2012年1月8日日曜日

アッパッパ

美術学校では人体を描くことが必須である。クロッキー、デッサン、油絵、日本画、彫刻、いろいろな授業で「人体」を扱う。モチーフになるのは「モデルさん」である。
モデル、といえば、たいていの人はファッション雑誌に出ているような人物を思い浮かべるだろう。しかし、アトリエに出入りするのは「美術モデル」というのである。ファッションモデルとは、仕事の内容もスキルも、全く違う。
20分ポーズ、10分休憩、を繰り返して3時間、それを月曜日から土曜日まで、同じポーズでこなす、などというのが絵画のモデルのスキルだったりする。
ファッションショーに出るモデルのような、スレンダーな背の高い若い人ばかりではない。背が低く、ぽっちゃり系だったりする。
裸婦を描く絵画の授業では、「ついこの前お産したのよ」というすっぴんのおねえさんが来た。隣のアトリエでは、新人らしいとっても若い、当時のアイドル似の女の子が来ていた。最初の頃、男子学生は喜んでいたが、休憩ごとにポーズが少しずつ変わってしまって描きにくいよ、という愚痴を聞いた。写真モデルのように、「若い」「細い」「顔の可愛い」人が描きやすいわけでもない。
モデルさんの休憩用に、お茶やお菓子なんかを用意するのは、アトリエの学生が交代で係をする。3時間の授業だから休憩は6回、コーヒー、紅茶、緑茶など飽きないように取りそろえるのだが、毎日同じではならない。モデルさんの機嫌を損ねたら、大変である。機嫌良く「モデルさん」としてお仕事をしてもらって、初めてこちらの絵も完成するからである。前日、次の日と、綿密に打ち合わせをして、おやつ係もかなり頭を使う。
ヌードだとモデルさんに合わせて室温に調整するのも、学生の係である。モデルさんに様子を聞きながら、石油ストーブの出力を微調整する。モデルさんが風邪でもひいたら、明日から絵は描けない。自然室温は高めになるなので、学生さんは汗だくである。
休み時間にアトリエの外でタバコを吸っている、突っかけサンダルに「アッパッパ」を着たおねえさんは、ヌードのモデルさんである。学生さんたちよりも、はるかに貫禄があった。私のクラスのモデルさんは、仕事が終わると「アッパッパ」から革のジャンプスーツに着替えて、ナナハンにまたがって、颯爽と帰った。

学科の編成替えや、情報系、デザイン系の専攻が増えたせいか、以前よりも学内でモデルさん達を見かけなくなった。美術とは、何にせよ、どのようなかたちであれ、人と対峙するものではなかったのかと、コンピュータのディスプレイやスマホを見続けている学生さんを眺めながら考えている。

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