教わる側にとっては、わくわくな新学期である。
教える側にとっては、ちょいと荷が重く感じる新学期でもある。
教える方は常に「ナマモノ」を扱っているわけだから、毎年同じルーチンワーク、というわけにはいかない。毎年同じジョークで同じ反応が返ってくるわけではない。ある大学教授は毎年も、何十年も、同じ授業、同じジョークという「伝説」があったりする。逆に何年も同じように授業を続けられることの方がかえってすごい気がする。私の場合は、相手、つまり学生によっては、内容を足したり、引いたり、という作業が常に発生するからだ。
影響が一番大きいのは、高校までの授業の内容である。日本史と世界史の選択、地理や地学の選択、技術家庭科や美術の履修時間の変更、どの教科であっても学習内容の変更などは、如実に影響する。社会に出れば「コモンセンス」であったりすることが、「教わっていません」のヒトコトで「無知は武器」に変貌する。「教わっていない」ことは「知らなくて当然」だったりするようである。
第二次世界大戦や朝鮮戦争といった近代史、釘の打ち方やノコギリの使い方などの大工仕事、図書館の使い方や、美術館の楽しみ方、専門領域の学習でなくても、知っておいた方がいいなあと思うことはたくさんある。
今年の「知りませーん」は何だろうか、ちょいと気になる新学期である。
0 件のコメント:
コメントを投稿