美術学校では、実習を中心にした授業が多い。
たいがいは、「課題」と称したお題が出題され、それに対して学生さんは個々のアプローチをして作品として仕上げて提出する、というかたちになっている。
例えば、デッサンの授業なら「裸婦」とか、「馬頭」なんかが「お題」になるわけである。
英語のテストなんかと違って難しいのは、製図の授業のようにある程度の「正解」のあるものと、そうではないのもがある、ということだ。
もうひとつは、設定された授業目標と課題の関係だ。デッサンの授業で裸婦をキュービズムで表現したら「アウト」かもしれないが、「絵画」や「制作」というアプローチの授業であれば「セーフ」であったりする。
最近とみに難しいのは、「アート」と「デザイン」の境目であったり、「表現」に対する世間的な許容範囲の解釈だったりするのかなあ、と思う。
例えば、デザインの方法に近い「課題」であるにもかかわらず、「アート」してしまうケースがあったりする。学生であれば、まあいいか、で済んでしまう(済ませてしまう)ことが多い。なぜなら、そういった作品を提出する学生に対して「アートとは何か」「表現とは何か」などと議論しても始まらないからだ。わかっていないから、そういった作品になってしまうのである。
「課題」であれ、講義の授業の試験やレポートであれ、基本的なことは「出題者の要求を正確に読み取る」こと、それに対して自分の「答え」を提示することだ。
最終日の講評には、さまざまな作品が並ぶ。
出題の意図に添ったものが提出されているのであれば、「間違い」だとは言われない。ちょっとフェーズがずれてしまったり、「思い違い」である可能性はあるだろうが。
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