先で具合が悪くなってもよろしくない。しかし「付き人」をつけようとは思っていないらしい。言外に「早くリタイアして引っ込んだ方が…」ということである。だから、会社に来た案内や手紙をすぐには回さないらしい。

実力主義、成果主義な会社になると、せちがらいなあと思ってしまう。 

2015年7月29日水曜日

番頭さん

小さな会社のオーナーさんと知り合うと、「付き人」ではなくて、「番頭さん」がご一緒だったりすることがある。

オーナーさんが会社の一代目、しかも高齢なら、それよりも若い人が「秘書」あるいは「付き人」でご一緒だったりする。
オーナーさんが二代目、比較的お若かったりすると、それよりも年齢の高い人が「付き人」でご一緒されることがある。一代目の頃にお仕事をした人で、いまはそこそこの役付、いわゆる「番頭さん」な感じである。たいていは温厚で、人当たりが良い。

ある会社の二代目オーナーさんと、よくご一緒している「番頭さん」がいた。いつもはリゾートモードな場所であうのだが、たまたま都内で会うことがあった。ご一緒している「番頭さん」は違う人で、どちらかと言えば「秘書室長」モードである。

その会社には、実はいろいろな役割の「番頭さん」が取り揃えられているのかもしれない。 

2015年7月28日火曜日

追う

会社の偉い人、しかもご高齢の人、と知り合いになると、たいてい「秘書」さん、あるいは直属の部下、という人が「付き人」としてやってくることがあった。
昔で言えば「カバン持ち」、あまり良い意味では使われない言葉かもしれないが、若輩どうしで、ときどき雑談することもあった。
「随伴」される方の人は、会社にとっては「伝説」の人だったり、今は大きな会社の設立者だったりする。昔は小さな工場でねー、などという昔話を毎度聞かされるんですよー、というのが「付き人」さんの決まり文句である。
「叩き上げのじいさん」だったりすると、付き人を叱咤激励しつつ、自分はさっさと歩いて行ってしまう。ワンマンかつせっかち、というのがよくあるパターンだった。


付き人さんは追いかけるのが大変である。 

2015年7月27日月曜日

イベント

私の世代が習った「先生」たちが、定年退官、というのがここ数年続く。
大学は70歳定年だったが、最近は「選択定年」というのがあって、前倒しで退官する人もいる。

一般的な大学だと、教授がいて、その下に助教授がいて、その下に講師がいて、という人数的にピラミッド構造だったり、師弟関係があったりする。教授の上には、「教授の先生」つまり大先生、がいたりする。だから、例えば教授が何か賞をもらったとか、表彰された、還暦だ喜寿だ米寿だといった「お祝いごと」があると、お弟子さん筋が集まってパーティーなど開いたりする。こういうときに会を仕切るのは、大先生の下の先生、が筆頭になる。大先生の下の先生が多いときは、「発起人会」などが発足する。

こういった風景がときどきあった。

今は還暦くらい当たり前になってしまったし、世の中がせわしないのか、派手なことをしない傾向があるのか、「イベント」そのものが減ったようだ。 

2015年7月21日火曜日

マシントラブルに逆ギレしてマシンに蹴りを入れた学生の、その後、である。

1年の間は3〜4週間でいろいろな実技の授業を受ける。マシンの蹴りを入れた後、私の担当授業に参加、こちらではチーム制作なのだが、チーム内のコミュニケーションがうまくとれなかった。俺が俺が、と自己中心的で、他の学生には協力を要請するが、自分は他の学生の作業には協力しない。結局制作はうまくいかないのだが、それを他人のせいにした。自分は一生懸命やったのに、作品としてうまくいかなかったのは、他の学生が協力的ではない、と公言した。講評時には、他のメンバーを「出来の悪いおまえら」呼ばわりした。
その時チームの女子が逆ギレした。
「そういうあんたはナニさまのつもりなのよ。もう我慢できない」。


私が担当するのは3週間だけで、その後の授業の動向はわからない。2年に進級したと思ったら、アパートに引きこもって「ネトゲ廃人」っぽくなっていた。結局留年したらしい、と噂に聞いたのだが、その後どうしているだろうか。 

2015年7月20日月曜日

蹴り

締め切り間際に人間同様の馬鹿力を期待しても、機械には通じない。無理をしたら、機械はフリーズし、データが壊れ、結局は時間が無駄になることが多い。
授業なので、機械相手の作業はそんなもの、というのがわかれば御の字である。たいていの学生は、それ以降、もう少し早めにスパートするようにスケジュールを組むものである。

数年前の他のクラスの学生のことである。やはり締め切り間際だけスパートをかけ、機械に負荷をかけて、結局フリーズさせてしまい、データがふっとんでしまい、あげくにハードディスクが立ち上がらなくなった、というケースがあった。機械だからしょうがないのよ、というのが、こちらの常套句である。残りのデータをサルベージするにせよ、システムを初期化してクリーンインストールするにせよ、数分では作業はできない。今日の作業は無理だねえ、と言った途端にその学生はブチ切れて、マシンに蹴りを入れたのである。
ばっこん。
ケースに凹みができて、これはきっと中のボードが落ちてるなあ、という外見になってしまった。ハードディスクだけが無事とは思えない。
初期化では済まない。修理である。数日では済まない。しかも料金が発生する。下手をすると高額である。


後にも先にも、マシンに八つ当たりしたのは、その学生だけである。 

2015年7月19日日曜日

解決法

まあ、課題であるから、間に合わなくってもナンボのものである。それが身にしみて、将来馬鹿力に頼ったり期待したりしなければ良いだけである。

ところが、機械の方は正直なもので、「ゴリ押しする」学生というのを、私よりも先に見分けたりすることがある。

授業では12台のコンピュータを使っている。全部が同じ仕様なのだが、数週間の授業のうちでやけにフリーズするマシンが、時々出現する。違うクラスでは全く問題なく動作していたりするが、また別のマシンがやけに動作緩慢になったりする。
時として、「動作が怪しい」マシンを扱っている学生の「操作が怪しい」ことがある。
怪しい動きをし始めたときの操作を覚えていれば対処のしようがあるかもしれないが、ほとんどの学生は覚えていない。条件反射的にマウスをクリックしてしまい、エンターキーを押してしまうからだ。どのボタンを押したのか、どういったタイミングでどのキーを押したのか、記憶にない。

今年の場合は、「コンピュータの操作に不慣れ」でやたらエンターキーを押してしまうケースと、「自分ではコンピュータの操作に慣れていると思っている」のでやたら環境設定や初期設定をいじりまくってしまうケースの両方で「怪しい動作」が発生していた。機械の方で「要注意人物」を見つけてくれているようなものだ。たいていこういう学生は、すべての作業が「雑」だったり「乱暴」だったりする。コンピュータを扱う作業だけではなく、日頃の作業にも要注意である。


いまどきのコンピュータというのは、システム関連で使うファイルや設定がやけに多い。どの操作によって、何が悪さしているのか突き止めるのに時間がかかる。急いでいるときには、いきなりCドライブ初期化してインストールし直しましょう、という作戦になる。 

2015年7月18日土曜日

アドレナリン

ばたばたと過ごしているうちに7月も半ばである。授業の方はすでに終わり、学生の方はテストやレポート提出を残すのみ、といったところである。実技系の授業では試験はないが、課題の提出、というのがある。

たいていの学生は、間際までのんびりと過ごしていて、数日前からやっと腰を上げる。締め切り寸前までスパートしない、という癖を「崖っぷちの魔術師」というニックネームでカバーしていているのがいた。考えてみれば、寸前でじたばたするなら、数日前からじたばたを分散させていた方が良いことはわかるはずだ。今の年齢だと心臓とか血圧にはすこぶるよろしくない。美術学校ではそういった理屈は通らず、崖っぷちにならないとアドレナリンが出ないのか、自分を追い込むつもりなのか、そこで実力120%を目指す学生も多かったりする。

もちろん絵画や彫刻など、肉体労働ならそれはあり得るかもしれない。人間火事場の馬鹿力というのはあなどれないからだ。
ただし、機械にはそんな理屈は通らない。

ビデオを扱う授業をやっているのだが、たいていの学生は間際になるまでのんびりとしていて、締め切り数日前からスパートする。機械の方は日頃のんびりと過ごしているのに、締め切り間際数日だけがモーレツに稼働することになる。人間には火事場の馬鹿力はあるかもしれないが、機械にはない。締め切り間際だけ、コンピュータの処理速度が速くなったり、スーパーマルチタスクに変身したりはしない。焦ってリターンキーを押し続けてフリーズしたり、無理な処理をかけて熱暴走させたりする。
機械は締め切り間際に故障しない、とタカをくくっている。そんなことはない。突然無理に働かせたら機嫌が悪くなる。

機械を扱うときは、緩急なく平均的に、というのが原則である。

2015年7月11日土曜日

把握

たいてい授業の出席日数が危ない学生が、クラスに数名ほど発生する。以前は忠告せずに、授業を終了、課題作品の提出のときに、警告の掲示を出した。「以下の学生は出席日数不足のため課題は受理しない」。

それでもゴリ押しして課題を提出する学生がいる。翌日また掲示を出す。「以下の学生は出席日数不足のため、課題を受理しない。したがって採点もできないのでそのまま持ち帰るように」。

たいていの学生は「出席日数不足」に思い当たる節があるので、数回そんなやりとりをすれば、納得する。

しかし、ある「記憶障害」な女子学生は、そのクレームを教務課に持って行った。
「課題を受け取ってくれません」。

当然教務課から問い合わせが来る。「なぜですか」。
こちらのお返事は「出席日数不足なので受理できません」。

教務課はその返事を「記憶障害」ちゃんに伝える。「記憶障害」ちゃんは、教務課のカウンターでかなりゴネたらしい。教務課から「出席簿を見せてくれ」と連絡が来た。持って行って見せたら、教務課は納得した。
「記憶障害」ちゃんの出席日数は3分の2、しかしその出席はすべからく遅刻だった。

その頃の学校のルールは、出席3分の2で課題提出権利取得だった。「記憶障害」ちゃんはぎりぎりでクリアしようとしたらしい。しかし、遅刻ルールというのがあって、遅刻3回で欠席1回、というカウントルールがある。だから、出席日数は3分の2に満たない。
「記憶障害」ちゃんがぎりぎりでクリアしようとしたなら、カウントミス、あるいはルールを熟知していなかった、ということである。

ルールがあるなら、事前にきちんと把握しておかなくてはならない。

2015年7月10日金曜日

管理

学生にとって「遅刻」が身近な「問題」になるのは、自己管理の難しさということなのだろうか。

学校には「単位認定の基準」というルールがある。ある割合の出席数でテストの受験資格ができる、レポートや課題作品の提出の権利を得る、というものだ。もちろん、出席数で単位の確保が確約されるわけではない。皆勤賞でも、テストの結果が0点なら単位は出ない。
授業担当の教員にある程度の裁量はあるのかもしれないが、最近の教務課は管理が厳しい。むしろ明確な「事務的な」作業だからだろう。

