2012年2月4日土曜日

目隠し


大学入試の時期になると、あまり親密ではない知り合いから、たまーに連絡が入ることがある。
お宅の学校を受験するのがいるんだけど、というのである。
しばらく前は、学校の後輩であったり、予備校の教え子だったりしたのだが、最近だと「うちの子」になったりしている。たいていは、それでどうなる、というわけでもないので「じゃ、がんばってねー」で会話は終わる。

私が入学試験の監督をしていた十数年前、実技試験では受験番号と名前を書いた場所に、当人が上からシールを貼り込んで試験開始、または終了であった。名前を隠すシールを「目隠しシール」と称していた。
試験監督であっても、どれが誰の絵だかということは、業務も多くて余り覚えていられない。それを採点用に並べる人、採点する人間、採点結果をチェックする人、目隠しを外して集計する人、と作業はいくつかの段階に分けられており、その都度何人もの人が入れ替わり立ち替わりやってくる。絵と名前、というのはかなり分離されて採点されているのだと思った。もちろん、採点中に知り合いの名前だから手心、というのもあり得ない(というより前に、採点作業はかなり忙しくて、そんなもの加えているヒマはなかった)だろう。アナログだが、上手いシステムだと感心したことがあった。今はもっと効率的なシステムを組んでいるのかもしれない。当事者であっても、手心は加えにくいだろうなあと思った。

最近はどちらかと言えば、願書提出前の相談には応じることにしている。
親世代と、今の世代の「受験」の感覚はずいぶん違うし、学校に入ってからの状況だってずいぶん違う。転科、編入、他大学の大学院への進学、美術系の博士課程など、就職を考えなければ学生生活のバリエーションはかなり広がったと思う。10年、20年前の学生生活とは違うのである。
親も子も、「合格する」ことをゴールにしているように感じる。大学に入って何を勉強し、どんなことをやりたいとか、やってみたいとか、社会で役立てたいとか、そういう話にはなかなかならない。

それで結局、「まあいろいろリサーチした上で、がんばってねー」で、会話は終わることになるが。

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