さて、くだんのプランである。
授業では「あたって砕ける」、砕けたところで考える、ことがモットーである。
こっちがやってみた方がいい、よくない、と助言したところで、それは彼らにとっては蓄積された経験にはならない。いまどきの学生さんは指示待ち症候群であったり、こちらの意図をかなり正確に読み取ってそれに添って作業しがちだったりする。学校は、さまざまな試行錯誤をする社会に出る前の最後の場でもある。
粗編集が終わった試写では、たいてい他の学生からきついコメントがつく。
「何を撮影しているのかわかりにくい」「どこにピントを合わせたいのかわからない」「手ぶれが大きいので、見やすい画像とは言えない」
ここいらへんで当人が「斬新」かもしれないが、「伝わりにくい」ということを自覚する。
私よりも、同世代の、同級生のコメントの方が、学生にとっては効果的である。
当人が何を伝えたかったのか、ということが、作品の原点であり、「コンセプト」になる。実験映画という表現ジャンルでない限り、「斬新な手法」は、テーマやコンセプトにはなりにくいものなのである。ことにフィクション、ドラマでは難しい。例えば3D映画という新手法が用いられたから優れた映画、ではないのである。
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