2018年12月28日金曜日

年末

ようよう、年末の仕事も一段落である。先生が走るから師走、というらしいのだが、先生は3月の年度末の方が、走っているような気がする。
学校に勤務していると、年末と年度末があるので、なんだか不思議な気分である。面倒だったのは、手帖の入れ替えだった。以前は、後期の授業は1月までだった。1月初めは2週休み、2週授業、1週が期末試験、というようなスケジュールだった。1月始まりの手帖だと、4月に始まった年度末、1月から3月までの行事を書き込める翌年の予定表がない。微妙だなあ—と思っていたのだが、4月始まりの手帖ができたり、デジタルデータにするようになってから、ずいぶん楽になった。人生はシームレス、である。
通信教育課程の方はこれからが忙しい。1月末がレポート課題の年度内締め切りなので、たいがいそこに向かって提出が増えてくる。自分としても身に覚えがあるので、偉そうなことは言えないが、締め切り間際、ギリギリにしてしまう癖の人は多いものである。得てして、ギリギリというのは、いろいろと不手際があったりすることも多い。焦ることは、よろしくない、ことの見本みたいなものがよく出てくるのも、年明けである。
そんなことを思いながら、来年度の授業の傾向と対策、ネタ集めなど、少し始めなくてはと思う、暮れである。

2018年12月23日日曜日

ブラック

ここ数日のニュースに、教員の勤務時間の上限設定についての話題があった。
同居人が小学校の教員をやっていたので、長時間かつ変則的な時間で勤務している実態は眺めていた。
https://tcd5m.blogspot.com/2017/05/
以前は、教員は「稼ぎが良い」部類の職業だった。定年まで勤め上げれば、退職金と年金で悠々自適、といったイメージがあった。だから我慢して時間外労働、という向きもあったかもしれない。今はどう見ても「ブラック企業」である。教員という人種が、自分で自分の仕事を増やす、という傾向のある人が多いとも思うが。
解決策が「勤務時間」と考えるのは、現場を知らないのではないかとよく思う。小学校の授業は45分くらいが一コマ、休み時間も授業の準備があったり、給食時間も子どもと一緒だったりで、「休憩」がない。放課後のクラブや委員会、保護者との面談、報告書を書き、翌日の授業のプリントの準備をしたら、既に夜である。勤務時間を「減らす」ことが解決策にはならないだろう、というのは現場を見ていればすぐに分かる。学校にいられなければ、隠れ残業をしたり、お持ち帰りの宿題になったりするだけだ。どこにしわ寄せが行くか、といえば、子どもに向かうだけだからだ。
教員数を増やす、という対策もよく見かける。これも案外解決策にはならないような気もする。学校卒業後いきなり教員になってしまう「先生」は、いろいろな意味で実務経験がないから、「使えない」と思うことがよくあった。むしろ業務のタスク分けと、それに見合うプロフェッショナルの配置だろう、と新聞を読みながら考える。授業で言えば、「教員」よりも、秘書やアシスタントといったイメージである。出席簿やテストの点数の集計などの事務作業、プリントや授業教材の準備などの実務作業、機器の扱いなどのアシスタントエンジニアやインストラクターといったイメージだ。もちろん、クラブや委員会などの授業外の専門的な指導は、別のスタッフでチームを組む。もっとさまざまな人が教育現場に出入りすることで見えてくるものがたくさんあるような気がする。問題は、現場の先生がチームでプロジェクトをやったことのある人がどの程度いるか、ということかもしれない。仕事を抱え込む先生が多いように思えるからだ。結局現場の働き方ではなく、教員養成から考えるべき問題なのかもしれない。

2018年12月19日水曜日

年末

さて、昨年同様、10月いっぱいで、通学課程の授業はほぼ一段落した。11月終わりには採点作業もほぼ終了、今年も大きな怪我やポカもなく、無事に終わった、と思うことにしている。
振り返って多かったのは、1年生のドロップアウトだった。10月の授業は、担当学科以外の専攻学生を見るのだが、こちらも授業に来る前に2名が既にドロップアウト、つまり全学的にドロップアウトが多かったのではないかと推察される。
2年生の担当授業には保留が1名、こちらは出席状況がよろしくなく、通常であれば文句なく対象外というところなのだが、担当教授が進級させたがっているという話で、一応ペンディングにしてある。
勤務校では、このようなケースは、学生の専攻学科研究室がフォローしている。学生に連絡をとり、出席を促したり、学生相談室へ行かせたり、といった案配だ。生活指導を含めた対応が、大学としてどうなのか、とよく考える。まあこれも時代の趨勢というものかもしれないが。
生活指導が必要な学生が増えた印象があるということは、学生さんが幼く見える、ということでもある。こちらがトシをとった、というだけではないような気もする。幼く見える、というのは、なべて真面目で、言うことを聞くからだ。外れたことはあまりやらないので、授業の進行があまり外れない。逆を言えば、とんがった学生が少なくなったので、蓋を開けてびっくり、というタイプの学生は見かけなくなった。
授業自体は、受講している学生さんの「傾向と対策」で出来ているようなものだ。相手の出方を見ながら、細かい修正をして、ゴールを目指す。トシをとったら、経験値が増えるので、その分振り幅が大きくても応用が利く。トシをとって良かった、と思うこともたまにはある。

2018年10月10日水曜日

実質

さて今日では、「ぼっちメシ」という言葉もあまり使わなくなった。今日では、学生さんだけではなく、大人もスマホの画面を見ているからである。
ファミリーレストランで食事をしている家族などを観察していると、お父さんとお母さんはそれぞれスマホを眺めてスリスリ、お子さんはタブレットでゲーム、お子さんが二人いればそれぞれ別の端末でゲーム、といった具合である。仲良く家族で一緒にいるように見えるのだが、精神的にはみんなバラバラで、一緒にいるのは「カラダ」だけ。集まってはいるのだが、実質みんな「ぼっちメシ」である。喫茶店でデートをしているとおぼしき若い男女も、見ているのは相手の顔ではなく、各自の所有しているスマホの画面である。
もちろん課題も、「スマホ好き」「スマホ命」「スマホ中毒」な紹介が多いのが、ここ数年の傾向である。「スマホの画面を見ながら何かをしている」という描写が多い。歩きスマホはもちろん、寝ても覚めても、授業中も、といった描写である。映像の描き方としては、多少オーバーアクションにする方が伝わりやすい。
…のだが、大学生の自己紹介として「スマホ中毒です」というのは、いかがなものか。まあ、現状の自分を見せる、という意味ではあるのかもしれないが、ちょっと「ビミョー」な感じ、ではある。

2018年10月9日火曜日

忘れもの

さて、どうして「ぼっち」を思い出したか、と言うと。
先日、授業の休み時間にトイレに行った。個室に入ったら、ドアの重さがいつもと違う。扉の内側には荷物をひっかけるためのフックがあるのだが、そこに小さな手提げ袋が下がっている。忘れものらしい。どこかに届けた方がいいかなあと、袋をとって、同じフロアの研究室に向かう。
洗面所を使うのは、概ね研究室のスタッフか、担当授業に出席している学生が多く、部外者は少ない。研究室に忘れものらしい、と届けたらスタッフが中身を確認する。中身の入った弁当である。
中を確認したスタッフと、顔を見合わせて、真っ先に確認したのは、「トイレでぼっちメシしようとした?」。
いやいや、いまどきそんな学生はいないでしょうねえ。と笑いながらトイレの個室のドアに貼り紙をしに行った。「お弁当を研究室でお預かりしています」。
お昼休みに学生が一人慌てて取りに来たそうだ。

