本格的なロードでなくても、貧乏学生の交通手段はセコハンのママチャリというのが定番である。
先輩からもらったり、買い受けたり、というケースもあるが、たいてい学校の近くの自転車屋には「中古 3000円」などという紙が貼ってあるのが並んでいたりする。
研究室に勤務していた頃、別の研究室の助手が行方不明になったことがあった。
ある日助手が無断欠勤した。1-2日なら、まあ具合が悪くてアパートで寝ているのかもと、鷹揚なのが美術学校の常である。しかし2-3日しても本人の連絡はない。無断欠勤の初日の朝、普段通り、自分のアパートからママチャリで学校へ向かったのを、近所の人が見ていたりした。しかし学校には着いていない。交通事故かもと、学校はあちこちに連絡したり、通学途中で行き倒れか誘拐事件かと、ひととき学内で噂になった。警察へ手配したり、ご家族が上京してきたりと、しばらく当該の研究室は忙しかった。彼の担当していた学年も、しばらくは落ち着かない日々を過ごしていたようだった。
結局数ヶ月しても、本人の音沙汰はなく、何となく休職扱いになり、年度が替わって、空席に新しい助手が着任した。
その後残った彼の在任期間中は、どうしたのだろうかねえ、と、時折話に出るくらいになった。
日々の忙しいことにかまけている間に、それとなく彼の痕跡は学内から消えていくようだった。