2012年2月29日水曜日

クリック


授業をやっていると、学生さんの反応がとっても新鮮なことがある。

コンピュータを使い始めた10年以上前は、あまり使い慣れない学生が多かった。
20名くらいを相手に、アプリケーションの使い方を教える。
全員に同じ作業を横並びでさせながら教えるので、誰かが作業に行き詰まると、その他全員が待つことになる。
「はい、ここで右クリックすると、別のメニューが出てきます」
学生カチカチ。
「先生、出てきません」
えー、おかしいなあ、右クリックしてますか。
「何度クリックしても出てきません」
使っている卓へ回り込んで様子を見る。
カチカチ。「ねー、ほら、出てきません」
あーあのね、君は左クリックしているのよ。
「いえ、右手の人差し指でクリックしています」

じゃあ、左クリックは左手でしていたのかしらん。

2012年2月28日火曜日

散歩の連れ

住んでいる場所は、ちょいとした郊外である。

一軒家も多く、近くに公園や雑木林もあったりする。
勤務先に出かける時分は、お犬さまの朝のお散歩タイムの最中である。

引っ越してきたのは10年ほど前だった。その頃はコーギーやラブラドルが多かった。その後、マルチーズやピジョンフリーゼ、シーズー、その後にはチワワ、それからミニチュアダックスフンドにトイプードルが多くなった。日本は飼い犬の犬種にとても「流行」がある。引っ越す前に流行っていたシェルティやシベリアンハスキーはもうほとんど見かけない。朝のお散歩のお連れも、ずいぶんと変わるものである。
私が子どもの頃と違って、犬は長生きである。その頃散歩していたコーギーやラブラドルは、かなり年老いてきてはいるが、まだ数頭は見かける。ちょっと郊外と言うこともあって、ピレネー、グレートデン、ドーベルマン、アフガンハウンドなど、大型犬を見かけることもある。

あの白い犬は、本当に大きいよねえ、などと言いながら、車を運転しながら同居人と前方の散歩人を眺めていた。
お連れは白い山羊だった。

2012年2月27日月曜日

日曜日は


雑煮くらいなら喧嘩にならないし、話のネタとしてはいいのだが、時には自分の先入観が世間一般の常識(つまりふつう)だと思っていることもある。

「都心の商店街は、シャッター街、ゴーストタウンのようでした」
フィールドワークの後、それぞれが出かけた街について、いろいろ話していたときだった。
「個人店舗はもう営業できないって言うのが、都内ではふつうじゃないですか」
え、それって「普通」なの?
「テレビでもふつうよくやってますよね」
テレビの言っていることを全面的に信用している学生が、いまどきいるのである。
ところで、どこへ出かけた?
「目黒駅の周辺、坂に沿った商店街です」
あれ、権之助坂かなあ、まあ確かに小規模飲食店の多い商店街ではある。しかしそんなに閉まっている店が多かったかしら、いつ出かけた?
「先週の日曜日の午前中です」
さもありなん。
「日曜日って、ふつう営業してますよね」
その商店街は日曜日がお休みのお店が多い。なぜなら会社員、お勤め相手のお店が多いからだ。日曜日がお休みの学生さんがよく行く店は、日曜営業しているだけなのである。

テレビは見るが「Never on Sunday」は知らない。

2012年2月26日日曜日

ふつう


授業で学生と話していると、ときどき話が食い違い、それがどんどん大きくなってしまうことがある。会話の中でこんなフレーズが出てくると要注意である。
「ふつうそうじゃないですか」
いや普通じゃないのよ、と言うと、あからさまに不満な顔をしたり、ときには逆上したりする。
「だってそうじゃないですか」

たいていは彼らが「普通」と思っていることは、世間一般から言えばごくごく少数派であったり、まれなケースだったりする。「普通」とは自分を含めたごく狭い「世間」のことを言っている。
たとえばこんな感じである。

正月の決まり事について何となく話が進んでいる。
「正月の雑煮は、鶏肉に決まっているじゃないですか」
しばらく話していて、いや、そうとは限らないのよ、とでも言ってみる。
「えーそんなことないですよ。だってふつう鶏肉じゃないですか」
いやいや、ぶり塩鮭するめハマグリ、丸餅角餅焼き餅煮餅あんこ入り、おすまし白味噌赤味噌小豆、いろいろあるのよ、と諭してみる。
「だって、うちの雑煮がふつうなんです」
もう頑なである。