2018年10月8日月曜日

ぼっち

数年前に「ぼっちメシ」という言葉が流行った。
大学の状況で言えば、学食へ行ってもひとりで黙々とご飯を食べる、といったことである。友だちがいないのが、その主たる理由である。なぜ友だちがいないかは、この際おいておく。
担当している授業では、最初の課題は「映像30秒で自己紹介」である。30秒、と言えば、テレビのスポットコマーシャルの長さだ。あまり「長い」とは言えない。10年ほど同じ課題をやっているが、その時の世相というか、学生さんの流行というか、そんなものが出てくる。「ぼっちメシ」が流行語だった数年は、「友だちがいない」といった自己紹介が何本かあった。自己紹介として「友だちがいない」というのはいかがなものか、ということは、この際おいておく。
映像の描き方としては、いくつかパターンがあり、どれが理解されやすいか、考えて制作することが「正解」である。その頃多かったのは、教室で一人ぽつねんとしていたり、友だちに無視されたり、校舎の片隅で本を読んでいたり、といったものだ。その中でも何本かは「ぼっちメシ」ネタがあった。教室の端っこでひとり弁当を広げていたり、こそこそと校舎の陰に入っておにぎりを食べたり、というシチュエーションの描写である。中でもトイレ内で弁当を使う、というのが数本出た。トイレの花子さん、ではなく、トイレでごちそうさん、である。
もっとも、ご時世とか、流行、ということもあって、誰もがみんな本質的に「ぼっち」であるとは言いがたい。たいがいが「ぼっち」気取り、自称「ぼっち」だったりする。これも時代、なので、数年で「ぼっち」ブームは去った。ここ数年は「ぼっち」ネタは少なくて、多いのは「スマホ好き」「スマホ命」「スマホ中毒」っぽいネタである。

2018年10月7日日曜日

あたって砕ける

授業では、動画作品をつくる、というのが課題のひとつにある。テーマやモチーフは何でも構わないが、自分たちのスキルと授業期間中のスケジュールでまかなえるもの、という条件がある。映像系の学科なので、どうしても学生さんは映画だの、ドラマだのを想定するらしく、ある程度のストーリーを持ったフィクションというスタイルが、ある程度は出てくる。実際に彼らが見ているものは、テレビや映画館、レンタルビデオや動画ストリーミングサービスで見る類のものなので、それなりのクオリティがある。実際に「見ること」と、「つくること」のギャップを体感することも課題の目的のひとつである。
19−20歳くらいの学生さんが考えることなので、例年必ず出てくるのは「恋愛ドラマ」である。数分の長さの課題なので、あまり大きなストーリーにはならないが、たいていは「片思い」、「思いが伝わる」、あるいは「相互の誤解」といったことがモチーフになる。人類永遠の主題だろう。
こういったフィクションというものは、実体験があればリアリティが出るものだ。実体験がなければ、それなりにリサーチをして、体験談を集めたりする。全くの「絵空事」を描くのは、逆に難しいのだが、学生さんはそれまでに見てきた「恋愛ドラマ」や「恋愛漫画」から、フィクションを構築しようとする。だからどこかに「ほころび」が見えてしまうことがある。
片思いの男子学生Aにラブレターを書いた女子学生Aがいる。自分では渡せないほど内気なので、友だちの女子学生Bに渡してもらうように頼む。女子学生Bは存外ちゃらんぽらんな性格なので、男子学生Aのロッカーに手紙を突っ込む。ところがそのロッカーは、当の男子学生Aのロッカーではなく、男子学生Bのものだった。ラブレターを発見した男子学生Bは、自分に来た女子学生Aからのラブレターだと思って有頂天、といった筋書きだった。
学生が書きたかったのは、「行き違い」や「誤解」による「思い込み」といったことだった。筋書きを書いた本人は大真面目なのだが、かなり「ほころび」が見える。そもそも大事なラブレターを渡すなどという人生の大事件を、ちゃらんぽらんな友だちに頼むだろうか。誤配されたラブレターを自分のところに来た、と誤解するのは、宛名がないからだ。ラブレターを書くのに、差出人の名前を書いておいて、宛名を書かないものだろうか。実生活ならどうするだろう。少なくとも宛名は書くだろうし、書かなければ確実に相手に渡ることが前提である。人づてに確実に渡すのであれば、ちゃらんぽらんな友だち経由ではなく、かなり口の堅い、いわゆる秘密が共有できる親友だろう。男子学生Bが有頂天になるのは、女子学生Aがもしかしたら自分に気があるかもしれない、という伏線が必要だ。
なぜこうなったか、といえば、筋書きを書いた本人に恋愛経験はなく、したがってラブレターを書いたことも、渡したこともなかったからだ。
人生もフィクションも、なかなか思い通りにはいかないものだが。

2018年10月5日金曜日

同伴

授業の合間に廊下に出ると、あまり見慣れない人がいる。
普段の大学のキャンパスというのは、学生さんか教える人か職員、あるいは出入りの業者さんあたりがうろうろしているものである。その時は、学生さんとおぼしき年格好なのだが、やたらキョロキョロしており、キャンパス内の地理不案内、という感じである。ああ部外者なんだなあ、と分かる挙動である。ふと見れば、廊下に大きな貼り紙、大学院入試作品提出受付はこちら、である。秋になると、早々に、そのような学校行事がある。
先日の廊下であれ、と思ったのは、大学院生とおぼしき年格好ではない、妙齢の「お姉さん」がひとり立っていたことだ。いわゆるリカレント教育、というものなのかもしれない。同居人のリカレント大学院生活は夜間部だったので、同級生は全員社会人、年齢も職場もバラバラだった。勤務校は「昼の部」だけなので、大学院生と言えども年齢はほぼ横並びである。
珍しいなあ、と思って横目に見ていたら、件のお姉さんはふと顔を上げて、手を振った。振り返ると、いわゆる大学院生の年格好の男子がやってくる。連れだって廊下を去って行った。保護者、というわけだ。大学院の入試の作品提出に保護者が同伴してやってくる時代、のようである。
なんだかちょっと、大学院生が「おこさま」に感じられてしまった。