授業も終盤に近づくと、出席日数の確認をしに来る学生が来るようになる。何回出席しているか、大丈夫か、といった内容である。大学生にもなって授業に出席したかどうか「記憶にない」ようなら、自己管理どころか、学生の「記憶機能」の方が「大丈夫か」と思ってしまう。

2015年7月9日木曜日

現実

「遅刻ネタ」というのはたいていステレオタイプである。「遅刻」ということに特別の意味があったりメッセージがあったりするわけではない。「遅刻しがち」であるという習性も、特別なことではない。だから共感しやすい、ということはあるのだろうが、19-20の「いいトシ」をした学生が取り上げる「テーマ」としては、いかがなものかという気がする。

クラスにはたいてい数名の「遅刻常習犯」がいる。
授業が始まってから数分で「すいませーん」と言いながら、教壇側の扉から堂々と入り、教卓の前に立ちはだかって「遅刻しました〜」とこちらの話をぼっきり折って報告する。
寝坊ならその程度だが、事故やハプニングなどという「正当な遅刻の理由」があるときは、その場で延々と遅刻の理由を述べる。わざわざ最後列まで通路をのんびり歩いて席に着く、などという「罪悪感ゼロ」な学生もいる。
お客様は神様だ、という言葉が脳裏をよぎる。

健康上の理由で、などというもっともらしい理由があることは稀である。
たいていは、遠距離通学の学生ほど早い時間に登校する。数分の電車の遅延が、つもりつもって数十分になるかもしれないからだ。
親の介護、という年齢でもない。
自分で学費を稼いで夜も昼もない、という学生も稀である。以前にそういう学生がいたが、明らかに授業時間の集中度が違う。休み時間は机に突っ伏して爆睡しているが、授業が始まると起き上がる。雑談をしてわかったのは、余暇どころか睡眠時間がほとんどないからだった。

授業ではなく、自分の好きなことには遅刻はしないのかもしれない。しかし初デートで遅刻したら、相手の印象は良くない。スポーツの試合では有無を言わさず「棄権」である。社会に出れば、一度の遅刻でその後の人生が変わることもある。後輩がロケ撮影の初日に遅刻したら、翌日に「あれ、まだいたの?」と言われたらしい。言外に「クビ」である。

時間にルーズな学生は、仕事もルーズになりがちである。資料やデータ、ノートの整理も苦手な傾向がある。こうなるともう一緒に仕事はしたくないタイプナンバーワンになってしまう。学校では「クビ」はないが、社会では「つまはじき」である。

学生には、数十年先のことなど見えていないのだろう。こちとら、「使える卒業生」も目指して授業しているのだが。

2015年7月7日火曜日

関心

さて、今年はやけに「遅刻ネタ」が多い。

たいていの「自己紹介」は、どうしてもその時点での学生の気持ちや状況を大きく反映する。ホラードラマが流行っていた頃は、やたら「ホラー」っぽい展開が多かった。その伝でいえば、「遅刻」が今年の学生の最大の関心事なのかもしれない。

いやしかし、である。大学生の最大の関心事が「遅刻」というのは、別の意味で危うい気がする。自撮りも含めて、学生の関心は自分自身、あるいはその周辺数センチ、日々のルーチンワークだけ、という気がするからだ。18歳に投票権、というニュースがあったが、自分自身にしか関心のない学生が投票などできるのか、ちょっと不安になった。

2015年7月6日月曜日

走る

さて立ち戻って、ここ1〜2年の作品がどうかといえば、ひとことで言えば「単純」、分かりやすいものなのだろうが、「だから何なんだ」というものが多い。

以前からあったのだが、ここ数年で増えたのは「遅刻ネタ」である。
校門から学生が走り込んで来る。アプローチを走り、中庭を走り、ピロティを走り、階段を駆け上がり、廊下を走り、教室のドアから中に入る。途中でチャイムが聞こえる。走っている途中、ドアの寸前、入った後、のパターンである。

自己紹介の意図としては、遅刻しがちな性格、というところらしい。問題なのは、単に走っているだけで、「いつも遅刻する」「いつもギリギリに教室に来る」というような習慣性は映像では表現しにくいということだ。単に教室に走り込む、という「移動状況」しか見えない。これが「いつも」なのか、今日は「特別」なのかは伝わらない。あるいは、下手をすると「駆けっこ好き」に見えてしまう。

たいていこのような意図だと、カメラが被写体と一緒に走ったりフォローしたりするのも多い。問題なのは、カメラマンの視点を意識しない学生が多いので、どちらかといえば「走る人物を追うストーカー」な映像になってしまう。「走っている人物」ではなく、「遅刻の女子学生を追うストーカー」を紹介してしまうことである。

2015年7月5日日曜日

ステレオタイプ

さて立ち戻って、ここ1〜2年の作品がどうかといえば、ひとことで言えば「単純」、分かりやすいものなのだろうが、「だから何なんだ」というものが多い。

以前からあったのだが、ここ数年で増えた「紹介」は「音楽好き」である。
学生が画面に入ってくる。椅子やベンチに座る。カバンからステレオイヤホンとプレーヤーを取り出す。イヤホンを耳に突っ込み、プレーヤーのスイッチを押す。体がリズムを取り始め、踊り出す。半数以上はフレームアウトして空舞台で終わる。

たぶん普段はそういう生活や嗜好があるんだろうなあと思うのだが、「だから何なんだ」という印象になってしまう。ひとつは、伝えたいことやその表現が「ステレオタイプ」であることだろう。一般的な音楽プレーヤーのコマーシャルをそのままなぞっているが、映像としての展開が少ない。舞台に入って出て行く、という演劇的な手法を使うので、ラストカットの意味が希薄になる。映像としての構成があまり考えられておらず、普段の生活の範疇でしか想定しないことが多い。

大抵の学生さんは「音楽好き」である。「音楽嫌い」という学生にはあまりお目にかからない。もちろん映像では肯定的なことを伝えるので、「嫌い」であることを伝える方が難しい。まあしかし、「作品」あるいは「表現」にするにはここからが一工夫いるところである。

2015年7月4日土曜日

連想

翻って以前の学生さんの作品がどうだったかといえば、ひとことでいえば今よりも「難解」なのが、時々出現した。

自分が引っ込み思案だ、という紹介をしたいとする。例えばこんなものが出てくる。
教室でも廊下でも誰かの後ろを三歩離れてついていく。
紙袋やマスクをかぶって、学内で立っている。
トイレでぼっち飯中。
教室の端っこでイヤホンを耳に突っ込んで窓の外を見ている。

30秒という尺なので、文脈をつくるほどの時間が取れない。だから得てして「ストーカー」「変な人」という印象になってしまう。
本人の制作意図を聞けば納得できるのだが、いわゆる「考え落ち」になっていることが多かった。言葉の連想ゲームから「アテ振りをする」という作戦である。
引っ込み思案→友達とあまり一緒にいない→自分を見せるのが得意ではない→一人で顔を隠して立っている→頭に紙袋をかぶって顔を隠す、という思考回路である。ところが映像では、クラフト紙の紙袋を頭にかぶった学生が学内で立っている、だけである。なぜ紙袋をかぶっているのか、なぜ学内に立っているのか、それだけではわからない、というのが課題の解題である。

連想ゲームの結果から、最初の「お題」を、同じ「言葉」として感じさせるのは、難しいのである。

2015年7月3日金曜日

普段どおり

ばたばたと過ごしているうちに7月である。
新学期にはぴかぴかの1年生だった学生が、すでに場馴れして緊張感のかけらもなくなってくる時分である。

担当している実技授業では、学習分野におけるさまざまな意図があったりはするのだが、1年生のクラスの最初の課題は、平べったく言えば「自己紹介」である。
言葉や文字という言語情報を使わずに、30秒の映像だけで自己紹介してね、というのが「お題」である。ここ10年ほど同じ課題をやっている。だから、年度ごとの特徴があったり、クラスごとの特徴があったりする。特に、時代背景のようなものが見えてくることがある。

クラスの8割は映像制作をしたことがない、という初心者である。1割は、高校で自主制作映画を作ったり、放送部でドキュメンタリーを作ったりしたことがる、というのがいる。クラスの3割ほどはアニメオタクや漫画オタクに近い嗜好があるが、映画オタクはいない。ここ1〜2年は、携帯やスマホで動画を撮影し、そのまま友達と共有する、という使い方をする学生が、クラスの半分以上に増えた。
そのためかどうかわからないが、最近の顕著な傾向は「自撮り慣れ」していることと、「普段の生活」を描きたがることだろう。
やけにカメラ目線でアピールする自己主張のある作品が増えた。レンズの向こうに想定しているのは「友達」である。やたらに歩いたり走ったりしてレンズに近づき、手を振ったり、首を傾げてにっこり笑ったりする。コスプレも増えていて、なぜか高校の制服やかぶりものを着ている。菓子バンやお菓子にかじりつき、耳にイヤホンをさしてノリノリになる、というのも増えた。

自分を客観視していない、という印象の自己紹介が増えた。普段の生活の自撮りの延長線上で映像を撮影している。いい意味で「天然」、悪い意味で「ホームビデオ」でしかない。

2015年7月2日木曜日

補正

今の学生さん世代は「デジタルネーティブ」と呼ばれている。
デジタルな世代は修整好きである。

実写の動画を教えている。編集ソフトではいろいろな機能があって、エフェクトもたくさん使えるようになっている。ここ数年の質問で多いのは、撮影した動画素材を修整することだ。
水平垂直を修整する、画面のサイズを修整する、などはまだ序の口である。背景のアレを消したい、向こうのコレを移動したい。ビデオだと音声も同録なので、ついでにセリフにかぶっているヘリコプターの音を消したい、などという要求が多い。
撮影はフルHD、編集も上映もフルHDなので、画像のスケールや回転といった加工技術を使って修整すると、上映時の解像度が下がることがある。背景のオブジェクトを消したり移動したり、などという作業は、ちょいちょいとした作業では済まない。音声も一緒のトラックに録音されたものは、各要素に分解はできない。
やってやれないことはないのだが、それが簡単にできるわけではない。だから「三丁目の夕日」という映画は話題になったのである。1960年代の風景がそのまま、最先端の技術で画像になっている。もちろんセットや道具ばかりではなく、CGも駆使、である。こういった加工をする、とう前提で撮影も行われている。あとから加工するためには、加工しやすい素材が必要になるからだ。

制作のプロセスを知らなければ、修正前と修正後だけを見ることになる。簡単に見えてしまうのだろうなあ。デジタル技術というのは、簡単で誰にでもやれそうに見えてしまうのが難点である。

