2012年1月18日水曜日

卒業制作はもとより、美術も、今やコンピュータなしには考えられない時代になった。

デザインや映像などはもちろん、ファインアートの分野でもコンピュータを使った絵画や、三次元モデリングの彫刻などが出てくる時代である。
その昔は、そんなものはなかったから、人海戦術だったり、外注作戦だったり、体力と気力(と資金)が勝負だったりした。
コンピュータが介在するようになると、それは人の、ではなく機械の「性能」の勝負になったりする。

十数年前になるが、ある学生が夏休み前に卒業制作のプランを提出した。三次元のフルコンピュータグラフィックスのアニメーションだ。当時としてはマシンスペックがとても足りないので、普通は二の足を踏むような企画である。本人は努力家で、論理的、用意周到なタイプなので、プロトタイプを含めて他の学生さんよりもかなり先んじて作業を始めていた。秋頃から、工房のコンピュータ数台で、本番用のレンダリングを開始した。
ある日の夕方、一天にわかにかき曇り、夕立が降り始めた。ごろごろと遠くに雷の音もする。雨は激しく、稲光もしきりに走るようになった。「えっ」と思った瞬間、室内の照明が消えた。停電である。窓外を見ると、他の建物も暗い。数分の内に復旧し、蛍光灯がちかちかと点灯する。
ああよかった、とこの場合思ってはいけなかった。案の定、悲鳴を上げて件の学生が研究室に飛び込んできた。
メディアにフロッピーを使っていた時代の話である。ハードディスクやメモリーはとても高価だし、今のようにアクセスは早くない。たいていは1日、あるいは数日の作業終了後、お食事など人間様の休憩時間に、のんびりとバックアップをとる時代だった。その学生もその段取りで作業をしており、雷も近くはないから大丈夫と踏んだらしい。その数日のデータがふっとんでしまったと言う。泣く泣く作業をやり直した。
これが冬休みの停電だったら、提出に間に合ったかどうか。

それ以来、研究室は夕立情報にナーバスになった。夕立の来そうな日は、早めに学生の作業を切り上げるようにした。
今やコンピュータもドライブの性能も上がり、バックアップの方法もいろいろ選択できるようになったし、頻度も上げられるようになった。夕立の心配は今では笑い話だろう。

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