2018年9月25日火曜日

コーチ

先月は、体操協会のハラスメント問題が新聞でも大きく取り上げられていた。そもそもコーチのパワハラという話から始まったような気がしたが、協会のパワハラかも、という話になり、選手の会見やら協会の謝罪文やらやりとりの録音やら、いろいろと出るものである。
名選手と名コーチ、あるいは名監督というのは、同一人物では成立しにくい、とよく言われる。逆上がりが得意な人は、逆上がりを教えるのが上手、とは限らない。
もうひとつ、このニュースで難しいのが「協会」制度である。
妹がスポーツをやっていたのは、すでに四半世紀ほど前の話になってしまう。妹がやっていたのはテニスである。クラブテニスのはしり、だった。それまではスポーツと言えば学校でやるもので、部活の延長だった。妹の世代で初めて、町のテニス教室で上手くなった子どもたちが、地方大会で勝つようになった。学校とは関係がないスポーツ選手、である。その頃は、コーチと選手が二人三脚、というスタイルだった。多くは、子ども+コーチ+母親、という3人組で地方の大会に参戦する。その後強くなると、協会から声がかかる。強化選手とか、強化合宿とか、である。数名の強い選手を集めて、日本チーム、になるわけだ。その時点で、従来のコーチと離れ始める。協会が用意したコーチや監督と、国別対抗戦に出る。うちの場合で言えば、他の理由もあったのだが、結局コーチと少し離れたことで、上手くいったこともあれば、そうではないこともあった。個人プレーのスポーツの場合、コーチが変わることが上手くいくとは限らないこともある。
スポーツ指導、というのは、いろいろな方法論があるのだろう。うちの場合は、最初に教えたコーチとかなりべったりな関係だったので、妹がそのコーチから離れるときは大変だった。
今回もうひとつ難しいのは、協会のボスがクラブを持っている、ということでもある。強い選手を抱えているクラブであれば、お客さんも多くつく。有力選手をスカウトする、という点で言えば、高校野球などが身近なところだろう。強い選手が多い場所であれば、互いに切磋琢磨するので、全体のレベルアップがはかれることも事実だ。
体操協会の問題も、外野からあれこれ言うことが難しいなあと思う。いずれにせよ、こういう「強化」体制に、なんとなく社会主義の国にあった「体育的な国策」を連想してしまうのは私だけだろうか。

2018年9月3日月曜日

鼻歌

新聞を購読している。まあ、習い性というやつかもしれないが。
何か読むべき「活字」が手元にないと、不安なたちだ。だから、数十年前、インターネットもなかったころ、数ヶ月海外にいたときなどは、「漢字」を読むために中華料理屋を探したりした。現在は、インターネットが通じれば、あるいはデバイスに何十冊も電子書籍をつっこんでおけるのだろう。うらやましい世の中である。
購読している新聞は毎日で、関東圏ではあまりメジャーではない。中学の頃、「朝日新聞しか新聞ではないから」といった持論を担任がよく話していた。メディアを選ぶ、というのは人それぞれである。実家は転勤で大阪に数年いた。関西では毎日はそこそこメジャーである。もうひとつ、妹がスポーツをやっており、大会のひとつは毎日新聞が主催だ。記事になることが何度かあったりして、毎日新聞定着、な状態になった。
今時は、新聞を購読しているご家庭が減少の一途だという。小学校の図工の時間に、古新聞を持って来て、と言ったら、「うちは新聞がありません」という子どもが増えたらしい。古新聞を畳の下に敷く、などという家もなくなりつつあるのだろう。大学生も、下宿生はほぼ新聞は購読しない。「就活に日経」というコマーシャルが数年前はあったのだが、今や「就活には日経電子版」なのかもしれない。
新聞購読家庭が減っていくとどうなるか、というと、新聞販売店が減る。毎月新聞の集金に来る人が、うちは販売店を廃業します、と言いに来たのが一昨年だった。来月から読売の販売店が配達しに来ます、という。残った販売店も、いろんな新聞を扱うようになって大変である。
昔、新聞配達、といえば、少年のアルバイトだったり、奨学学生のお仕事だったりしたものだ。毎日新聞販売店は、「健康のために、アルバイト主婦募集」というチラシを配っていた。読売の販売店も、人手不足らしく、春には「新しい配達員です」と挨拶に来たのは、ベトナム人の青年だった。
毎日新聞は自転車で配達だったが、読売はバイクで配達。朝早く、バイクの音で目が覚める。ベトナム青年が配達に来るようになって、それに歌声が加わった。大声で歌いながら配達するのである。もちろん、あちらの歌らしいので、言葉は分からない。賑やかに調子をとって配達である。今日も歌声で目が覚める。朝4時半である。

2018年9月1日土曜日

ずる

官僚ご子息の裏口入学の余波か、しばらく前は入試で女子学生一律減点というニュースが駆け巡った。びっくり、と思う一方、私立学校だからなあ、という気もする。
私が大学の入試をしていた頃の話だ。入学試験が終わり、発表までに数週間がかかる。その間に大学から「お知らせ」という封書が来た。中身を見ると、要は「寄付金のお願い」である。合格したのかも落ちたのかも分からない、母親は「寄付したら合格させてくれるかも」などと言う。いやいや、そんなことで合格しても、学校に行ってから授業についていけなかったらどうするのか。結局そんなことを言いながら、寄付を払いそびれ、案の定不合格だった。行かない学校に寄付しないで良かった。
母親が育った家は、大学教員の家だった。明治終わりから昭和初期の頃である。家には書生さんが数人いて、学生さんも出入りしていた。宿題は書生さんにやってもらった、とのたまう。時代もあるのだろうが、嫌な勉強をいやいややっても身にはならない、という方針だったようだ。ところが好きな科目はと言えば「算数」だったそうで、それを勉強したかったのだが、「女の子だから」という理由で家庭的に却下、それが母親の勉強についてのトラウマだったようだ。
勉強することについて、いろいろな考え方もあるのだろう。ただ、「入学試験」と合格の条件を明示している以上、こそこそズルするのはヨクナイ、とは思う。

2018年8月31日金曜日

世襲

しばらく前に、文科省官僚子息の医科大学入学の裏口疑惑、というニュースがあった。
親父のような国家公務員よりも、よほど医者になりたかったのかもしれない。私が通っていた高校は「親が医者だから医学部志望」というクラスメートが多かったのを思い出した。
どちらかといえば、親は医療関係ではなく医学部志望、というクラスメートの方が少なかったような気がする。それだけ世襲的な商売なのかと、その頃は思っていた。
いとこの家が歯医者だった。二人姉妹で、姉が歯学部に入り、歯医者になった。ご学友と結婚したのだが、そのご学友の実家も歯医者。当然ご学友夫婦は実家の歯医者を継ぐものと思われた。いとこの家は、歯医者の婿さんをいとこ妹がもらわないと、後がない。そのうち、いとこ姉が通いで実家の家業を手伝いに来るようになった。朝、実家に出勤、仕事をして、自宅に帰る。街の歯医者なので、昔から来ている患者さんがいる。なんとなれば、2代目、3代目が診療に来る。患者が世襲なら医者も世襲、という感じだ。夫婦がお互い、実家の家業を継ぐ。別々の場所にあるので、朝は別々に出勤、というわけだ。まあ、共稼ぎの会社勤めなら、こういった感じで生活するのだからなあ、などと話していた。
いとこ妹は、音楽大学を出て、先生の事務所を手伝うようになり、結婚したという話を聞かない。すでに40は越えているので、今さら歯医者の婿さんということでもないのかもしれない。いとこ姉の家は女子一人、お互いの実家の歯医者を継ぐなら最低2人は必要なのか、という話を実家でしていた。
今年のいとこ姉からの年賀状の差出人氏名は旧姓になっていた。最近は疎遠なので詳しい話が聞けない。