2015年7月1日水曜日

メタファー

今の学生さん世代は「デジタルネーティブ」と呼ばれている。
しかし今のデジタル技術というのは、ベースにアナログ技術が入っていることが多い。

関わっている映像系のジャンルで言えば、画像系の編集ソフトは多かれ少なかれアナログ時代の編集を思い起こさせるメタファーを多く使っている。

写真加工で言えば、Photoshopというのがよく使われている。ソフトの中のツールに「覆い焼き」というコマンドがある。アイコンは、丸に棒がついたようなもので、実際に暗室作業で覆い焼きするためによく自作したものだ。暗室作業をやったことがあれば、なるほどと思う。しかし、今の学生さんの世代だとフィルムカメラを扱ったこともなければ、暗室作業をやったことがないことが多い。果たしてこのアイコンとコマンドが何を意味するのかわかるのだろうか、と思う。

映像系の編集ソフトで、Premiereというのを授業では使っている。映像の単位として「クリップ」と言っている。フィルムで編集する時に、フィルムを切り出して洗濯バサミで吊るしていたので、「クリップ」である。コンピュータ上の「クリップ」を切り分けるのは「レーザー」ツールで、アイコンは「カミソリ」である。私の世代だと、オーディオの6ミリテープの切り貼りはカミソリの刃を愛用した。ハサミだと、狙ったところを切りにくいし、刃の厚みがあって切り口が巻き上がりやすい。カミソリだと刃の厚みがなく、すっきりすぱっと切れるからである。
しかし、実際にフィルムやテープといったものを扱ったことがなければ、ピンとこないだろうなあと思う。

これも時代とともに変わってくるのだろうか。

2015年6月20日土曜日

変換

今時の学生さんは、デジタル世代、と言われている。メディアではよく「デジタルネーティブ」といった言い方をしているようだ。

そんなデジタルネーティブな世代と風潮に対応してか、「デジタル教科書」を開発中という話題が、新聞に出てくるようになった。

マルチメディア、という言葉が出てきたのが、20年以上前になるだろうか。当時、プレゼンテーションや配布資料用に、マクロメディアのソフトを使って、オーサリングツールを使ったデータを作っていたことがある。動画や静止画、テキスト資料も組み込んだもので、CD-Rに焼いて配布した。shockwaveという無料配布ツールで閲覧するもので、当時のHTMLでは組み込めないファイルやデータを扱えるものだった。ああ、こういうのがあれば、教科書としてはいいなあと思ったものだった。

作成後10年もしないうちに、マクロメディアという会社は買収によって消滅した。作成ツールも開発中止になり、閲覧ツールも開発中止、新しいOSに対応できないので、事実上消滅した。もちろん、作成した資料は、今では閲覧できない。配布したCD-Rはすでに現在のPC環境では再生できない。後日の資料にと残しておいたディスクは廃棄処分にするしかない。同じものを見ようとするなら、作成時に集めた資料を現在閲覧できるファイルに再構成することになる。しかし、同じように再生できるとも限らない。
当時のファイルが今でも「使用可能」かどうか、あるいは現在使われているファイルに「変換可能」かどうか、ということでもある。

デジタル教科書も同じこと、数年は使えるかもしれない。しかし、その数年後も全く「電子業界標準」が同じであるとは限らない。コンテンツのアップデートだけではなく、再生環境や作成プログラムの検証も毎年のように必要になる。現状の印刷物よりも、もっとスピードが要求される作業になる一方で、ツールやハードウェアの都合による再製作も必要になる。それは「使い回し」ができない作業であることの方が多い。

そこまで文科省が「面倒見る」、と言えるのだろうか。

2015年6月19日金曜日

探しもの

今時の学生さんは、デジタル世代、と言われている。メディアではよく「デジタルネーティブ」といった言い方をしているようだ。

高校に「情報」という授業ができてから、すでにしばらくになる。それが「デジタルリテラシー」なのかどうか、というのは、大学生を見ていると少し疑問に感じることがある。
高校の授業なので、小学校のように「日本全国統一」な内容を、「日本全国ほぼ同じ」教え方で実施されているとは限らないのかもしれない。ワープロの使い方を教わっただけの学生がいる一方で、HTMLのタグうちで数ページのウェブサイトを作るといったことをやった学生もいる。困るのは、ワープロ=MS Wordだったり、エクセル方眼紙を教わっていたり、ファイルやフォルダーの概念や階層構造も考えずに、やみくもに即座にエンターキーを押すように習慣づけられていたりすることである。

今日も学生が行方不明にしてしまった「さっき保存した」ファイル(しかも「名称未設定」なのかどうかすら覚えていない)を、2TBのHDDから探し出す作業をするはめになった。コンピュータを使う授業をしていると、こういったケアレスミスのフォローがやたら多い。どこがネーティブなんだ。 

2015年6月18日木曜日

くくり

今時の学生さんは、デジタル世代、と言われている。メディアではよく「デジタルネーティブ」といった言い方をしているようだ。

確かに、一昔前に比べると、パソコンの取り扱いは少しは違っているような気がする。「では電源を落として…」と言い終わらないうちに電源ボタンを押してしまったり、アプリケーション終了をなぜか「強制終了」にしてしまったり、ゴミ箱にソフトも入れてしまったり、「右クリックで」が「右手の指でクリック」だと思っていたり、するような時代ではなくなってきているような気はする。
一方で、なぜかディスプレイというものは全世界的にタッチパネルだと思っていたり、ソフトが同じならwindowsでもMacでもデータを共有できると思っていたり、パソコンというものは標準でsoftbankのWi-Fiにつながっていると思っていたりする。
もちろん、スマホは使えるがパソコンはどうも、という学生も散見する。OSにおける使い勝手はそれぞれ違うので、一緒くたにくくることは難しい。

身近に使うガジェット、使っている環境や、受けてきた教育によって、「デジタルネーティブ」という概念は変わってくる。ひとくくりで「デジタルネーティブ」という言い方が良いのかどうかは、ときどき疑問に感じることがある。 

2015年6月17日水曜日

辞書

今時の学生さんは、デジタル世代、と言われている。メディアではよく「デジタルネーティブ」といった言い方をしているようだ。

大学生にもなると、ほぼ全員が「スマホ持ち」である。画面上に蜘蛛の巣状のヒビ入りのツワモノもいる。授業前でも授業中でも休憩中でスマホの画面をすりすりしている。
何をしているのかといえば、今はほとんどがゲームかLINEである。

一方、である。
授業終了時に提出されるレポートは誤字脱字だらけである。自宅作成にもかかわらず、簡単な語句でさえ誤字がある。スマホ持ちなのだから、インターネット接続で辞書や辞典を使わないのだろうかと思ってしまう。スマホ持ちの羨ましいところは、書籍版の辞書どころか、電子辞書というガジェットを持って歩かなくても済むことだと思うのだが、学生さんは、いっかな「辞書」を引かない。

紙の辞書を引かなければ、電子版でも使わない、ということなのかもしれない。これがデジタルネーティブ、というやつなのかもしれない。

2015年6月16日火曜日

特技

今時の学生さんは、デジタル世代、と言われている。メディアではよく「デジタルネーティブ」といった言い方をしているようだ。

勤務校では映像関係の実技をやっている。この手の業界はデジタル化の波が、すさまじく大きく、しかも早く、しかも繰り返し、やってくる。

電子映像を扱い始めた頃は、機材の裏にまわって配線、というのがお仕事前の作業だった。映像は8ピンコネクタかBNC、音声はキャノンピン、ヘッドフォンは標準プラグ、という時代である。自分のやる作業に合わせて、機材を組み替えることから始めるわけだ。おかげで、実家でテレビやステレオの買い替えがあったりすると、配線作業に呼び出された。
ケーブルはぴったり長さの「既製品」がないので、秋葉原で端子とケーブルの長巻を買って、半田付けして作成である。おかげで、電線の皮むきも覚えた。

16ミリフィルムを扱っていた時には、映写機の取り扱いもネガフィルムの編集もオープンリールテープのスプライシングも覚えたのだが、今や再び使うことのない「特技」である。

2015年6月15日月曜日

回す

今時の学生さんは、デジタル世代、と言われている。メディアではよく「デジタルネーティブ」といった言い方をしているようだ。

実家には旧式のダイヤル式黒電話がまだ健在である。姪の友達が電話を借りて、電話がかからない、と言われたことがあった。丸い穴に指をつっこんだだけで、回さないのである。そうだよねえ、今時の電話はみんなデジタルな「プッシュホン」、ボタンを「押す」わけで、回しはしないのである。

そういえば、テレビのチャンネルも「回す」ものではなくなって久しい。カーラジオだって、ボタン選局でダイヤルを回して放送局を探すこともなくなった。ガスコンロだって、ダイヤルを回して火力調節するのではなく、レバーだったりボタンになったりした。電子レンジもテンキーで動作時間を打ち込み、チーン、ではなくぴー、という電子音で終了である。カーエアコンも、今使っているのは「オートエアコン」なので、ボタンで温度設定である。

デジタルとは回さないもの、らしい。

2015年6月14日日曜日

贅沢

電子業界は、日進月歩、よりも早い速度で進んでいるような気がする。

父親のカメラで写真の授業課題をしていたのは学生時代のことであったが、今の学生さんは「父親の」世代の道具は使わない、もとい使えない世代なのである。

勤務校の写真の授業では、原理を覚えるためにピンホールカメラをつくり、35ミリのフィルムカメラでの撮影、フィルム現像と、印画紙の伸ばしが課題になっている。しかし、実際にそれを自分の制作の手段として使うとなると、フィルムや印画紙、現像液などが手に入りにくくなっていたりする。うっかりしていると、メーカーが製造中止にしたりして、印画紙の手持ち在庫はあるのに薬剤がない、ということにもなりかねない。ケミカルな写真というのが、だんだんと趣味の世界になりつつある。

時間と費用が必要な、贅沢な、アートとしての手段になっていくのかもしれない。

2015年6月13日土曜日

撤退

ここ数年、とは言わず、大きな範囲で言えば電子業界というのは、日進月歩である。

先日のことである。
授業で作成したデータをUSBフラッシュメモリにコピーしている学生がいた。授業では動画を扱うので、必然的にデータは大きくなる。ワープロ書類や表計算の書類をコピーするのとはわけが違う。一つのファイルが数GBあるのは、まだ小さい方である。転送速度があまり早くなければ、コピーにもそれなりに時間がかかる。学生さんはそれとて「遅い!」とイライラしたりする。使っていたUSBメモリの規格は2.0、容量は4GB、数年前に買ったものだそうだが、今日のマーケットだと「遅い、小さい、旧製品」である。

5年10年ほど前に使っていたUSBメモリは、1.0、128MBくらいだったことを思い出した。その前はMOというディスク、ZIPディスク、フロッピーディスク、コンピュータをいじり始めた頃は8インチのペラペラした磁気ディスクである。数十から数百KBの容量で、お値段はアルバイト1日分、という印象がある。
ディスクの中身は、ドライブがなくなったら読み出せない。ドライブがあっても、ドライバーがなければコンピュータでドライブを動かすことができない。もちろん、ファイルを見るためのソフトがなければ見ることができない。20年前のフロッピーディスクの中身は、今はもうすでに読み出せないだろう。