いやだから、君のうちが全国的なスタンダードではないんだから。

2012年2月25日土曜日

正解


今も昔も学生はアルバイトをする。
もちろんそれが本業になることもある。

普段の授業ではごく普通だったのに、ある日の授業で彼女は「すごい」格好でやってきた。ミンクのロングコートにハイヒール、やけにタイトなワンピース(その頃の言葉で言えば、ボディコン)、エルメスのスカーフ、シャネルのマークのアクセサリー、ヴィトンのバッグ。大概の学生は女子であっても工房作業なので、ひっつめ髪にすっぴん、よれよれのジーンズにスニーカー、という格好であった。およそ美術学校とは縁のない格好に、みんなが目を丸くした。
ばっちりメイクの彼女はこう言った。
「すいません、急ぎのご指名が入ったので、自分の講評が終わったら早退します」

彼女のお父さんは赤坂の高級クラブ経営者で、お嬢さんもお店に出ていた、と後から聞いた。
後から、というのは、その後彼女は中途で退学してしまったからだ。学校よりもクラブの方が社会勉強になると思ったのだろう。それはそれで彼女の出した「正解」ではある。

2012年2月24日金曜日

型をとる


今も昔も学生はアルバイトをする。
時には不思議な仕事も舞い込んだりする。

友人のやった仕事で「お尻の型どり」というのがあった。
生理用品のCMで、モデルさんが椅子から立ち上がると、椅子にはお尻の形のくぼみがあって「座ってもぴったり」といったコピーが入る。その立ち上がった椅子の「くぼみ」をつくるのである。
ところが出演するモデルさんはとっても有名タレントなので、型どりするヒマも、型どりにあてるギャラも出ない。そこで背格好の似た他人が「型」だけ取ることになったらしい。そういった道具をつくるのは「美術」さんである。おのずと知り合いに声を掛ける。

「石膏の上に、薄い下着で座る」仕事である。凝固時間は短くはなく、その間身動きできない。
ただ座るだけというのも、実は辛いのよ、と言われたその「お尻のへっこみ」も、CMでは出演5秒といったところだった。

2012年2月23日木曜日

微妙な注文


今も昔も学生はアルバイトをする。
世の中には思いもかけない仕事が転がり込んだりするものである。

美術学校なので、技術を見込んで、という仕事もあったりする。
前にも書いたが、彫刻学科の学生が、石屋、鉄工所などで働く、などというケースである。
ある日、テレビ局にお勤めの先生から、誰か紹介して、という連絡が入った。
油絵で模写をして欲しい、というのである。
ドラマのシーンでレンブラントの自画像を見せる必要があるのだそうだが、著作権使用の許諾が下りなかったらしい。そこで「レンブラントの自画像」っぽい油絵が欲しいのだそうである。しかもそのままの模写ではよろしくないらしい。何とも微妙な注文ではある。

2週間あまりを使って描かれたその絵は、出演15秒ほどだったろうか。
しかしドラマの中でちらっと出てくる絵でも、それなりに描いたものでないとボロが出る。

2012年2月22日水曜日

ウグイス


今も昔も学生はアルバイトをする。
美術と全く関係のないアルバイト、というのもある。

担当していた学年の女子学生の話である。当時は知らなかったのだが、卒業して何年もしてから会ったときに、そういえば、という話になった。
「私、ウグイス嬢をアルバイトでやったのよ」と言う。
彼女の実家は普通のサラリーマンだし、コンパニオンや劇団の役者をやっていたわけではなかったので、すごく意外だった。
そのクラスの同級生の一人に、政治家の親戚をもったのがいた。在学中に総選挙があり、ご親戚ももちろん立候補した。政党に所属していたので、同じ政党からもたくさんの候補者が出る。発足したての政党なので実働部隊が少ない。そこで親戚の坊やに実働部隊の招集が言いつけられたらしい。所属政党の誰かの宣伝カーに白手袋で乗る。同期には「僕は違う候補者の事務局を手伝ったよ」という男子学生がいた。

アメリカの映画を見ていると、選挙事務所の手伝いのシーンがよく出てくる。応援団でボランティアだったりする風情である。
美術学校の学生さんはほとんどがノンポリに見える。その頃名前を連呼した候補者を、彼女は覚えていたり、その後の動向をワッチしていていたりしたのか、ということは聞き損ねてしまった。

