2015年3月29日日曜日

記録

ところで、「ワークショップ」を教育活動として意味付け、その活動そのものを「研究」する学問がある。手法そのものを研究することは、難しいことなのかもしれない。前述したように、「ワークショップ」の語義がさまざまであるように、開催目的や活動手法もまたさまざまである。類型化は出来るかもしれないが、「開催要領」のようなものはつくれない。関わっていた美術館の活動も、常に「暗中模索」で「試行錯誤」している。定義化できない活動、とも言えるだろう。ケースバイケース、同じものはない。

ある学校の授業では、「ワークショップを研究する」科目があり、そのための課題として、「社会教育施設で行われるワークショップに参加して、その記録を提出する」というのがある。
関わっている美術館の活動に、ときどきその受講生がやってくる。主催者あるいはエデュケーターとしては活動に没頭してほしいのに、受講生は写真を撮りメモを取り、活動には熱中しない。
何にために参加するのか、と言えば、「レポート作成のために記録する」である。活動に参加するためではない。

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