私が大学助手として残っていた時期は、「バブリー」な頃で、学生もイケイケ、就職は売り手市場、しかも従来とは違った会社から求人があったり、専攻分野とまったく違う業種や職種に潜り込めた時代だった。
大手のメーカーや代理店は、今のように早い時期ではなかったにせよ、それでも3年生後半から「青田刈り」を始めており、夏休み前に内定がずいぶんと出されていた。
出されていた学生は安心して学業に没頭する、予定のハズである。
大手の会社に一番早く内定を決めた彼は、「予定」を忘れて学生生活を謳歌しすぎてしまった。後期の授業は手を抜き、卒業制作もかなり「しょぼい」ものを出してきた。卒業制作展の講評が終わると、教授や講師の先生方が集まって「審査会議」のようなものがある。案の定、あんな卒業制作で卒業させていいのか、大手の会社に内定しているのにそれにふさわしくない卒業制作ではないかと、厳しい(いや当たり前な)意見が噴出した。内定も決まっているのだから、しょぼくなってしまった言い訳を聞いて、1ヶ月くらいで「再提出」、グレードを上げることを条件に単位を出そう、という「大甘」な妥協案が出された。そこで、当の学生に連絡をしたが、連絡がつかない。実家に連絡をしたら「卒業制作提出後、その足で海外へ卒業旅行(その当時流行っていたのは、海外自由旅行というやつで、行きと帰りの便だけ確保、その間フリープラン)に出かけて、帰国は卒業式前日の夜中」ということだった。
当時は、携帯電話もなく、ファックスも一般には普及していない国もあり、「フリープラン」なのでホテルの予約も入っているはずもなく、帰ってくるまでは「なしのつぶて」、研究室のスタッフは彼のことであたふたしているのに、ご当人はのんびり海外旅行である。
「取らぬ狸の皮算用」と言うが、取った狸でも、最後まで見届けなくてはいけないのである。
卒業制作の時期になるとそんなことを思い出す。
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