機械はもちろん、デジタルデータと言うのも、当面は便利だが、長期的にはいかがなものか、といったものが身の回りに増えてきた。
写真がデジタルデータになった時も、便利だなーと思ったものだ。フィルムの現像処理が不要だし、保管していたネガのカビを心配する必要がない。
ところが数年経ってみると、カメラの技術進歩は目覚ましいものがあり、同じグレードのカメラでもどんどん撮影解像度が上がってくる。たった数年で、同じカメラでも、ハーフサイズがブローニーくらいの解像度になるのである。
えらいことになったなあ、と思った。フィルムで撮影していた頃は、手持ちのカメラボディは父親譲りの20年選手、自分で買ったボディも10年以上使っていて、その間ぼちぼちとレンズを買いそろえた。ところがデジタルになると、数年でボディはもう交換、という羽目になる。減価償却するような耐久財ではなく、もはや消耗品である。デジタルデータで作業するようになって10年ほどだが、既にカメラのボディは4台目である。もちろん代替わりしたものは解像度が低いので、バックアップにはなりにくい。値段がつくうちにセコハンにするか、型落ちでもいいから使いたいと言う人を捜すことになる。
デジタルになって、フィルム代や現像代がかからない、と思っていた。しかし、それ以上に、機材に金がかかる。時代が変わろうと、金がかかるようには、なっている。
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