平安時代の遺構から木簡が出てきて、解読したら借金リストだった、などという考古学的なお楽しみも、電子業界ではあり得ないかもしれない。
昨日、国内メーカーが光ディスク製造から撤退、というのがニュースになっていた。増えてしまったデータはこれからどうすればいいのだろうか。

2015年6月12日金曜日

崩壊

現役学生が多くなると、真面目な学生が増える。
以前と比べれば、遅刻早退無断欠席は格段に減った。
いやしかし、こんなことは、授業以前の問題だから、あたりまえ、ではあるのだが。

ただ、ここ数年の学生さんを見ていると、高校生を通り越して「お子様」な印象もある。
授業中にやおら立ち上がり、こちらの話を遮って、「トイレに行ってきていいですか」と質問する。
遅刻をしたら、堂々と黒板側の扉から入ってきて、講評の最中なのに遅刻の理由をとうとうと報告しにくる。
授業中のスマホいじり、ライン連絡、ゲームは「あたりまえ」である。
授業中の体調不良は自分で対処する、人の話の腰を折らない、弁明されても遅刻は遅刻、授業に関係ないことは授業中にはしない、といったルールを授業開始前に確認しているにもかかわらず、である。そもそもこんなことを確認すること自体が大学なのか、という気もする。何度注意しても、授業中のスマホいじりは止まらない。あげくに「依存症なんです」と開き直る。依存症なら「学校」ではなく、「他のところ」へ行くべきだろう。

大学の授業崩壊も時間の問題ではないのか、という気もする。

2015年6月11日木曜日

授業

ここ数年だと、少子化の影響もあってか、入学試験倍率が減るようになった。当然の結果として、浪人生というのが発生しにくくなる。そもそも、目的の学科に入るまで粘るような本人の根性と、不景気な今日、家庭のお財布事情がない、という現実問題もある。第二志望であっても入学するので、今やクラスの8割以上が現役である。

現役だと、高校を卒業してそのままやってくる。「授業」というものの認識も「高校」の継続線上にある。
教科書を持ってきて授業時間は席について、前を向いているか、前を向いているふりをしている、というのが、彼らにとっての授業である。

担当している授業では参考書籍を4月に購入してもらっている。これをベースにして授業が進められている。のだが、5月の授業開始前までに書籍を読み込んでくる学生は皆無である。講座が終わってから「あの書籍はいつ授業で使うのですか」という質問があったりする。ややもすると、「教室の講座で読まないのなら書籍は買わなくても良かったのではないか」と言われたりする。

小学校の授業ではないので、「参考書籍」を、授業内に、みんなで同じページを開いて、素読する、ようなことは、大学ではやらない。シラバスに「参考書籍」「参考文献」というリストがあったら、授業前や授業進行に合わせて、期間内に各自で読んでおく、あるいは読み直す、というのが基本である。

と、私は教わったのだが、今の学生さんは、どうもそうではないようだ。

2015年6月10日水曜日

雰囲気

新学期が始まってしばらくはバタバタしている。

授業の内容や課題は、あまり変えないようにしている。しかし、学生の方は学年ごと、クラスごとにかなり特徴がある。学生によって理解度も進行速度も違うので、必然的に対処することになる。授業内容は同じでも、毎年少しずつ伝え方が変わる、というわけだ。ちまちまと授業用の資料を編集し直したり、追加の配布資料を作ったりするのである。学生の方は寝坊しましたとのんびりと教室に入ってきて、参考資料も文献も読まずに、準備皆無で席に着くが、こちらは前日夜遅くまで準備に頭を抱えていたりするのである。

学年ごとに特徴が変わってくるのは、入学試験の受験の方法や科目、もちろん試験内容にもよって違ってくる。もちろん、その時点で18ー9歳くらいの子どもがそれまでに受けてきた義務教育や、学校ごとの教育方法によっても違いが出る。現役が多いか、男子が多いか、私学出身がいるか、地方出身者が多いか、ということも要素になる。25名ほどのクラス編成なので、6月ごろまでには「クラスの雰囲気」というのが出てくるようになる。ムードメーカーがいたり、リーダーシップをとる学生がいたりする場合である。

2015年5月16日土曜日

一新

担当している授業は5月から9月、だから私自身は、10月以降4月一杯は出校しない。
翌年5月に新学年の授業に出ると、ピカピカの新入生に混じって、見慣れた顔がいたりする。
去年は熱心に授業に出ていたのになあ、と思う学生もいたりする。
その学生が、10月以降、どのような人生を送っていたのかはいざ知らず、である。

長い人生のうちで、1年間など、ほんの一瞬である。仕切り直して、気分一新、ピカピカの気持ちで再スタートが切れるのであれば、有意義な2度目の始まりである。

2015年5月15日金曜日

フェードアウト

ちょいとしたきっかけで学校に来なくなり、そのままずるずると来なくなってしまう学生が、ちらほら、いる。
小学校ではないので、大学では、欠席理由を届けることはない。担任の先生もいるわけではないから、欠席理由を調べたり、家庭訪問で様子を見に行ったりすることもない。
勤務校は比較的少人数の学生で、実技系なので管理が厳しいこともあって、長期欠席になると所属している研究室のスタッフがフォローを始める。

私が学生の頃だと、いつの間にか来なくなっていた学生は「宗教関係」にはまるケースがいくつかあった。サークル勧誘の季節に、ビデオ上映会に来ないかと誘われたら宗教勧誘で、そのまま入信。宗教上のルールで共同生活、私有財産はすべて共有財産となり、人生のすべてを宗教に費やす、ように洗脳されてしまう。実家の両親に「信心のため」と100万円の「花瓶」を買わせたので、実家から研究室に連絡があり、発覚したことがあった。研究室では事情を調べて、すわたいへんと対策を練ろうとした。
そんな時に、では連れ戻してきます、と火中の栗、ではなく、宗教施設に乗り込んだ学生がいた。ハマった学生に片思いをしていた男子だった。しばらくすると、女子学生は登校し始めた。宗教施設から出て、社会復帰である。しかし、連れ帰ろうとした男子はまだ帰ってこない。女子学生に聞くと、彼は入信してしまったらしい。彼女が宗教施設を出たのは、お母さんが病気だと人づてに聞いたからだという。男子の影響は皆無だった。

そんなことがあった数年間は、校内のあちこちに「無料ビデオ上映会に誘われても、行かないように」という学生生活課のビラが貼ってあった。今やインターネットで「無料動画」は見放題。今は、どうやって勧誘しているのだろうか。

2015年5月14日木曜日

成果

こういった最終日が理想ではない。

正直ちゃんは、やんわりと注意しただけで、「あまり言うことをきいてくれないんです」と言う。だから、遅刻くんもルーズくんも行為が改まらない。改めるまでねちっこく責めることが大切である。

だから私が担当している授業では、雰囲気が険悪になる前に何度かフォローをする。作業が本格的に進行しないうちに、遅刻が多いのなら、お互いに注意させる。ルーズなら、どうやったらルーズにならないか対策を立てさせる。肝心なのは、グループ内である程度のルールをつくり、自分たちで守らなくてはならない、という雰囲気を作らせることである。自主的に授業に参加している、という自覚がないと、どうしても遅刻くんやルーズくんになってしまう。だから、遅刻くんやルーズくんでもできる仕事を探して任せたりもする。グループワークでは、教員からの注意はあまり意味がない。出席しないと単位あげないよ、という脅しも意味はない。それよりも正直ちゃんにはグループ内で、「これ以上一緒にやれないから、遅刻くんはもう来ないでいい」と決めてしまう選択肢もあるよとこっそり耳打ちしておく。たいていこのあたりで、がっつり話し合ってもらうと、たいていの遅刻くんやルーズくんは消極的な授業参加を考え直すようになることが多い。

極論を言えば、大学の授業は義務教育ではない。いやいや参加するのであれば、やめてもらった方がお互いに幸せではある。
授業としては、いろいろなトラブルがあって、その中で解決方法を探し見出すことができればベストである。もちろん課題としては、良いものができればベストではある。しかし、良いものさえできれば良い、というのとは違う。作品としてはあまりよろしくなくても、トラブルをきちんと解決した方が、はるかに勉強の成果としては大きい。

2015年5月13日水曜日

積もるもの

担当している授業は朝の9時から始まる。前に何度も書いているのだが、授業は時間厳守で開始する。
9時、などという時間は、小学校の始業時間よりも随分と遅いので、来るのはたやすいはずだ。しかし5月を過ぎて、緊張感がなくなってきた学生は遅刻が多くなる。寝坊しちゃいました、で大目にに見るのは楽である。しかし、これが「たが」であり、積み重なってしまうことがある。

2年生の実技授業担当の先生と話をすると、ときどき出てくるのが、「クラスの雰囲気が険悪」。その授業もチームを組んで制作をする。最初のうちは良かったのだが、次第にチームの雰囲気がとげとげしくなってきたらしい。これがもっと悪化すると「荒れる」ようになる。

グループ制作の雰囲気悪化のきっかけは、たいていが些細なことだ。
誰かが遅刻をする。あーごめんごめん、で済ませていると、その学生は遅刻が常習化する。
誰かが、撮影用の準備を怠る、あーごめんごめん、後回しにして、で済ませていると、その学生はどんどん撮影の準備がルーズになってくる。
小さな「あーごめん」が積み重なると、正直に時刻通りに来ているのが馬鹿らしく思えてくる学生が出てくる。遅刻常習2人目である。
ここいらへんで誰かが「カツ」を入れてくれればいいのだが、最近の学生さんは「憎まれっ子」になるのが嫌いなので、黙ったままである。そうすると、準備ルーズくんが準備をすっぽかしたり、ルーズくんが2人になったりする。スケジュールがどんどん後ろに押してくる。締め切りは迫る。正直学生の目がつり上がる。もうチームワークどころではない。すでに雰囲気が険悪である。

最終提出に泣きながら間に合い、講評日である。チームが作品をプレゼンテーションする。遅刻1号もルーズ1号も堂々と「一生懸命頑張りました。作品が間に合って良かったです。良い作品になったと思います」などとコメントしてしまう。正直学生がそこでブチ切れたことがあった。
「あんたほとんど何もやってないじゃないのっっっ。誰のおかげでここに居られると思ってるのよっっっっっっ」
その場で遅刻くんとルーズくんを泣きながら糾弾した。

2015年5月12日火曜日

計画

担当している授業のうち、1年生のクラスでは、たいていが「新入学」してきた学生である。しかし、ときどき「二度目」な学生さんもいる。
私が学生のころは、クラスの1割が「元先輩」だったりした。男性を「先輩」と呼ぶのは、同期生になったので違うし、かといって「さんづけ」でもないし、でも実際には随分とトシが違うので「くんづけ」もいかがなものか、と悩んだりした。

今年も名簿を眺めていると、去年も見たようなお名前がちらほら。

現在はあまりそういうケースはないのだが、私が学生のころは「計画留年」をしている先輩がいた。受けたい授業が期間的に重複していたり、同じ授業を2度受けたい、などという猛者である。
担当していた学科では、非常勤が担当している授業で短期間、その専門の専任教員がいない、などということがあった。
ある先輩はその授業を「計画留年」して、2年続けて受講し、そのまま中退し、その分野でデザイナーとして活躍している。

