2018年10月7日日曜日

あたって砕ける

授業では、動画作品をつくる、というのが課題のひとつにある。テーマやモチーフは何でも構わないが、自分たちのスキルと授業期間中のスケジュールでまかなえるもの、という条件がある。映像系の学科なので、どうしても学生さんは映画だの、ドラマだのを想定するらしく、ある程度のストーリーを持ったフィクションというスタイルが、ある程度は出てくる。実際に彼らが見ているものは、テレビや映画館、レンタルビデオや動画ストリーミングサービスで見る類のものなので、それなりのクオリティがある。実際に「見ること」と、「つくること」のギャップを体感することも課題の目的のひとつである。
19−20歳くらいの学生さんが考えることなので、例年必ず出てくるのは「恋愛ドラマ」である。数分の長さの課題なので、あまり大きなストーリーにはならないが、たいていは「片思い」、「思いが伝わる」、あるいは「相互の誤解」といったことがモチーフになる。人類永遠の主題だろう。
こういったフィクションというものは、実体験があればリアリティが出るものだ。実体験がなければ、それなりにリサーチをして、体験談を集めたりする。全くの「絵空事」を描くのは、逆に難しいのだが、学生さんはそれまでに見てきた「恋愛ドラマ」や「恋愛漫画」から、フィクションを構築しようとする。だからどこかに「ほころび」が見えてしまうことがある。
片思いの男子学生Aにラブレターを書いた女子学生Aがいる。自分では渡せないほど内気なので、友だちの女子学生Bに渡してもらうように頼む。女子学生Bは存外ちゃらんぽらんな性格なので、男子学生Aのロッカーに手紙を突っ込む。ところがそのロッカーは、当の男子学生Aのロッカーではなく、男子学生Bのものだった。ラブレターを発見した男子学生Bは、自分に来た女子学生Aからのラブレターだと思って有頂天、といった筋書きだった。
学生が書きたかったのは、「行き違い」や「誤解」による「思い込み」といったことだった。筋書きを書いた本人は大真面目なのだが、かなり「ほころび」が見える。そもそも大事なラブレターを渡すなどという人生の大事件を、ちゃらんぽらんな友だちに頼むだろうか。誤配されたラブレターを自分のところに来た、と誤解するのは、宛名がないからだ。ラブレターを書くのに、差出人の名前を書いておいて、宛名を書かないものだろうか。実生活ならどうするだろう。少なくとも宛名は書くだろうし、書かなければ確実に相手に渡ることが前提である。人づてに確実に渡すのであれば、ちゃらんぽらんな友だち経由ではなく、かなり口の堅い、いわゆる秘密が共有できる親友だろう。男子学生Bが有頂天になるのは、女子学生Aがもしかしたら自分に気があるかもしれない、という伏線が必要だ。
なぜこうなったか、といえば、筋書きを書いた本人に恋愛経験はなく、したがってラブレターを書いたことも、渡したこともなかったからだ。
人生もフィクションも、なかなか思い通りにはいかないものだが。

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