2018年7月23日月曜日

いろいろとバタバタしているうちに、前期の授業は終了した。学生さんは補講だの試験だのレポート提出があるのだが、教える方は一足先に夏休み、である。
1年生の授業を担当しているので、学年ごとにいろいろと特徴があって、毎年新しい発見がある。就職時期に、今年の新入社員は●●タイプ、という言い方が話題になるが、それに倣えば今年の学生はどんなタイプと言えるだろうか。
今年度で特徴的なのは、途中でドロップアウトが例年になく多かったということだ。昨年度までだと、1学年でドロップアウトするのが1−2名、だから1年生のクラスの名簿を見ると昨年度もいたなあという学生が1−2名いる感じだ。ところが今年はクラスでドロップアウトが1−2名。1学年は4クラスで、3クラスの授業が終わったところで、ドロップアウトがすでに5−6名である。
勤務校は、比較的学生のアフターフォローをする。しばらく前に大学の事務方から、留年を増やさないように、という内々の通達があったようで、以来研究室は一生懸命学生さんを進級させたがるようになった。これもアフターフォローをすることになる要因である。数日授業に出なくなると早速学生に連絡を入れることになる。まずは学生それぞれに割り当てられた大学のメールアドレスが、標準の連絡方法だ。これでも連絡がつかなければ、学生が届け出ている携帯電話番号、それでも連絡がつかなければ届け出ている保護者に連絡する。
私などが学生の頃は、下宿に固定電話を持っている学生が少なかったので、研究室の掲示板がデフォルトの連絡方法だった。それを見ていなければ自動的にアウト、だった。だから這ってでも掲示板を見る、あるいは誰かに掲示板を見てもらってくるようになる。
まあ、学生をやっている間に、授業よりも面白いことを見つけたりしてしまうこともあるので、自動的にフェードアウト、というタイプもいた。それはそれで幸せな人生ではある。
ここ数年のドロップアウトで心配なのは、授業よりも面白いことがあって授業に来ない、わけではないことだ。むしろ、やりたいことがわからないので、授業にモチベーションが向かない、というタイプが多いような気がする。数日風邪で休んでそれっきり不登校、という学生もいるし、保護者から連絡があり「ココロの病」と言われることもある。高校とは授業の方法も教え方も違うので、順応できないタイプも増えているような気がする。
大学、なのだから、むしろもっと融通のある授業進行や進級制度があっても良いのではないかと思う。長期的に8年間で卒業するとか、休学、学籍の維持や復活をしやすい制度などだ。現状では実習中心の進級制度で、これは私の時代から変わらない。ここだけは保守的なんだと、微妙に感心してしまう。

2018年6月15日金曜日

出席簿

1年生の授業も数ヶ月が過ぎると、学生の出席状況が見えてくる。
今年度は、1年生のドロップアウトが多そうだなあ、というのが正直なところである。
20名強のクラスで、1−2名の「既にドロップアウト」あるいは「ドロップアウト予備軍」がおり、その他に「遅刻しがち」「課題提出が滞りがち」なセカンドの予備軍がいる。2−3年前は、1学年に数名、といったところだったので、ちょっと今年度は多いかも、という印象がある。
5月になると、やっぱり他の専攻分野を受け直す、という学生がいる。第二とか第三志望の分野だったのだが、やっぱり第一志望に行きたい、というタイプである。学費と生活費を負担する親からすれば、1年でも無駄にしないことが望ましいのかもしれない。親の世代にはなかった制度で、転科編入などという制度も最近はポピュラーである。ただ、学生からすれば長い人生なので自分の思うとおりにできるのが一番だろう。その意味で、受け直すことを親に説得できただけでも、えらいものである。
もう一つのタイプは、通学してみたけれど、自分が思ったような学習分野や専攻分野、カリキュラムではなかった、というタイプである。自分に関係ないから、やりたくない、という学生もいて、こういうタイプはむしろ受験前のリサーチ不足なのではないかとも思うことがある。
気になっているのは、ここ数年多くなってきた印象がある「心身が疲れたので通学は一旦お休みしたい」タイプである。これも種類があって、単におサボりなのか、「不登校」なのか、病気なのかが、本人の申告だけでは分かりにくい。学生によっては「心身症なので、診断書を出します。授業には参加できないが、単位取得には対処して欲しい」などという希望を一方的に伝えるケースがある。勤務校の研究室は、比較的学生のアフターフォローに熱心なので、けっこうねちっこく、学生と保護者に連絡をとって、あれやこれやと対応策を練る。偉いなあ、と思う反面、大学なのだからそこまですべきなのかと、考えてしまうこともある。診断書の出るような病気であれば、メンタルであれフィジカルであれ、しっかりと治療に専念すべきだと思うのだが。
18歳成人、という法改正のニュースが取り上げられていた。果たして大学1年生くらいが、自分の意思と責任で学生生活をコントロールできるのか、出席簿を見ながら考えている。

2018年6月14日木曜日

ショートカット

3週間ワンクールの授業を5回ほど繰り返す授業を担当している。
学生さんの方は、3週間ワンクールの授業を4科目受講して単位取得する、という方式である。1クラスは25人ほどなので、18日の授業でまんべんなく個人的におしゃべりする、という感じには、なかなかならない。今の学生さんは、先輩にかじりつく、という方法を知らないので、黙って座っていて受講して、最終的に授業アンケートに「講師の指導が不足」などと記入する。大学側がこの記述で、クラスの人数を減らすとか、カリキュラムのスケジュール編成を変えるとか、指導講師の数を増やす、といった具体的な対策を講じてくれることはないので、学生にフラストレーションが溜まっていないかも、心配しなくてはならない。二昔前に比べると、大学の授業は様変わりしたものだと思う。
ことに最近の学生さんは「近道」を模索するようなところがある。何をするにしても、作業する前に「どうやったらいいか」を聞きたがる。その後、逐一、作業する前に、「これでいいか」と聞きに来る。この手の学生さんは得てして優等生で、失敗から学ぶ、という経験がない。「やってみてから、考えてみる」というのが、その問いに対する答えなのだが、そうするとむくれてしまうことがある。「指導不足」と、こちらがジャッジされた瞬間である。
受験勉強と違って、こと大学における授業では、「正解」を考えることが「勉強」ではないことが多い。むしろ、自分なりの正解を導くためのプロセスを模索することが、授業の目標だったりするものだ。
彼らが欲している正解への「近道」は、実は遠回りだったりするのかもしれない。