ことにデザインや美術の分野では、卒業証書が役に立たないこともある。

2015年5月11日月曜日

要注意

勤務しているセクションでは授業時間のスケジュールもあって、担当授業は今週から始まる。みんなよりも少し遅めの新学期、というところだ。学生の方は4月から授業が始まっているので、すでに1ヶ月、ぼちぼち学校慣れし始めた頃、という時分である。

授業も4月初めならまだ緊張感があり、学生さんのぴりぴりした雰囲気がある。しかし5月もゴールデンウィークを過ぎれば、5月病の季節、そろそろ友達もできてだらだらし始める頃である。
私が学生、あるいは助手をやっていた頃は、ゴールデンウィークと夏休み、芸術祭という学園祭期間、それから春休み、というのが「関門」である。授業が少し「間が抜ける」ころに、ドロップアウトする「期間」である。ゴールデンウィークのドロップアウトは「大学の授業内容が期待していたものと違っていた」ので悶々とし始めたり、不本意な滑り止め入学だったのでやはり来年は気を取り直して受験し直したいのが理由で、学校に来にくくなる。少し長い目の休みがあると、どうもその後の欠席は「自主休暇」とみなされやすく、注目されにくい。気がつくと、単位危ないぞ、という状況になっていたりするのである。

これが夏休みだとアルバイトに熱中、芸術祭だとサークル活動に熱中、春休みだと人生別の意味を見出し中、ということが多い。

休み明けの欠席は要注意である。

2015年5月3日日曜日

配慮

同居人がいくつか行っている学校のうち、共学の学校の名簿は、男女の区別を名簿につけてよこしてくれる。これだと、男女の区分がついていいなあ、などと言っていたら、ここ数年は学生のうちで「要配慮」な学生が混じるようになった。

勤務校は美術系つまり実技の学校なので、身体的にハンディキャップのある学生は非常に少ない。たまーに色弱や弱視の学生がいたりするくらいだ。ここ数年でちらほら見受けるようになったのは、LGBTである。勤務校では昔からそういう先生や学生がときどきいたり、オネエ言葉の先輩がいたりしたので、私には違和感はないのだが、いまどきの本人は非常にナーバスになっていたりすることがある。どのように扱ってほしい、という注文が事前についてきたことがあった。
友人の勤務大学は美術系ではなく一般の文系学部なのだが、入試の多様化に伴い、コミュニケーション障害やADHDの学生が入学するようになったらしい。当人あるいは保護者からの申請によって、当人の受講する講座担当者には、「配慮願い」という回覧がまわってきて、指導を配慮するための方法など周知するようだ。

小さな大学、といえど、社会がそれなりに反映された縮図、でもあるようだ。

2015年5月2日土曜日

フリガナ

まあこうやって男女混合のチームにしようとしているわけだが、いまどきの学生さんの名簿では、一見で男女の区別がつきにくくなった。

いわゆるキラキラネーム、というのも多い。美術系の学校であり、親御さんがそっち方面の卒業生だったりお仕事だったりすると、お子さんの名前もコリコリに凝ってしまうのかもしれない。
美希ちゃんは女子、美樹ちゃんが男子、美貴ちゃんが男子、実樹ちゃんが女子、ということもあった。もちろん、読みにくいなあ、という字もある。どう考えても「当て字」以上、もうこれは「クイズかも」というのもある。
そういう名前は、授業初日に出席を取るときに、読みかたを学生に尋ねる。たいていの授業で常に「何て読むの」と聞かれているので、本人はうんざりしているし、周囲も冷笑気味である。

昨年から、教務課から回ってくる名簿にフリガナが併記されるようになった。ご時世、なのかもしれない。

2015年5月1日金曜日

グループ

新学期が始まって、はや1ヶ月。毎年4月に受講生の名簿をもらう。
勤務校では、学籍番号、氏名は50音順。留学生は日本語読みで並べられる。

担当している授業ではグループ作業をする。自由に組んでいたら「仲良し」グループになってしまうので、なるべく名簿順ではなくランダム、男女混合、大学までのスキルの有無など事前に教えてもらって、こちらでグルーピングをしている。学生の方は、このグループで作業するので、頑張ってね、という伝達である。もちろん社会に出れば、見知らぬ人と組むこともあるし、いつも「仲良し」グループでつるめるとは限らない。もちろん、人間的に「いやなやつ」であっても、仕事上では意外に「使えるやつ」だったりすることもある。

ところがこの「男女混合」というのがミソである。全体的に男子は少数派なので、ほっとくと男子だけでつるむようになる。教室の片隅で男子が集まって、頭を寄せ合っておしゃべりしていたりするのである。
授業内で男子グループを組んだこともある。授業成果としては「よかった」ケースよりも、「惨憺」なケースが多い。大抵は、ルーズな学生が混じっているのだが、男子同士だときつく注意をしないので、「ルーズ」がどんどん増えていく。途中で方向転換や気合いの入れ直しはせずに、最後まで走ってしまう。4人のグループなのに、実質的に作業したのは1.5人、ということもあった。
かたや、女子の方が、一般的にはルールを守りたがる傾向がある。「遅刻しちゃだめよー」と叫ぶ。オクテな男子学生だと、ええとこを見せようと頑張ってくれることもある。
一方、女子だけのチームの場合は、おおむね平均点になることが多い。ものすごーく良い方向に転んだり化けたり、ということはしない。予定調和の範囲内、かもしれないが、誰かがドロップアウトしたり、全滅になったりはしない。

体育会運動部のマネージャーが女子、というのは、うまくチームプレーをするときの、コツかもしれない。

2015年4月30日木曜日

お遊び

新学期が始まって、はや1ヶ月。ぼちぼち学生の方も、学校生活に慣れてきた頃か、という感じである。

バブルの頃は、大学生とは「遊ぶ」ものであったのだが、昨今の学生さんは根が真面目なのか、高校生の延長なのか、あまり「遊ぶ」ことをしない。

毎晩クラブに踊りに行くことだけが「遊び」ではない。映画館で映画漬けも「遊び」だったし、博物館で開館から閉館までうろうろしていることも「遊び」だった。図書館、ではなく、神田の古本屋で怪しい本を探し当ててしまうことも「遊び」だった。アルバイトは「社会見学」という「遊び」だったかもしれない。

いまどきの学生さんは、下宿あるいは自宅と大学との往復に忙しい。もっぱら「勉強」に忙しいらしく、あまり遊ばないようだ。学内のお遊び、サークル活動にいそしむような学生は少数派である。
そうして3年にもなると、就職活動に忙しい。
いまどきの学生さんを見ると、ちょっと余裕がなくて、もったいない気がする。

2015年4月28日火曜日

区切り

大学の授業がひとつ区切りがつくと、「授業アンケート」というのが学生に配布される。何回かここでも書いたのだが、文科省のルール、になっているようである。同居人はいくつかの大学を掛け持ちしているが、そちらもそれぞれ同じような「授業アンケート」をとっている。

学生はお客様、というのは、ビジネスとしては基本なのだろうが、教育としてはいかがなものか、という気がする。
「わかりやすく理解しやすい授業でしたか」などという質問は、学生に対しても失礼な気がする。難しい授業だからこそ、きちんと予習復習が必要だし、それにくいついていくだけのモチベーションの維持も必要だ。

「誰にでもわかりやすく理解しやすい」授業にするには、内容のレベルを下げれば良い。しかしこれも何だかなあ、という気がするのだが。

2015年4月26日日曜日

割合

ずいぶんと以前のことである。大学の授業など義務教育でないのだから、来るのも来ないのも学生の自主性である。自由選択授業を担当していた時は、授業では出席など取らない、と言ったこともあった。
きちんとやってくる学生は意欲満々だったりする。そういう時は授業はノリノリである。ところが、たまーに来る学生がいたりすると、全体のモチベーションを猛然と下げる。
またそういう学生は、最終的な課題が提出できないので対象外、つまり不合格になることが多くなる。かなりの割合でドロップアウトした。

ところが、その「割合」について、教務課から「おうかがい」が来た。もともと自由選択授業なので、必修ではなかったこと、卒業に必要不可欠な科目ではなかった。だからこっちもかなり「自由」なスタイルで授業を進行した。数年担当したのだが、毎年「割合」も多かった。開設担当者と相談して、授業は数年で閉講した。まあ授業の「効率」という意味では、リストラの対象にはなるだろう。
その後そのほかにもあった「自由選択授業」という科目そのものがなくなった。学生にも「余力」がなくなってきた時期だったのかもしれない。

そんなのんびりした時代ではなくなり、効率重視な大学経営を目指すようになったためか、必修の授業、選択必修の授業は、「割合」を低くする努力をするようになった。現在担当の授業は、厳しい出欠と管理をするおかげで、出席率は高いし、遅刻も少ない。全員が同じ教室にいるのだが、同じモチベーションで揃っているとは限らない。これが大学のいう「良い授業」なのかは、今もよくわからない。

2015年4月25日土曜日

強引

出席を強要するようなルールをつくらなければ、積極的に参加しない、という態度をとる学生を見つけてしまうことがある。
例えば、授業の最初に出欠を取らなければ、ずるずると遅刻を常習化するようなタイプである。寝坊とか、バスが遅れたとか、忘れ物をしたとか言い訳をする。

そこで、9時ちょうどに出席をとり、出欠をとったら教室内に入室不可ーつまり遅刻はあり得ない、などというかなり強引なルールをつくる。不思議なことに遅刻者は激減する。

自発的、ではなく、外的な要因がなければ授業に来られない、という状況そのものは、大学生としては、よろしくない、のではなかろうか。

2015年4月24日金曜日

ルール

目くじら立てて注意されないとどうなるか、と言えば、最後に結果が待っている、ということになるだろう。

授業にほとんどやってこない、来てもかなりの遅刻常習犯の学生が、最後の最後、進級審査の後に、「どうして不合格なのか」と言ってくることがある。欠席が多かったからなあ、と言うと、「最低の回数は出席しているはずだ」と粘る。

出席簿を確認すると、遅刻の回数を含めて出席と考えていることが判明。遅刻は15分以内が原則で、15分以上の遅刻は欠席扱い、遅刻は3回で欠席1回にカウント、などというルールが、学校によってはあったりする。この手の「カウント間違い」はよくあることで、本人が十分に確認し、計画的に出講計画を立てないといけない。ギリギリでやろうとすると、突発的な事故でアウトになりかねない。

あるいは、ギリギリで出席をしていたのに、試験を受験しないケースもあったりする。せっかく追試を設定したのに、それにも来なかったりする。話を聞くと、受験日を間違えたり、教室配当を間違えたりして、違う授業の試験を受けてしまったケースもある。人生の最後に落とし穴は待ち構えていたりするのである。

もちろん、ギリギリで出席し、試験を受験したが、不合格になるケースもある。欠席中の授業内容ががっつり試験問題だったりする。かなりの白紙になってしまい、途中放棄、という学生もいた。人生どこにでも「運命」は待ち構えているものである。まあこういうケースだと、追試で挽回、ということもある。最初に落ち込んで、全てを投げ打ってはいけない。

