映像をつくる、という作業の中で一番楽しいのは、音の作業だろう。
映像の音の話に限らず、「音」と言えば、日本人の音の感覚がよく挙げられる。
英語では、soundとnoiseとは違うものだと教わるが、日本人にはあまり違いはなく「音」である。
我々は秋に虫の声を聞いてそれを愛でたり、季節を感じたりする。西洋人にとっては単なるノイズ、という感覚なのだそうである。
生活していて一番違うなあと思うのは「生理的な音」に関する反応だ。そそとしたおばさまが、大きな音で鼻をかんでいたり、見目麗しい若い女性が派手なくしゃみをしていたりする。一方で、トイレの消音装置など、西洋人にはびっくりだそうである。
クラシックのコンサートのレコーディングで、日本人がエンジニアだと観客のクシャミや咳など極力目立たないようにミキシングするのだと言う。演奏中にそういった音が入ってくるのは、あちらの方がミキシングしているケースが多い、と教えてもらった。彼らにとってそれらは虫の声と同じ「ノイズ」、つまり脳みその中で「サウンド」とは認識しない。out of hearing とでも言うのだろう。
音だけではなく、色や触覚、味覚など、さまざまな感覚は、人種や生活環境などで違うものが培われたりする。一方で気になることは、他方では気にならない、ということはたくさんあるものだ。
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