2018年6月2日土曜日

個性

授業が始まって数週間。映像系の専門コースにおける1年生の基礎的な実習作業を担当している。映像、といえば、当然のようにさまざまな機械を使うことが要求される。私の授業はストレートの実写なので、ビデオカメラと編集ソフトが、ここ15年くらいの必須項目である。
映像がデジタルな作業になってから20年ほどになるだろうか。私が学生の頃は、フィルムを文字通り「切って貼る」作業に没頭していたものだが、今やそれはソフトウェアの「アイコン」でしかない。
授業では、学生2人に1台のパソコンで編集作業をさせている。1年生のクラスだと一時に12台、2年生のクラスだと一時に20台ほどのマシンが並んだ部屋で教えることになる。こういった授業の進行やセッティングで難しいのは、パソコンベースで集団学習、という方法である。マシンは同じ構成で、同じアプリケーションをインストールしているにもかかわらず、トラブル発生するマシンが、ときどき、いる。なぜか起動しない、なぜかバグが出現する、といった案配である。全てが同じ症状ではない。学生さんの方は、日頃からマシンを使い慣れているわけではない。特に今日では、スマホは大丈夫だがPCはさっぱり、な学生も多く、ほとんどの学生は「ブラックボックス」として扱う。なおのこと、トラブルが出ると、学生はパニックになる。
教室のマシンは稼働が4年目である。税務署の減価償却の基準で言えば、ぎりぎり、である。そろそろ不具合が出始めるかなあと思っていると、五月雨式にトラブルが出るようになる。アプリケーションはフリーズ、マシンに再起動をさせることになる。以前と違って、システムの立ち上げに時間がかかるようになったので、再起動させてる間も、学生はイライラし出す。そもそも、インターネットブラウジングしかしない学生が多いので、映像編集ソフトなど重量級のソフトの扱いに慣れていない。どんどんフリーズさせることが増える。悪循環である。こうなると授業は悪夢と化す。
来年の授業をどうしようか、ぼちぼち考えなくては、と、居残りしてマシンの不具合を再確認しながら考えている。

2018年6月1日金曜日

参加

同居人が、図工の先生になろうと思ったのは、ひとむかし前、既に四半世紀以上になるのだが、当然のように時代はデジタルではなく、アナログであった。自分でいろいろと勉強しようと思ったようで、さまざまな「自主研究会」に参加していた。職場の研修会とは別に、有志の研究会というのがいろいろとあった時代である。勉強するテーマや、内容によっていろいろなグループがあったようだ。それなりのそれぞれが活発に動いていたのが、7−80年代頃のことだったのだろう。
たいてい運営する側、というのは、ボランティアに近いものになる。勉強する代金を徴収する営利団体ではないからだ。まあだからこそ、卒業した学校や、師事した先生、勤務している学校やエリアといった境界のない集まりにもなったのだろう。
同居人が最近顔を出している研究会も、運営する側はボランティアである。最近愚痴っているのは、運営する側が「打ち上げ」する飲み会の支出額が大きくなってきていることだ。日当は出さないので、弁当代や飲み会が「必要経費」として計上されているようだ。なんだかそれが、さもしい感じがする、と言いながら、研究会の会計書類を眺めている。

2018年5月31日木曜日

整理

同居人は、3月末までにいくつかの大学講師の仕事を整理した。
小学校の教師を退職してから7年ほどになるのだが、その間いくつかの大学で授業をしていた。辞めた理由はいくつかあるのだろうが、そのひとつはジェネレーションギャップというものでもあるのだろう。自分の大学時代と現在は、かなり様相が異なってきている。昔は良かった、というわけでもないだろうが、授業進行に融通がきかない、という状況が何回かあって、閉塞感があったのではないかと思う。
ひとつは大学の授業管理のシステムが、以前と違って「厳しい」と感じられることだった。前年度の半ばに、翌年度の授業進行のシラバスを提出する。全15回の授業の内容、資料など揃えなくてはならない。提出は、インターネット経由で、デジタル苦手な同居人は四苦八苦していた。授業が始まる翌年度の初めまではかなり間がある。その間に、「うーむ変更したい」と思っても、シラバス通りに進行しなくてはならない。授業はナマモノだと思っていたが、最近は「パッケージ」製品となっているようだ。学生が、スマホ見たりしながら授業に参加しているのは、こちらを「テレビ画面」のように、認識しているのではないか。シラバス通りに授業をしていて、脱線したり、方向転換しない、という前提だからだ。
もうひとつは、学生との関わりが以前と比べて「難しい」と思ってきたからだろう。美術系の学校で、教職課程科目を担当していた。美術系だと「でもしか」先生、というのがいる。作家になれないから、先生にでもなるか。あるいは、作家として生活できないから、先生しかできない、というタイプである。まあこれも、生活設計の上では、ひとつのありかただろうが、悲しいのはそういう先生に教えられる子どもである。学生自身が、昔と比べれば「子どもっぽい」印象があり、ついその先にいる「教えられる子ども」を見てしまったのかもしれない。

2018年5月20日日曜日

始まり

私の新学期の授業は5月の連休明けから始まった。
実技授業で、グループ作業が中心である。どんなかたちであれ、社会に出れば否が応でもチームプレーで仕事をすることがほとんどである。食わず嫌い、などとは言っていられない。早い内から、グループワークに慣れることと、日常生活習慣の是正が授業の隠された使命である。とは言うものの、適当にグループを組んでもらうと、どうしても「仲良し」で固まったりする。出席番号順、などという作戦では、授業が違ってもグループは固定化してしまいがちである。男女比、得意そうな分野、出身地など、いろいろと考えてグルーピングする。教える側はそれなりに配慮しているのである。
さて、大学の授業というのは、ある程度システマチックに運営されている。授業の回数の2/3以上の出席で、課題提出あるいは定期試験受験資格を得られる。課題あるいは試験で合格点をもらえれば単位が出る。昨今は、教務課の管理も厳しく、昔のような「代返」はあまり効果がないかもしれない。
勤務校は、専攻分野科目の取得単位によって進級する、というシステムになっている。私の世代だと、1年生の専攻分野の必修実技科目が24単位だとすれば、24単位取得で進級、20単位で仮進級、20単位未満で留年、という具合である。仮進級というのは、とりあえず2年生になってもいいけど、落とした授業は2年の内に再履修して単位を取りなさいよ、というものだ。現実問題として、実技授業に出席するのは時間的に厳しい場合があり、そのような授業は「再履修課題」というのが課されていた。しかし、出席しないと絶対単位が取れない科目というのもいくつかあった。そういう科目は、夏休みか冬休みに別途補習、という作戦になった。暑い夏休みに冷房のないアトリエで作業するのが「アフリカ」、寒い冬休みに暖房のないアトリエで作業するのは「シベリア」、という名前の補習である。留年になると、有無を言わさず、1年の必修授業をもう一度やることになる。落とした年度に取得した実技授業の単位はゼロにリセットされる。
新学期になると、1年生の名簿を見る。昨年も同じ名前があったなあ、と思うと、留年である。私の授業では頑張っていたのに、他の授業でドロップアウトしてしまう学生も時折いる。仕切り直しで2度目の1年生である。たいていの学生は、気分一新、気持ちも新たに1年生を始めるようだ。あまり目立たないし、先輩面もしない。長い一生なのだから、1年などなんぼのものだと最近は思うようになった。今年も数名の留年者がいるようだが、今年こそ頑張ってくれるといいな。

