同居人は数年前まで小学校で教えていた。
こちらは、大人になると小学校のことなどだいぶ忘れていたりするし、その頃と今では小学校を巡る状況もずいぶん変わっていたりする。
1年生の担任をしていた5月のある日、日曜日の朝につきあってくれないかと言う。小学校へ行きたいらしい。
ついていくと、教室の外、窓の下に、1列に植木鉢が並んでいる。アサガオである。3つくらいの小さい芽が出ている。
アサガオを育てるのは、今でもやっているんだねえと思っていたら、一回り大きな鉢を持たされた。こちらはもっとたくさんのアサガオの芽が出ている。同居人は、窓の下の鉢をひとつずつ確かめている。出ている芽が3本以下の鉢を探して、私の抱えている鉢の芽を、子どもの鉢に移植しているのである。
植物のタネはすべてが発芽するとは限らない。しかし、自分の鉢で植えたタネが出てこなかったら、子どもが悲しいと思うだろうし、カリキュラムでは「鉢に3本の芽が出ている」ことが前提で、次の作業にとりかかることになっているらしい。
子どもの鉢は、すべからく3本の芽が出ている状態になって、本日の作業終了。
このような努力が日本全国均質化された義務教育に寄与するのだろうが、何かベクトルが違うような気がする。
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