2018年12月23日日曜日

ブラック

ここ数日のニュースに、教員の勤務時間の上限設定についての話題があった。
同居人が小学校の教員をやっていたので、長時間かつ変則的な時間で勤務している実態は眺めていた。
https://tcd5m.blogspot.com/2017/05/
以前は、教員は「稼ぎが良い」部類の職業だった。定年まで勤め上げれば、退職金と年金で悠々自適、といったイメージがあった。だから我慢して時間外労働、という向きもあったかもしれない。今はどう見ても「ブラック企業」である。教員という人種が、自分で自分の仕事を増やす、という傾向のある人が多いとも思うが。
解決策が「勤務時間」と考えるのは、現場を知らないのではないかとよく思う。小学校の授業は45分くらいが一コマ、休み時間も授業の準備があったり、給食時間も子どもと一緒だったりで、「休憩」がない。放課後のクラブや委員会、保護者との面談、報告書を書き、翌日の授業のプリントの準備をしたら、既に夜である。勤務時間を「減らす」ことが解決策にはならないだろう、というのは現場を見ていればすぐに分かる。学校にいられなければ、隠れ残業をしたり、お持ち帰りの宿題になったりするだけだ。どこにしわ寄せが行くか、といえば、子どもに向かうだけだからだ。
教員数を増やす、という対策もよく見かける。これも案外解決策にはならないような気もする。学校卒業後いきなり教員になってしまう「先生」は、いろいろな意味で実務経験がないから、「使えない」と思うことがよくあった。むしろ業務のタスク分けと、それに見合うプロフェッショナルの配置だろう、と新聞を読みながら考える。授業で言えば、「教員」よりも、秘書やアシスタントといったイメージである。出席簿やテストの点数の集計などの事務作業、プリントや授業教材の準備などの実務作業、機器の扱いなどのアシスタントエンジニアやインストラクターといったイメージだ。もちろん、クラブや委員会などの授業外の専門的な指導は、別のスタッフでチームを組む。もっとさまざまな人が教育現場に出入りすることで見えてくるものがたくさんあるような気がする。問題は、現場の先生がチームでプロジェクトをやったことのある人がどの程度いるか、ということかもしれない。仕事を抱え込む先生が多いように思えるからだ。結局現場の働き方ではなく、教員養成から考えるべき問題なのかもしれない。

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