2018年4月3日火曜日

今年のサクラは、咲くのも満開になるのも散るのも、早かった。
日本的、と言われて久しい風景だし、それを見に来る外国人の観光客も多くなった。
たいがいの木はソメイヨシノという種類である。実生ではなく接ぎ木で育て、同じ遺伝子を持つ「クローン」だと言われている。さもありなん、だからこそ一斉に花が咲くわけだ。
母の実家の墓には、ソメイヨシノの大きな木があった。墓地は染井なので、それこそ染井のサクラである。墓を建てたのは明治の半ば頃、大正末期に建てた墓の横に植えたようだ。というのは、私が行くようになった1980年頃には、墓の下に根が入り込み、墓石の下の石がかなり傾いていたからだ。その10年頃後には、大きく張った枝の半分ほどが立ち枯れてきた。嵐で折れて落ちては大変、と植木屋にかなり枝を下ろしてもらった。かなりしょぼい姿になってしまい、木のイメージがかなり変わってしまった。その10年後には、ほぼ枯れてしまったのを機会に、傾いた墓石も整理した。長生きしない木だと、残念に思ったが、それをきっかけに身辺整理にはなったかもしれない。
現在住んでいるところの近所に、大きな寺がある。バス通りに面して大きなサクラとカエデが植えられていて、春はサクラ、秋は紅葉のトンネルのような景観だった。久し振りに通ったら、どちらもごっそりと切り倒されていた。倒木の恐れがあり、と看板にあった。今年はぽっかりと空が大きく見える通りになった。

2018年4月2日月曜日

落とし前

年度末ネタでよく出るのは、なんとかして単位をもらう作戦である。
就職が決まっているんです、卒業しなくてはならないのです、などと泣き落とす、というのはよく聞く話である。30-40年前ならいざ知らず、いまどきそんな手が通用するのは、勤務校あたりではあまり聞かない。最近の大学の教務課は、そこのあたりチェックが厳しい。
同居人の大学時代は、紛争時である。大学の授業そのものがボイコットされていたり、学内には入れなかったりなどして、授業そのものが、あったのだかなかったのだかよく分からない、と言う時代である。
それでもやっぱり卒業所要単位というのはあって、事務方はきちんと管理をしていた。いまどきの学校だと、卒業間際に「単位が足りない」と事務方から連絡が来るのかもしれないが、その時分は自分で管理をしなくてはならない。日頃の行いを省みて、事務方に取得単位を問い合わせる。やっぱり足りなさそうだという学生さんは、追加試験や追加レポートなど担当教員に談判しに行く。
先生のお宅で住み込み書生生活とか、かなりハードな事務所の手伝いとか、いくつも担当されていた講義授業資料のまとめとか、そういったことで単位にしてくれた、という話もあったらしい。のんびりした時代である。

2018年4月1日日曜日

延期

年度末ネタでよく出るのは、就職が卒業ではない、というものだ。
私が助手だった頃は、バブルな時期で、就職活動も早々に内定がたくさん出ていた。思わず、こんな学生があんな大企業に!、というケースもあって、研究室スタッフで、真剣に大丈夫かなどと心配した。遅刻の常習者で、授業中は居眠りか、タバコを吸うために廊下にいることが多く、課題もたいてい締め切り間際に提出、つまりいつもは締め切り後に駆け込み提出でごり押し、という学生だ。会社勤めに向いているようには思えない。その頃の企業内定は秋の初めに出ていた。後期になって、当該の学生は「どんなもんだい」状態である。就職が決まって余裕を決め、授業に出ずに趣味のバンド活動にいそしんでいた。4年だから、最後の実技は卒業制作である。こちらも締め切りすれすれ、お世辞にも優秀作、とは言えない。まあ就職が決まっているから、なんとか出してやるか、という教員の温情で最低点で滑り込みセーフである。まあ社会人になったら、生活も変わるから、真面目な会社人間になるかも、などと話していた。
卒業判定会議で判明したのは、彼が卒業所要単位を満たしていないことだった。研究室では実技授業を見ているが、一般教養や外国語の取得状況は把握していない。研究室では慌てて、学生に連絡をした。ところが全く連絡がつかない。携帯電話やインターネットのない時代である。実家の家族には「卒業旅行に行く」と言って、出かけたままだそうだった。友人の誰も、どこにどれくらい旅行に行くのか知らなかった。どうやらヨーロッパあたりに行こうかという話をしたらしい、というところくらいまではわかった。そうなると全く連絡がつかない、というわけだ。
卒業式に、彼は意気揚々とやってきた。ヨーロッパ帰りらしく、ゴロワーズの両切りをくわえている。友人と旅行の話で盛り上がっている。そこで、彼は自分の名前が卒業者名簿にないのを知った。そこで帰るのかと思ったら、ちゃっかり卒業式には列席し、謝恩会には出て、明け方まで飲み歩いたらしい。大企業という就職先は、そこのあたりチェックが厳しい。就職はキャンセルになってしまった。
4月に入ってから、何度か彼を構内で見かけた。卒業延期になって、講義を取り直していたらしい。翌年の卒業式にもやってきた。

2018年3月31日土曜日

とりあえず

そうして、通信教育の年度末はと言えば、お決まりの「課題の締め切り」である。
崖っぷちのなんとか、というわけではあるまいが、とにかく締め切り日に近くなると、かなりの点数が届けられる。普段は、週に2−3点の提出ベースなのに、最終日に20点を超える。受付事務も相当忙しい。
もちろん、締め切りには理由がある。翌月には卒業や進級の判定があるからだ。会議までの半月ほどで、すべての採点を終えなくてはならない。まあこのあたりも、数年もやっていれば心得たもので、予めスケジュールには余裕をつけておく。
ただ悲しいのは、締め切り間際になると「とりあえず出しておく」風の内容が激増することだ。課題をキチンと読んでください。テキストをよく読んで基本的な理解を得てから資料を集め作業を始めてください。といった文面が増える。課題違反はもちろん「再提出」になるので、申し訳ないが、新年度にまた出してね、ということになる。人生滑り込みでは、結果オーライにはなることはまれだ。ただ、個人的年間スケジュールから言えば、4月5月の再提出のレベルは高くなる。
しかし中には強者もいて、翌年やはり締め切り間際に、前年同様の課題違反で滑り込み提出をしてきた学生がいた。逆にこれはこれで、潔いと言えるのかもしれない。お願いだから3回目は勘弁して欲しい。

2018年3月30日金曜日

駐車場

さて、通信教育課程はと言えば、である。
通信教育、と言っても、郵送でやりとりばかりではなく、実技授業もある。同居人もその昔通信教育課程に通っていたクチである。社会人は、フルに夏休みを確保して、大学のキャンパスに通う、というものだった。通学課程は夏休みなので、敷地側としては、通う学生さんが夏休みの間だけは違う人種、というだけである。
私が学生の頃、通学のために近所の駐車場を借りていた友人がいた。「夏休み期間中を除く」という契約で、試験が終わると夏休み明けまでは駐車場を使えない。なぜかと言えば、その期間中、通信教育の学生さんに貸すのである。
土地はしっかり夏も稼いでいるわけだ。