2015年4月23日木曜日

目的

ここ数日なぜか「代返」というキーワードで検索がかけられて、こちらに流れてくる人がいるようだ。新学期の合言葉、なのかもしれない。

以前にも書いたことがあるが、「出席する」ことが、受講の目的ではない。受講して学ぶことが、出席する目的である。「単位を取得すること」も、受講の目的ではない。単位は、「おまけ」みたいなものだ。

だから「単位を取得するために受講する」と、目的と手段がすり替わってしまう。学ぶことは目的ではなくなるので、どうやって「単位を取得するか」ということを考える。だから、学ぶために出席するのではなく、単位を取得するために出席することになる。そういう学生は、授業中に爆睡したりスマホいじりをしたり内職したり、するのである。授業内容には興味はなく、取得単位数に興味があるからである。だから出席の返事だけして、教室の後ろのドアからそーっとトンズラしたり、代返をお願いして授業にはやってこない。

まあ、そういうことも目くじら立てて注意しないのも大学である。

2015年4月22日水曜日

ご注意

同居人の授業は、担当し始めた年以来、かなり受講生が多かった。一番多かった年は200人を超えていた。すでに「顔と名前を覚える」ようなグレードではない。
月曜日の5時限目、ほかに選択できる授業がなく、教職課程の選択必修である。まあ「当たって砕けろ」作戦とか、「とりあえず登録」作戦の学生も少なからずいて、それが1〜2割程度である。授業を進めていくうちに、「ほかに人生を賭けるべきものをみつけてしまった」とか、「卒業制作でとても授業に出られるような状態ではない」という学生もいて、これも1割弱くらいになる。ここ数年のケースだと、こうやって2割程度は「単位を出しづらい」事案が発生する。

数年来、こうした事案には速攻かつ妥協なく対応してきた結果なのか、今年の名簿は学生数が80名弱、初めての100名未満である。出席だけでは単位は取れない、毎時間のコメントシートの提出、授業内レポートが多い、最後のテストはもちろんがっつりな記述式である。

であるのに、なぜか授業開始数回は、名簿に名前のない学生が数名「出席」している。受講登録時に勘違いしているのか、教室を間違えているのか、と思うのだが、毎時回収しているコメントシートはしごく「真面目」である。登録していない学生は、皆勤賞でも単位は出ない。
受講科目と開講している講義室、担当教員の「顔」をきちんと照合することが大切である。間違いだよと、誰も注意はしないのが大学である。

2015年4月21日火曜日

違い

同居人の授業が先週から始まった。たいていの大学では、入学式やらオリエンテーションやらがある。高校とは授業のシステムが全く違うので、理解してもらうまでが大変だ。

同居人の勤務校では、授業第1週は「お試し」である。
私が大学生だった頃も「お試し」というのがあったが、今はそういう制度はない。はなから「がっつり」授業である。
同居人の勤務校では、1週目の最後に受講登録、翌週から正規の授業、である。2週目のあたまに受講登録者の名簿が配布される。

以前の大学の講義制度の変更で、現在は半年2単位の講義科目が「スタンダード」である。だから、9月にはじまる授業はまた違う「授業科目」である。しかし、スケジュールを見ると、後期ははなから「がっつり」授業開始で、「お試し週間」がない。なぜかといえば、前期授業開始前の受講登録で、後期授業科目も登録するからである。
後期の授業は「お試し」なしで受けねばならない。味見なし、試着なし、試乗なし、という感じだ。

前期と後期の「お試し」の有無の違いは、なぜなのだろうか。

2015年4月19日日曜日

お持ち帰り

海外旅行者の買い物、というのが話題になっているが、やはりその買い物の現場を見ていると「すごいなあ」と思う。
以前日本人が海外旅行がポピュラーになった頃も同じように見られていたのかもしれない。あれもこれもと高額な商品を選び、店員にホイホイと勘定を頼んでいるのを見ると、不思議な感じがする。
特に面白いのは、繁華街のドラッグストアでも買い物をするようで、店頭のpop、商品名などが外国語表記が併記されていることである。いくらなんでもトイレの洗剤を買って帰るのかと思ってしまう。

同居人の息子は香港住まいなのだが、こちらに来るたびに「買い物」である。独身の頃は、日本にある好きなブランドの服や雑貨、電子ガジェットだったりしたのだが、嫁さんをもらってからは家電量販店に行き、生活家電を買うことが多くなった。先日のお持ち帰りは流行りの洗浄機能付き便座とホームベーカリーである。段ボール箱を抱えて帰ったそうだ。

2015年4月18日土曜日

行列

そういう人なので、都内百貨店ジューススタンドを網羅しておるらしく、高島屋が一番美味しいから、という理由でそこだったらしい。
一緒になってから都内に出歩いても、喉が乾くと「ジューススタンド」である。都内の百貨店なら大抵はジューススタンドが入っている。ミキサーが並んでいるカウンターである。

先日は銀座に出かけて、案の定「喉が渇いたからジューススタンド」になった。松屋の地下にあったよねえ、と階段を降りた。以前のような行列はあるのだが、その列の先の看板は、「フレッシュジュース」ではなく、海外旅行者様用の「免税カウンター」だった。

ニュースで外国人旅行者の買い物が話題になっている。現場で見かけたのは初めてである。外国語が飛び交い、ブランドロゴ入りの大きな紙袋を持った人がたくさん歩いている。景気が良くなったかと思ってしまいそうだ。

2015年4月17日金曜日

待ち合わせ

同居人は食いしん坊である、と知ったのは、知り合って一番最初の「待ち合わせ」場所だった。その頃は、デート、ではなく、仕事関連の打ち合わせに近いものだった。

私の理解の範疇だと、喫茶店、あまり大きくない駅前の本屋さん、出先が決まっていなければ駅の改札口、なんかが、そういった打ち合わせの「待ち合わせ場所」である。同居人は「日本橋高島屋ジューススタンド」であった。
行ってみたらまだ本人は来ていない。約束の時間にギリギリでやってきたら、紙袋を抱えている。食材らしい。

ジューススタンドは地下の食料品売り場に近いので、待つまでの間に買い物をしていたようだ。普通のおじさんは仕事の打ち合わせに食材を抱えて来ない、のが普通だと思っていたのだが。

2015年4月15日水曜日

テーマ

現在は、背広は紳士服屋で大量に吊るされて売られている。サイズの合いそうなものを選んで、微調整してもらう程度で購入である。

今はほとんど見かけなくなったが、私が子どもの頃は町にたいてい「テーラー」というのがあった。洋服の仕立て屋さんである。採寸して、オーダーして、仮縫いが出来上がったら連絡が来る。仮縫いを試着して、仕上がり具合の詳細を打ち合わせて、本縫いにかかってもらう。
手間もお金もかかるものだった。その一方で、好みに合わせていろいろなオーダーができる。ボタンの色や形、位置など、選ばせてくれる。

研究室でお世話になった先生は、銀座の某有名「テーラー」でお誂えである。まあ、基準体型ではない「寸法」の持ち主ではあったのだが。
さて、背広にはオーダーするときにそれぞれの「テーマ」があった。お気に入りは「マフィアスーツ」。黒地に銀の細いピンストライプの入った生地でダブル、裏地は真紅である。もちろん好きな映画はコッポラの「ゴッドファーザー」である。他にも、何気ないグレーのスーツだが、裏地は派手なプリント柄で「江戸っ子なスーツ」。好きな色が「紫」だったので、裏地がその色だと「紫の君のスーツ」。裏地に凝るのがお好きだった。

すでにあの世の人なのだが、向こうではどんなスーツを誂えているのだろう。

2015年4月14日火曜日

天引き

両親が青春真っ只中の昭和30年前後は、「吊るし」つまり、レディーメードの洋服はあまり売っていなかった。
洋服は「テーラー」で、「オーダー」するものだったのである。

父親は就職したときには数ヶ月学ランで通っていた。職場が給料天引きで「背広貯金」をしてくれて、ある程度貯まったら背広を購入して出社だったらしい。
婦人服の方ももちろん「オーダー」である。だから服と同じ生地でバッグや帽子、靴なども誂える、というスタイルもあった。
洋服、には、帽子、が「セット」である。この服にはこの帽子、という組み合わせが決まっていた。丸い帽子箱がたくさん洋服ダンスの上に積んであった。

今は昔、である。

2015年4月13日月曜日

アピール

勤務校は美術系の学校なので、学生もそれなり、である。没個性化ではなく、突出した個性をアピールしたがる学生も多い。就職の現場でも同様である。
スーツを買えない、という理由ではなく、「見栄」でスーツを着ないで面接に行く猛者もいた。

落語研究会に所属していた学生は、広告代理店のプレゼン面接に紋付袴で出かけた。プレゼンはもちろん「社員」や「デザイナー」としてではなく、「落語家」としてのアピールで、度胸とはったりを買われてか合格。
アパレルメーカーに就職したい女子学生は、お姉ちゃんが10年ほど前に愛用していたそのメーカーの「商品」を着て行った。もちろんそれなりにくたびれていて、流行遅れである。他の学生はスーツ、あるいは当該年度の当社の商品だったようだが、重役面接で「懐かしいのを着ているねえ」と目に止められ、会社愛を確認されたか合格。
プロダクションの面接に出かけた学生はなんと普段着だった。卒業制作の最中で徹夜の連続、目の下にクマを作っていたが、よろよろと途中経過の制作作品を見せに行った。なりふりかまわず製作に打ち込む根性を買われてか合格。


受ける方も、採用する方も、そんな時代もあったのである。

2015年4月12日日曜日

ノット

いつの頃からか、「リクルートスーツ」というのがポピュラーになった。
私が大学を卒業する頃にはそんなものはなく、まあオーソドックスな服装で、くらいの感じだった。

男子学生が、就職の面接のために着てくるのは「背広」である。今で言えば「スーツ」なのだろうが、上着にズボン、ワイシャツにネクタイ、という「セット」である。
当日面接があるからと、ネクタイなどしめて登校した日には、みんなで「七五三のようだ」と冷やかしていた。日頃着慣れないものだから、なおさら「借着」状態である。
ネクタイをしめたことがない学生もいて、女子学生に締め直されたりしていた。お父さんの朝の支度をよく手伝っていたらしい。どんなノットにする?、などと鼻歌交じりに聞きながら、日頃の仕返しか、思いっきり首を絞め上げていた。

七五三ではないので、ノットをあらかじめ作ってあって首回りがゴムひもになっているような便利品はないのである。

2015年4月11日土曜日

業者指定

着慣れない制服を着ている新入生を見かけるのも、4月の風情である。

私は中学高校と一貫校で、着るものは全部「お決まり」、つまり「業者指定」だった。ブレザーとスカートはもとより、レインコート、オーバー、セーター、カーディガン、マフラー、ソックス、通学用の革靴、雨靴、校内用の履き物も全部「お決まり」、もちろん学生カバン、副カバンという手提げも「指定業者から指定品を購入」である。よくぞ弁当箱やハンカチ、下着まで「指定」にしなかったと思ったものだ。

