2012年4月2日月曜日

虚像

写真にしろ、動画にしろ、レンズによって被写体は何かのメディアに記録される。それは作者の手から直接生み出されるものではなく、間接的に生成される。

フィルムで写真を撮影していると、こんな目に遭う。
ふとした拍子に裏蓋がぱかっと開いてしまう。
撮影し終わったと思ったら、フィルムの装填ミスで、巻き上げられていなかった。
もしくは巻き上げすぎて内部でフィルムが切れて絡まっていた。
現像タンク用のリールにフィルムを巻き損ねた。
現像し終わって乾燥したら、フィルムが「素抜け」あるいは「真っ黒」だった。

撮影の苦労が一瞬にして水泡と化す瞬間である。私の場合は、アタマの中が真っ白、とか、目の前がスローモーションとか、そんなものではなく「っっっっっっっっっっ」。
機械相手の表現では、機械を信用しすぎてはいけない。おかげで機械の確認をおさおさ怠らないというのが習い性になった。撮影時に各種設定や露出を再確認してしまうのが癖になった。突然のシャッターチャンスにはとても弱いし、今時の学生さんみたいにあちこちしゃかしゃかとスナップしながら町中を歩くことも苦手だ。家に帰って撮影した「あがり」を確認するまでは、落ち着いていられないので、撮影後はあいさつもそこそこに、そそくさと帰宅する。
もとが小心なだけに、心配性にも輪がかかってしまった。

未だに、「水泡と化す」ような夢をよく見る。撮影記録のメディアをコンピュータが認識しないとか、中身をうっかり消去してしまったりする。あっっっっという間に、努力も苦労も消えてしまうのである。わっっと叫んで目覚めると、冷や汗をかいていたりする。すでに立派なトラウマである。
アナログからデジタルへ、技術が発達しても、小心者にはあまり関係はない。

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