2018年3月29日木曜日

年度末

世間的に3月は年度末である。
一方、通学している大学生の学期末は12月である。数えて見ると、1年は52週ほどあるのだが、授業をしているのはほぼ半分だ。私が学生だった頃は、半期が13回だったので、都合26回が授業日である。のんびりというか、怠慢というかは、人それぞれなのだろうが。
現況は、と言えば、年間の授業回数が数回増し、ハッピーマンデー効果もあって祝日も授業、入学試験のスケジュールが先に組まれていて、逆算して授業日程が決まるという印象がある。以前に比べると、9月の始業が早くなって、後期の年度末は「年内」という感じだ。 学生さんの方は、夏休みが短くなったが、春休みが潤沢に長くなったのかもしれない。
いずれにせよ、大学の授業は年間のほぼ半分。大学生とは優雅なものである。

2018年2月16日金曜日

下半分

冬になるとドラッグストアにマスクが並び始める。種類の多さに、ときどきびっくりである。
こんなにマスクを使うようになったのは、花粉症がポピュラーになってきた頃からだろうか。最近は、風邪、インフルエンザと、罹患中なのか予防中なのか、ともかくマスク人口が多い。単に「寒いから」という学生さんもいた。「マスクすると、あったかいんですよお」。
4月の新学期、私の担当授業は5月始まりなので、「単に寒いから」マスク、な学生はあまりいない。初夏にもなると、花粉症もピークを過ぎるので、たいてい風邪だ。時には、「年がら年中アレルギーで」、という学生もいる。3週間の集中授業で素顔の出席はなし、ということがある。
そういう学生さんの「顔」は、マスク付きで記憶される。おかっぱ、黒縁眼鏡、プリーツ仕様のちょっとピンクのマスク、というセットである。
研究室から回ってくる名簿には、名前とフリガナ、証明書に使った顔写真がリストになっている。もちろんこちらは「素顔」なので、マスクはない。だから、名簿の顔写真と、授業中のマスク学生が同一人物なのかどうか、心もとない。
たまたま、街中で学生さんに声をかけられた。うーむ、誰だったかなあ。「私ですよ、わ、た、し」、と言われても顔に覚えがない。しばらく話をしていて、ああそうだ、と思った。マスクをしていないのである。授業中は、マスクをずーっと使っていたので、顔の下半分を見たことがなかったのだった。

2018年2月5日月曜日

コワい

この季節になって何がコワい、と言えばシモヤケである。
子どもの頃からシモヤケがひどい。冬になると足指が赤くふくれてしまう。いつもの靴がきついなーと思うと、シモヤケ発生である。
血行不良が原因らしいので、きついなー、などと思っていると、ますますひどくなる。悪循環である。
寒くなってシモヤケしそうだなーなどと、少し厚手の靴下をはいても、靴はきつくなるので、シモヤケ発生である。
父の姉妹はシモヤケのできる人がいたそうで、遺伝かなあ、などと言っていた。ありがたくない遺伝である。
祖母には、靴下に唐辛子を入れなさい、と言われた。靴下の中でもろもろになってしまい、白い靴下の先が赤くなってしまったが、シモヤケは治まらない。
こたつに入って暖まると、おそろしく痒い。
母には、お風呂でちゃんと揉みなさい、と言われた。一生懸命揉むと、シモヤケは治まる、のだが、その後が悲しい。どす黒くなってシワシワのカサカサである。足先だけ、ほぼミイラ、である。
中学高校のころは、通学が革靴だった。夏用と冬用を用意してもらった。冬用はワンサイズ大きい。ちょっと厚手の靴下をはいたシモヤケでふくれた足にジャストサイズである。
数年前は、手指にもできたので、思いあまって皮膚科へ行った。医者が「子どもさんのようですねえ」などと言いながら処方箋を書いた。シモヤケは子どものものなのだろうか。しかし発生するんだから仕方がない。
そういうわけで、冬になるとシモヤケはコワい。札幌雪まつりなども、いいなあとテレビのニュースは眺めるのだが、きっとシモヤケが発生するだろうなあ、と20年ほど二の足を踏んでいる。スキーやスケートのウィンタースポーツも、コワいものである。

2018年2月4日日曜日

昨日は節分。最近では、恵方巻きの方がよく目につく。年が明けるとすぐに「予約開始」のバナーがコンビニに掲げられる。どちらかと言えば、鬼は外、が節分の気分、ではある。
数年前にインクジェットのプリンターを修理に出した。戻ってきたときに「ご注意」というプリントが入っていた。トラブルシューティング一覧、という趣である。そのうちにひとつ、「節分の時は、プリンターのスロットやトレーを閉じておいてください」というのがあった。開けておくと、マメが飛び込んで、機械の故障の原因になってしまうらしい。しかも季節行事であるので、「節分後の修理依頼が多く、修理に時間がかかります」らしい。今のご家庭だと、コンピュータよりもスマホ、という向きが多かろうから、プリンターそのものが、あるのかどうかは疑問だが。
出入りをしている研究室にも、豆まき用のマメがどーんと置いてあった。マメはまいたの?と聞いたら、「うちではまくより先に、お腹の中に入ります」。研究室のスタッフには、鬼など怖くないのかもしれない。

2018年1月29日月曜日

出前

私にとっての家庭生活で、とんと縁がないものに「出前」がある。個人的な家庭の事情とか嗜好などがあるのだろうが、実家がほぼ外食のない家だったので、必然的に出前もなく、当然私も出前に慣れずに育った。出前という制度に慣れたのは、勤務先でよく利用していたからだ。勤務先では、出勤する先生に朝一番、出前の注文をとる。集計して、あちこちに注文する。非常勤の場合は料金を徴収。専任の先生は「つけ」にして、月末にまとめて徴収。というルールだった。出前先は、蕎麦屋、定食屋、中華屋などいくつかあって、定休日が違う。店ごとに、注文の〆の時間が違うので、それに併せて注文を電話する。昼飯で、午後の授業のテンションが変わる先生もいるし、昼飯時のおしゃべりでそれなりに息抜きしてもらうので、まあそれなりに、地味だが一応お仕事、ではある。
その後、ヘルシー弁当屋とか、カレー屋とか、FAXで注文とか、1週間まとめて注文とか、インターネットで注文とか、いろいろなお店や制度が出てくるようになった。変わらないのは、昼飯を持って来てもらう、ということである。
先日も研究室でお昼の注文をスタッフがとっていた。たった1人前の注文で出前を取るのは心苦しいので、たいていは2−3人前になるように配慮する。「あのー、今日はここの店で注文してもらえますか」。たいていの人は、あまりわがままは言わない。
ところが先日、11時頃を過ぎて出前を頼んだ蕎麦屋から電話が入った。料理が届けられないそうである。出前の店員がいなくて、出前が捌ききれないそうで、ここ数日はかなり出前をセーブしていたらしい。店主は電話先で「人手不足で」と嘆いていたそうだ。
世間では人手不足と言われている。さもありなん。

2018年1月28日日曜日

天気

住んでいる首都圏では、先週は雪が降った。大雪である。
数年前の降雪で懲りたので、雪かきは早めにやってしまうことにしている。住んでいる家の周囲は、とにかく雪をどけておかないと、車が入りにくい。同居人が出張中でおらず、翌朝は一人で雪かきを始めた。
どの家の住人もすべからく、自分の家の周囲をかけばよいのだろうが、ここらへんは高齢の居住者が多い。自宅の向かいは、表札はかかっているが住人はいない。結局、向かいや隣の家など2−3軒分のの周囲もかくことになる。高齢の一人暮らしの家の玄関前など、何軒かの隣人が手伝いながら雪かきをする。
結局雪をかくのは、主婦かリタイアしているオジサンである。一番馬力のあるオトーサンくらいの年齢だと、這ってでも会社に出かけなくてはならないらしく、朝早くに雪を踏みしめて出かけていった。
翌日はともかく、その後も例年になく寒い日が続いて、残った雪はカチンコチンになっている。今一番忙しいのは水道屋さんだそうで、凍ったー破裂したーと呼び出されているそうである。