こんなにたくさん入学時に揃えるなんてものいりだと思ったら、母親の方は澄ましたもので、これで冠婚葬祭も行けるのだから、かえって「よそいき」をいちいちTPOに合わせて揃えことを考える必要がなく経済的、と言う。妹の方は中学校は私服、高校は制服だったが、公立だったので比較的規制が少なかった。だから「よそいき」も必要だったし、服飾雑貨などもそれなりに必要で、あれこれ悩んだりして選んでいた。


そういう意味で言えば、「制服」とか「お決まり」というのは、らくちんなものかもしれない。

2015年4月10日金曜日

集団

大きな大学のある街を歩くと、ぴかぴかなのは新入生である。たいてい集団で地図を見ながら歩いていたりするのは、「おのぼりさん」な新人である。

今年は「リクルートスーツ」な集団が早稲田通りをたくさん歩いているのを見かけた。例年その時期のその辺りの様子をよく知らないので、就職試験には遅いだろうし、大きな入社式をするような会社があるのかなと思ったら、集団は文学部の校舎に吸い込まれていった。
同行人は、最近はこうなのよ、と言う。みんな似たようなスーツで入学式も卒業式も就職試験もまかなうらしい。制服のない学校であれば、日本人的には便利、らしい。

中学高校の制服ほど「おんなじ」ではなく、微妙に違うのだろうが、ほぼ「同じ」服装の集団を見ていると、不思議な気がする。

2015年4月9日木曜日

ぴかぴかの

4月になると街中に「新人さん」が溢れる。
「ぴかぴかの1年生」というコマーシャルがあったが、幼稚園、小学校から新入社員まで、「ぴかぴか」だらけである。

子どもの入学式や入園式に出るためのお母さん、というのは一目瞭然である。ここ数年はパステルカラーの明度の高い上着とスカート、というのが「ポピュラー」なようである。百貨店に行くと「セレモニースーツ」などというコーナーがあったりする。冠婚葬祭用フォーマルとは違って、カラフルである。
子どものほうはたいてい「よそいき」の組み合わせで紺やグレーが多い。お父さんの方もいたって普通の紺やグレーの背広、だからやけにお母さんばかりが目立つような気がする。

ぴかぴかの1年生、ではなく、ぴかぴかのお母さん、が多い季節である。

2015年4月8日水曜日

サービス

そんなことを考えながら道端を眺めていると、1階に新しいテナントが入ったマンションを見かけた。数年前のことである。
「デイサービス」という看板である。
このあたりも、高齢者が増えたんだなあと思って、看板を見直してびっくりである。「学童デイサービス」だったからだ。

今どきの核家族の家庭であれば、確かにこういったサービス産業がなければ、放課後帰った時に「誰もいない」状況はありがちである。親としては、誰もいない家にいるよりも、お稽古で「暇をつぶす」ことをまずは考えるわけで、その大きな受け皿の一つは「塾」なのである。
だから子どもの方も、「成績を上げたい」「勉強のわからないところを丁寧に聞きたい」という積極的な学習意欲があるとは限らない。やたらやる気がなかったり投げやりだったりする子どもも、いくばくかはいるそうである。

子どもも親も、大変そうである。

2015年4月7日火曜日

多忙

今日この頃の家庭環境を反映して、塾というのはそれなりにポピュラーなお稽古である。

都内の私学の小学生は、毎日異なったお稽古に通うという話を聞いたことがある。月曜日はスイミング、火曜日はピアノ、水曜日は英会話、木曜日はお絵描き、金曜日は塾、などという状態である。子供は数人がグループになっていて、同じお稽古事をしており、送り迎えは母親が交代でやっている。月曜日は景子ちゃんのママが来て、火曜日は恵ちゃんのママが来る、という状況である。

お子様は忙しい、とよく言うが、様子を見ていると忙しいのはママの方である。
私学では「学童保育」というシステムがないところが多いので、放課後の「時間」をどうやって「しのぐ」かが問題であるからだ。

2015年4月6日月曜日

防止策

同居人はボケ防止も兼ねて、週に1度は塾の先生をやっている。
いまどき流行のスタイルの塾である。ビルのワンフロアに机とパーティションがぞろぞろと並んでいて、先生一人にが子ども1−2名を担当するスタイルである。家庭教師よりも割安、ということらしい。

そうなると、小学5年生と中学2年生を同時に教える、というケースになったりするらしい。聖徳太子じゃあるまいし、どうやってやっているのだろうと思ったら、塾が配布する問題集をベースに指導するのだそうだ。学区によって教科書や進行具合が違ったりするのは、問題集の進行に沿うことで解決するらしい。問題集をやって分からないことを質問する、という方法なので、家庭教師のように子どもにつきっきりではなくても済むらしい。同居人にとっての「問題」は、子どもが分からないことに即答できるか、ということだけらしい。

まあでもそういうことなら、ご家庭で宿題をするときに家人が誰かつきあえば良いことなのだろうが、いまどきのご家庭ではそういう習慣はないらしい。共稼ぎ家庭であれば家人は居ない。妹の家を見ていても、学童クラブで宿題を済ませるか、祖父母が見るか、という状態が多かった。

2015年4月5日日曜日

おケイコ

同居人はおケイコが好きなたちである。何か新しいことを始めようとすると、すぐに入門書を買ってきて、お教室や講座を探す。
妹の相方はおケイコが嫌いなたちである。家人の誰かが新しいことを始めようとすると、お教室や講座ではなく、独学自学の効用を説くらしい。

新しいことを始めようとするときに、どうやって始めるか、どのようにモチベーションを維持するかということは、当人によって違うものだ。同居人は母親が「おケイコごと」好きなたちだったそうで、小さな頃からさまざまな「おケイコ」をしていたらしい。
ある意味で「教わる」ことに慣れている一方、いまどきのコンピュータのトラブルシューティングのような「自分で解決方法を探す」ようなことは苦手である。

2015年4月4日土曜日

急ぐ

東京ではここ数日が桜の花見時である。
都心を移動していると、ちょっとしたところで桜の木があるなあと思う。川べりや公園、学校などは定番である。たいがいはソメイヨシノという種類である。同じ種類だから、同じ時期に一斉に、右へならって、咲いていく。

染井にある墓所には、大きな桜の木があった。明治の頃からそこの墓所を使っているのだが、いつ植えたものなのだろうか、私が行き始めた頃には、その墓苑でもひときわ大きなソメイヨシノがあった。おそらく植えた人はそんなに大きくなるとは思っていなかったのだろう、その桜の幹は、太くなりすぎて隣の墓石によっかかり、根が地表に出てきてその近くの墓石を傾け始めた。台風のときに大きな枝が折れて、境目の垣根の木を倒した。大きな枝が折れると同時に、ほかの枝が枯れ始めた。枯れた枝はやはり風で落下しやすくなる。それより何より、根が傾けている墓石は、墓所内のいちばん大きな墓石だった。まあ今日明日に倒すことはないだろうが、桜の木の様子から言うと、枯れるのが先か、墓石が倒れるのが先かなあ、と植木屋が言った。
結局桜の木を伐採することになり、同時に墓所も整理することになった。

ソメイヨシノは成長が早い。あっという間に大きくはなるが、一方で寿命が短いとも言う。墓所を使い始めた頃に植えたのであれば、6−70年にはなっていただろう。花と一緒で、短い間に生き急ぐ木でもある。

2015年4月3日金曜日

気合い

1日はエイプリルフール、面白い絵空事ニュースをBBCがやっていたりする。記憶にあるのは空飛ぶペンギンとか、シェイクスピアの国籍だったりした。
昨今はインターネット上で、企業がかなり気合いを入れたサイトをつくるようになった。Audiの高級サルーンに炊飯器、というのは見るからに「ギャグ」だが、問い合わせた方に「ロゴ入りしゃもじ」プレゼント、というのは「リアル」、というネタもあった。

ことにインターネット上の情報、というのは、「嘘」と「事実」の間隔がつかみにくい。エイプリルフールの仕掛けで言えば、つくる側は、その「リアルさ」を使った表現を狙ってくる。受け手が「嘘」だと思わなければ、つくる側の「勝ち」なのだろうが、それが「リアル」であると感じてしまってもいいのだろうか、と思うほどの「気合い」が増えているような気がする。

いまどきの学生さんと話していると、メディアの伝えることを鵜呑みにする傾向が強くなっているような感じがする。エイプリルフールねたに気合いが入りすぎると、どこかで箍が外れてしまうような気がしてならない。

2015年3月31日火曜日

古典

その美術館の講座で古典技法を扱ったことがあった。技法としてはテンペラというもので、油絵以前の絵画技法である。講師は日本の中ではテンペラ技法のオーソリティーだが、いたくざっくばらんな人である。
講座が始まって開口一番、「古典技法ですから、教え方も学び方も古典でいきます」。つまりテキストなし、ノートなし、スマホで写真も当然なし、ひたすら講師の手元を見る、という方法である。現代人は「記録」することで安心してしまい、その先にはなかなか進まないもの、だからだそうだ。

くだんの課題にせよ、「記録する」ことを課題にせずに、「記憶して再生する」という方法をとってくれれば、講座に参加して記録することに熱中することもないだろうと思うのだが。

2015年3月30日月曜日

参加

20年ほど前は、美術館の教育活動が盛んになった時期で、たくさんの「見学者」がやって来た。ある講座では、参加者よりも見学者の方が多かったくらいである。小学校の公開授業ではあるまいし、後ろにずらっと並んだ大人を見ながら活動をするのは、なんだかやりにくいものである。

関わっている美術館の活動は、自分で見て、体験して、発見することがベースになっている。だから「後ろ」から見たところで、参加者の「実際のところ」は見えにくい。最終的な成果物に評価が出るわけでもないので、活動が「有意義」であったかどうかは、参加者の「気持ち」だけでしかない。

結局ある時期から、見学者としてではなく、参加者として中に入ること、記録を取ることを目的に参加しないことを促すようになった。活動中はレポートのためのメモや記録を取らないことが基本である。傍観者としてではなく、当事者として活動を体験することの方が、ずっと有意義だと思われるからだ。

2015年3月29日日曜日

記録

ところで、「ワークショップ」を教育活動として意味付け、その活動そのものを「研究」する学問がある。手法そのものを研究することは、難しいことなのかもしれない。前述したように、「ワークショップ」の語義がさまざまであるように、開催目的や活動手法もまたさまざまである。類型化は出来るかもしれないが、「開催要領」のようなものはつくれない。関わっていた美術館の活動も、常に「暗中模索」で「試行錯誤」している。定義化できない活動、とも言えるだろう。ケースバイケース、同じものはない。

