2015年7月9日木曜日

現実

「遅刻ネタ」というのはたいていステレオタイプである。「遅刻」ということに特別の意味があったりメッセージがあったりするわけではない。「遅刻しがち」であるという習性も、特別なことではない。だから共感しやすい、ということはあるのだろうが、19-20の「いいトシ」をした学生が取り上げる「テーマ」としては、いかがなものかという気がする。

クラスにはたいてい数名の「遅刻常習犯」がいる。
授業が始まってから数分で「すいませーん」と言いながら、教壇側の扉から堂々と入り、教卓の前に立ちはだかって「遅刻しました〜」とこちらの話をぼっきり折って報告する。
寝坊ならその程度だが、事故やハプニングなどという「正当な遅刻の理由」があるときは、その場で延々と遅刻の理由を述べる。わざわざ最後列まで通路をのんびり歩いて席に着く、などという「罪悪感ゼロ」な学生もいる。
お客様は神様だ、という言葉が脳裏をよぎる。

健康上の理由で、などというもっともらしい理由があることは稀である。
たいていは、遠距離通学の学生ほど早い時間に登校する。数分の電車の遅延が、つもりつもって数十分になるかもしれないからだ。
親の介護、という年齢でもない。
自分で学費を稼いで夜も昼もない、という学生も稀である。以前にそういう学生がいたが、明らかに授業時間の集中度が違う。休み時間は机に突っ伏して爆睡しているが、授業が始まると起き上がる。雑談をしてわかったのは、余暇どころか睡眠時間がほとんどないからだった。

授業ではなく、自分の好きなことには遅刻はしないのかもしれない。しかし初デートで遅刻したら、相手の印象は良くない。スポーツの試合では有無を言わさず「棄権」である。社会に出れば、一度の遅刻でその後の人生が変わることもある。後輩がロケ撮影の初日に遅刻したら、翌日に「あれ、まだいたの?」と言われたらしい。言外に「クビ」である。

時間にルーズな学生は、仕事もルーズになりがちである。資料やデータ、ノートの整理も苦手な傾向がある。こうなるともう一緒に仕事はしたくないタイプナンバーワンになってしまう。学校では「クビ」はないが、社会では「つまはじき」である。

学生には、数十年先のことなど見えていないのだろう。こちとら、「使える卒業生」も目指して授業しているのだが。

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