2018年1月22日月曜日

抑止力

昨年、高速道路での迷惑運転がらみの事故の後、飛ぶように売れ始めたのは「ドライブレコーダー」だそうである。おりしも、デジタルカメラが小型化したり、ストレージが小さくなったり、スマホに無線でデータを飛ばせるようになったり、という今日の技術をフルに生かせるガジェットではある。こういった機器は、日進月歩でよくなるものだ。よくなる、方に行かない場合は、安くなってくる。かれこれ30年ほどビデオカメラを触っている側から言えば、こんなちっこいカメラで、よくこの画質で撮影できるなあと、感心する。
ずいぶん前から同様の機器はあったのだが、ここしばらくで普及に弾みがついた、という印象がある。ディーラーに行くと、新車のオプションで組み込めるようになったり、新型機種のデモ機が置いてあったりする。
普段自動車で走っていても、あおられることがある。以前は、あおられてコワいので、逃げられるほどの車に乗る、というのが私的なルールだった。今は逃げるほどのこともなくなったが、それでも不愉快ではある。あおってオカマ掘られたら、と思うと、ドライブレコーダーも有りかなあ、と思うようになった。目を剥くほど高額なものではなくなった、ということでもある。
いいところ、2−3万円も出せば、それなりの機器が買えるのだが、ディーラーできれいに工事してもらうとその工賃が約2−3万円かかるらしい。この手の機器は、配線工事がそれなりに必要で、それを隠すのにあちこち内装を外して戻す作業が発生する。きれいに仕上げるためにはそれなりの費用がかかる。
最初はバスが多かったが、最近は普通の乗用車でも「ドライブレコーダーで録画中」というステッカーをよく見るようになった。実際に機器を設置しているか、よそからでは分からないが、抑止力にはなるのだろうか。

2018年1月18日木曜日

軽量

同居人が自転車を買おうと画策している。
画策、というのはたいてい、布団の中でタブレットでECサイトを眺めている、ことである。
乗り物好きなのか、飽き性なのかよくわからないが、自転車もいろいろととっかえひっかえしている。
電動アシスト自転車、というものが発売された頃、坂道が多い街に住んでいたこともあって勇んで買った。20年ほど前のことだ。なかなか面白い乗り物で、走り始めに後ろから誰かが押してくれているような感じがする。結構楽しく、あちこちに出かけていた。
悲しいのは、電池、と言う存在である。当時のことなのでニッケル電池、もちろん重たくて高価である。残量がLEDのインジケータランプで表示されるのだが、これがどれほど「もつ」のかは、経験値でしかわからない。いや経験値でもよくわからない。もちろん、経年劣化もあるし、疲労もある。アシストやライトで電力を食うわけだから、どんな道でどれほど使ったのかも分からない。そのくせ、充電には時間がかかる。最悪なのは、出先で電池切れになったときだ。必要以上に重たい自転車に変身してしまう。坂道をのぼるのに、「快適」どころではなく、「重労働」である。今は、もっと軽くて性能の良い電池が使われているのだろうが。
そんなわけで、引っ越しを機に自転車を買い換えた。いわゆるクロスバイクという種類だ。その後、自動車に積んで先方で乗るというので、折りたたみ自転車に買い換え、タイヤ系が小さいので乗りにくいと、折りたたみ自転車2号に買い換え。再び、坂道が辛いと、電動自転車2号に買い換え。こちらはバッテリーが小さいのだが、やはり持ちが悪くて、帰宅時にバッテリーが持たない。再び折りたたみ自転車3号に買い換え。先週は、やはり健康のためには、もっと走るのが欲しいとクロスバイクに買い換え。今回は、重量9キロほど。最初の電動自転車は20キロほどあったのだが、自重も軽いと快適に走れるそうである。ここ数日は「自転車は軽いのに限る」が口癖だ。それよりも、乗る人間が標準体重にダイエットした方がもっと効果的だと思うのだが。
さりとて、自転車遍歴も激しい同居人である。

2018年1月17日水曜日

制度

しばらく前のニュースで、夫婦別姓についての訴訟を取り上げていた。
数年前にも、「別姓」問題で訴訟があり、なかなか懲りない国だなあと思ってしまった。
男性側が不利益を被ることがあまりないし、私の母親のように家事手伝いからサラリーマン家庭の専業主婦になったような人は「不都合」を感じることも少なかっただろう。母親が結婚してから既に半世紀以上、世間様は動いているのに、制度は動かないものである。
私も旧姓で仕事をしているクチなので、姓を変えるというのはいろいろと面倒だった。公的な書類はすべて変更しなくてはならない。役所や銀行というのは日曜日は営業していないので、平日何回か休みを取って役所の窓口で書類を書いたり申請したりする。名前変えました、という書類を一式揃えて、勤務先にも申請しなくてはならない。今と違って、アナログな時代である。インターネットで一発、では済まない。書式通りに書類をつくって、窓口に申請し、別の日に受け取りに行く。あれやこれやで、時間的なロスも多い。若かったので財産もなく、それくらいで済んでいたのだろうが、登記を変えなくてはならなければ、書類ごとに「変更」のための費用がかかったはずだ。
けっこう面倒だったので、これが結婚の「代償」かと思った。相手の方は、何も変更するものはない。勤務先に口頭で届けて、健康保険証を書き換えてもらうくらいだ。不公平である。全然、「平等」ではない。
同居人と一緒になるとき、あちらはバツイチコブつき。同居人は三人兄弟、お母さんが「跡取り娘」だったし、同居人はフルタイムの教員だったので、男性が名字を変えるなど全く発想がなく、まあしょうがないかなあと私が変えることになった。役所に行くために休みをとるたびに後悔した。
仕事の方は、旧姓で引き続き作業させてもらっている。フリーで仕事もしていたし、名字としてカブる人があまりいなかったし、名字を変えたから仕事を変えるわけではないからだ。その前に、銀行口座は本人の戸籍名でしか登録できなくなったので、仕事をしている名簿上のお名前と、経理課で使ってもらうお名前と、今も2本立てでやってもらっている。めんどくさくて申し訳ない。
この期に及んで面倒なのは、ずーっと昔に使っていた銀行口座の解約に手間取ったことだ。3−40年ほど前につくった口座なのだが、ほぼ動かしていないので、解約しようとしたら、本人確認が出来ない、と言われた。旧姓で確認できるモノはと言えば、昔のパスポートくらいしかない。
現在動かしている口座に、お仕事で報酬を振り込んでもらうとき、名義が「お仕事用」の名前ではないので、問い合わせが来たり、振込ミスがあったりする。これも面倒である。全然、「平等」ではない、けどなあ。