ある学校の授業では、「ワークショップを研究する」科目があり、そのための課題として、「社会教育施設で行われるワークショップに参加して、その記録を提出する」というのがある。
関わっている美術館の活動に、ときどきその受講生がやってくる。主催者あるいはエデュケーターとしては活動に没頭してほしいのに、受講生は写真を撮りメモを取り、活動には熱中しない。
何にために参加するのか、と言えば、「レポート作成のために記録する」である。活動に参加するためではない。

2015年3月28日土曜日

定義

美術館の教育普及活動を手伝っている。年に2−3回ほどの開催である。
活動は「ワークショップ」という名前がついている。開館当時から同じ名称で開催されているので、既に25年ほど続いている。

さて、「ワークショップ」という名前を、最近は良く見かけるようになってきた。小さな講座や講習会にも、ワークショップという名前がついていたりする。英語本来の意味で言えば、工房やスタジオほどのことなのだが、日本で使われると意味が転じたり、複層的な意味が生じたりする。講座や講習会に使われている「ワークショップ」という言葉も、使う人や業界によっていろいろな意味がある。造形物を作成する講座、コミュニケーションをはかるための活動、グループで問題解決のための手法を探る練習。ワークショップって何、と聞かれると、はっきりと定義付けが出来ないのが現状である。

2015年3月27日金曜日

安心

東日本大震災のときに、津波で流されたアルバムや写真の復元作業と言うのが話題になった。写真関係の学生などがボランティアで復元作業をしていたのが、しばしばニュースで取り上げられた。
復元できるのは印画紙、あるいはネガで回収されたものである。泥や砂、汚れを落として、複写、レタッチなどの作業をして、また紙の状態にするのである。
ところが、光ディスクやメモリーカードで回収されたものは、読み込めるか読み込めないかの、二者択一、状況によっては読み出し装置にかけたくないものもあるわけで、どちらかといえば「復元」という段階には至りにくい、という話を聞いた。

実家でも、たくさんある写真をデジタル化しようか、という話をしているようだが、それが10年ほど前なら、フロッピーディスクに入れようとしていたわけだ。その頃に使っていたリムーバブルディスクで生き残っているものはない。フロッピー、MO、ZIP。それより前の人と話をすると、5インチ、8インチ、などという話題になる。ディスクは「生きている」かもしれないが、データを読み出す装置があるかどうか、わからない。装置があったとしても、いまどきのコンピュータがその装置を動かせるかどうか、わからない。

結局安心なのは、紙の上、であるのかもしれない。

2015年3月26日木曜日

便利

機械はもちろん、デジタルデータと言うのも、当面は便利だが、長期的にはいかがなものか、といったものが身の回りに増えてきた。

写真がデジタルデータになった時も、便利だなーと思ったものだ。フィルムの現像処理が不要だし、保管していたネガのカビを心配する必要がない。
ところが数年経ってみると、カメラの技術進歩は目覚ましいものがあり、同じグレードのカメラでもどんどん撮影解像度が上がってくる。たった数年で、同じカメラでも、ハーフサイズがブローニーくらいの解像度になるのである。
えらいことになったなあ、と思った。フィルムで撮影していた頃は、手持ちのカメラボディは父親譲りの20年選手、自分で買ったボディも10年以上使っていて、その間ぼちぼちとレンズを買いそろえた。ところがデジタルになると、数年でボディはもう交換、という羽目になる。減価償却するような耐久財ではなく、もはや消耗品である。デジタルデータで作業するようになって10年ほどだが、既にカメラのボディは4台目である。もちろん代替わりしたものは解像度が低いので、バックアップにはなりにくい。値段がつくうちにセコハンにするか、型落ちでもいいから使いたいと言う人を捜すことになる。

デジタルになって、フィルム代や現像代がかからない、と思っていた。しかし、それ以上に、機材に金がかかる。時代が変わろうと、金がかかるようには、なっている。

2015年3月25日水曜日

クラッシュ

毎年1度のことなのだが、小さな各種学校で、恒例の仕事がある。たいてい年末にご都合伺いの連絡が来て、先方と何度かやり取りをして、作業日の3月末を迎える。
昨年はこの「ご都合伺い」の連絡がなかったので、今年はお役御免かなと思っていたら、3月に入ってから封書が届いた。例年通りですがよろしく、という趣旨である。ご都合など伺わず、問答無用である。
なぜなのかと思っていたら、翌週事務担当者からメールが来た。コンピュータがクラッシュしてデータが全部吹っ飛び、連絡が遅くなった、というのである。「15年分の事務書類のデータで、Liveメールのデータも喪失したため、連絡できなかった」らしい。
同情には値するかもしれないが、個人の作業所ではあるまいし、15年分のデータをふっとぶようなマシンに全部入り、という状況が考えられない。バックアップとか、ミラーリングとか、リムーバブルで保管とか、しなかったのかと思った。しかし、当の事務職員は15年以上前、コンピュータの導入前からいるわけで、そもそもコンピュータを使うことが前提でない時代で、当人ももちろんコンピュータ利用のエキスパートではない。

機械は信用できない、というのが、機械を扱う時の合い言葉である。おかげで紙の書類もなかなか減らせない。

2015年3月23日月曜日

心得

年度末、と同時に、新学期の準備、というのも始まる。国立大学の合格発表が終われば、新入学の学生数はほぼ確定する。名簿の作成や、教室の準備、新入生のガイダンス用の印刷物の作成などが始まる。

勤務校から来るのはシラバス程度、あとは総務から事務手続き書類が若干来る程度である。毎度の話なので、こんなものか、なのであるが、初任者には心もとない書類の数かもしれない。

同居人の勤務校からは、今年はかなりたくさんの書類が届いていた。新入生の心得、ばかりではなく、非常勤講師の心得、という冊子付きである。どこで出勤をチェックするか、出席の取り方はどうするのか、といった細かな指示である。講師控え室にあるコピー機のコピー単価が並んでおり、学生への配布物作成にプレッシャーをかけている。その一方で、電子書類配布用のサーバーを導入したようで、サーバー利用の手引きと言う冊子も同梱である。

いわゆる「ゼロックス」というコピーマシンがなかった時代は、授業時に配布書類などなかった。身近になったおかげで、授業時の配布書類と言うのが飛躍的に増えた。理由の一つは、テキストにする書籍が、帯に短かったりたすきに長かったり、講師の書いた文章や参考資料を集めたものだったりするからだ。もう一つは、書籍を読め、と言っても学生は読まないので、授業時に配布してその場で読ませる、という方法に移行したからだ。書籍を買ってしまうと、大事に本棚に残る可能性もあるのだが、コピーで渡されると授業が終われば散逸してしまう可能性の方が大きい。将来的にどちらの方が「財産」になるか、と言えば「書籍購買」なのだろうが、学生さんの方は目先のお財布の中身の方が大切なので、「書籍購買しない」選択の方が多い。
コピー代金よりも、電子書類配布用のサーバー設置の方が安上がりなのかもしれない。コピーされた配布書類であれば、何かの折りに見直すこともあるかもしれないが、電子書類であれば消去するのは簡単である。もっと記憶に残りにくいのではないかと思ったりする。

微妙に便利、な時代ではある。

2015年3月21日土曜日

セクション

3月の半ばを過ぎると、学校の方は新学期の準備に忙しくなる。たいていは事務書類のやりとり、お知らせや学校の規則など印刷物の送付などである。

大学の場合、授業をやっている「現場」と、事務作業をやっているところとは、セクションが違うことが多い。教えている「現場」は、専攻分野の「学科研究室」である。教える「現場」を統括しているのは、事務方で言えば「教務」とか「学務」とかいうセクションである。しかし金銭関係は「教務」「学務」ではなく、「経理」「財務」とかいうセクションである。
授業内容は「学科研究室」とご相談であり、講師諸届け事務書類の受理、住所録の作成や身分証明書は「総務」が担当する。授業のシラバスの提出や学生名簿の管理は「教務」や「学務」、講師料のお支払いは「経理」「財務」が担当である。

以前に仕事をした学校で、講師料の支払いが遅れていたことがあった。総務部に問い合わせたら、講師のことなら、と学務部に回された。学務部で問い合わせたら、講師料のことなら担当セクションを呼び出せ、という。それはどこか、と聞くと、財務部経理課教務担当プロジェクトチーム第2グループ、というのがそのセクションだそうである。問い合わせたときに、交通費の支給についても聞こうとしたら、担当が違うので問い直すように言われた。それはどこか、と聞くと、財務部経理課教務担当プロジェクトチーム第4グループ、というのがそのセクションだそうである。
ずいぶんと多人数で組織化され、細分化された経理課だなあと思ったのだが、内部の人によると「隣の席」なのだそうだ。人によっては三つくらいの「グループ」を兼務しているようで、単に「セクション名が多い」だけのようである。これは能率的な事務組織なのだろうか。


大人の考えることは謎が多い。

2015年3月20日金曜日

行事

ぼちぼち勤務校も卒業式の季節である。そういえば、街中で袴姿で花束抱えた女の子がうろうろしていたりする。あちこちでそういうセレモニーがある季節である。

非常勤、というのは、単なる授業時だけのパートタイマーな人なので、学校の周年行事には関係がない。ことに勤務校のように、常勤の5倍ほどの非常勤がいる、という状況ではなおさらである。
同居人の勤務校では、卒業式や入学式のご案内が来る。そちらの学校では、非常勤があまり多くはないのだろう。勤務校でそのようなご案内が来て、まかり間違って非常勤全員が来たりしたら、かなりの席数が必要になってしまう。
同居人の勤務する短大からは、謝恩会のご招待も来る。こちらの方は学生数が少ないこともあって、アットホームな雰囲気の学校で、同居人は楽しみに出かけていたりする。勤務校では非常勤へのご案内はない。講師数が多すぎるという判断なのだろう、学生数の2/3ほどの講師数では、割が合わない、という計算なのかもしれない。いまどきの謝恩会とは「謝恩」ではなく、自分たちの「卒業記念パーティー」のようである。

周年行事も、学校それぞれである。

2015年3月17日火曜日

後味

締め切りぎりぎりに提出、というのは、人の性、なのかもしれない。粘り強く、ぎりぎりまで推敲を重ねている、というのがベストなのだろうが、この手合いの提出物は悲しいかな多くはない。

学生は、ほかの学生の動向をよく調べていたりする。傾向と対策を立てるのは、学生の性、である。どうも、提出物が締め切り間際に多い理由は、ぎりぎりで出せば情状酌量してくれる、という「伝説」があるらしい。ときどき、提出物に「お手紙付き」というのがあったりする。
「今年度の卒業に併せて教員試験を受験します。よろしくお願いします」。
つまり、提出課題がクリアできなければ、卒業見込みにならず、教員試験も受けられない、ということである。

提出物は残念ながら及第には満たない。締め切り間際ではなく、1ヶ月前に提出してくれれば、再提出が間に合ったのである。取得単位がぎりぎりではないことを期待して、再提出のはんこを押す。

年度末は、こういったケースがいくつかある。ルール通りに提出され、ルール通りに採点しているとはいえ、多少後味はよろしくない。これを教訓に、ぎりぎりではない人生を送ってもらいたいものである。