2012年2月5日日曜日

写経


私が助手だった時分、映画の授業の最初の宿題に、「シナリオを原稿用紙に手書きで書き写す」というのがあった。学生さんたちは大変がってはいたが、黙々と書き写していた。
その宿題は「写経」と呼ばれていた。

少なくとも、ある程度のシナリオのルールや、文言の使い方、既に映画はあるのだから映像と文字の比較を感じながら作業をしていたはずで、無駄ではなかった(と思う)。
手が考えたり、手で覚えたり、ということは、美術にとっては大切な感覚だ。
少なくとも、手を動かすことを億劫に思うのであれば美術の現場にはあまり向かないかもしれない。

いくつか担当している授業のうち、レポートを提出してもらうものがある。「手書き」、でお願いしている。
コンピュータで何もかも作業する今日、時代錯誤だと思うだろうが、これはこれなりに効用がある。
ひとつは、手で書くことの学習効果だろう。ぽちぽちとキーを叩くよりも、原稿用紙のマス目を丁寧に時間を掛けて埋める方が、ものを覚えたり、思い返したりする時間が稼げるからだ。もちろん、参考図書からコピペするにせよ、手書きだから少しはアタマに残るだろうという老婆心だったりもする。
ときどき、とっても殴り書きだったり、書いては消しの汚れた原稿用紙だったりすると、悲しくなってしまう。ああ、レポートやりたくなかったんだなあ、締め切りぎりぎりで慌てていたんだなあ、カレー食べながらレポート書いていたんだなあ。

デジタルでは伝わらないことも、伝わってしまうのが、アナログの怖いところでもある。

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