2012年4月9日月曜日

正解

新学期、1年生のクラスの会話は、出身校や出身予備校のグループを中心に始まる。全員がぴかぴかの1年生、である。

がむしゃらに数をこなせば何とかなるかも、という体力系の発想は、お勉強だけで入ってきた学生さんには通じないことがある。

美術学校の課題では、ペーパーテストのような「正解」はない。上手/下手、スキルがある/ない、課題の要求に対してOK/NG、といった尺度はあるが、このようにつくれば「正解」というのはない。どのようにアプローチするか、といった過程も含めて評価されることが多い。それは、石膏像をどのようにデッサンするか、といったことと同じだ。高評価のデッサンとうり二つの絵を描けるはずはないが、同じように高評価を得ることは違う描き方でも出来る。

数年前にびっくりしたのは、課題を提示した後、質問にやってきた学生が「高評価をとった参考作品を見せて欲しい」と言ったことだった。前後して、「どのように制作すればいいのか」と微に入り細に入り具体的な質問を、連日のようにし始めたのである。

これはきっと何かを「つくった」ことがない、ペーパーテストしかやったことがないのかもしれない、と思ったのは数日経ってティーチングアシスタントと話をしたときだった。彼が作業の指導をしていると、何につけても「こうした方が評価が高いのか」「どうつくれば高評価がとれるのか」と、その学生に問われるのだという。たいてい、他の学生は、技術的なこと、機械の扱い方、段取りなどを聞いてくる。最終的にどう評価されるか、ということよりも、とりあえず作品をどうやって完成させるか、あるいは完成度を上げるか、ということの方が質問の主体である。
「作品をつくる」ことではなく、科目で高得点を取ることが学習の目的なのかねえ、という違和感をふたりで確認し合った。失敗してもいいから、プロセスを学ぶという発想はないのだろう。美術学校の学生さんらしくないかも、と思うのは「古いタイプ」だからなのかもしれないが。

しかし、卒業証明書や科目履修証明書に、成績が併記されていただろうか。どちらにしても、卒業して、社会人とし仕事を始めてしまえば、学生時代の成績評価は関係はないような気がするが。

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