2012年2月21日火曜日

ストッキング


今も昔も学生はアルバイトをする。
先立つものはお金である。美術作品には金がかかる。

私のやったバイトで一番割が良かったのは「配膳人」である。日本語で言うと何かと思うが、英語で言えばウェイトレス、ただし結婚披露宴である。
ホテルを始め、披露宴を持つ会場での給仕は、何人かがホテルの人で、あとはアルバイト、といのが多い。披露宴の入っている日時だけ、仕事がある。都内にいくつか「配膳人紹介所」というのがあって、そこに登録しておく。登録所は、仕事のある日時に行ける登録者を捜して、仕事の日時を伝えるのである。だから、定期的に仕事があるわけではない。「来週の日曜日、2時にKホテル、行けますか-」という電話がかかってくるので「行きまーす」と言うと、集合時間と場所、持参品など詳細を教えてくれるのである。
持参品はたいてい、「指定された色(ほとんどは肌色)のストッキング」だ。集合場所で、給仕用のユニフォーム一式と靴が用意されていて、自分のサイズを探して着替える。給仕頭に当日の仕事を割り当てられて作業開始である。披露宴は3時間から4時間なので、その間は立ちっぱなし、休憩なしなので、そこそこ肉体的にはハードである。終わったら、ユニフォームと靴を返して解散、後日口座に紹介料を差し引いたアルバイト料が振り込まれた。
毎週末に仕事があるわけではなかったので、時給は良かったが実入りは余りよいとは言えなかったかもしれない。披露宴会場はそれなりにドラマがあって、当事者でなかったから面白かったし、その裏方の仕事ぶりを見るのは楽しかったので、差し引きゼロというところだろうか。

2012年2月20日月曜日

肉体


今も昔も学生はアルバイトをする。
上級生ともなると自分の作品制作に費用がかかるようになってくる。お金がなければ材料は買えないし、お金をつくっていると時間がなくなる。
そのため、夏休みや冬休みに集中的に稼ぐとか、割の良いバイトを探すことが多い。

私の頃の「割の良いバイト」は、もちろん「日雇い労働」である。ただし男子限定だったので聞いた話だ。
朝早く、高田馬場や新宿の駅の近くの公園にいると、大勢がたむろしている。そこへ、作業服を着たオジサンがやってくる。ちょっと肩を叩いて、仕事の内容を打ち合わせ、双方確認できたら、近くに停車しているマイクロバスとかワゴンに乗るように言われる。所定の人数が集まったら、その車は本日の作業場所へ出発。作業終了後はまたその車で、拾われた公園に戻され、封筒に入れた現金を支払われる、というものだった。
肩を叩くオジサン、というのが公園に来て人集めをするのだが、毎日来るわけではない。その一方で、何人かの違うオジサンが来ることもある。連れて行く人数もその日によってまちまち。
契約や保険もあったものじゃないが、ともかく学生にとってはえらくいい日当なので、翌週その男子学生は友だちを誘って公園に行った。その日は、連れだけが肩を叩かれて、連れて行った本人はあぶれてしまったらしい。
オジサンが肩を叩いて、というのがミソだった。並んだ順番とか、くじびきするとかいうのではなく、その日の肉体労働に耐えられる人材をそこはかとなく選んでいるらしい、と彼は気付いた。

連れはアメフト部の所属、彫刻科の「いかにも」ごっつい学生だったからである。

2012年2月19日日曜日

学科限定


今も昔も学生はアルバイトをする。
せざるを得ない、ということもあるかもしれない。美術学校は授業がそれなりに忙しい上に、制作費は自分持ちである。

私が学生の頃、一番ポピュラーだったのは、学校の近くの飲食店でウェイトレス、というものである。下宿していれば交通費はかからないし、放課後から夜の勤務なら賄いメシが出る。
通っていた頃の一番人気は焼き肉店だった。もちろん賄いメシ目当てである。こういうのは、応募者も多い。面接なんかで選考することもあるかもしれないが、ここは「学科限定、前任者の推薦つき女子学生」の1本釣りである。しかもなぜか「彫刻学科」なのであった。
他にも駅前に商業デザイン限定の喫茶店とか、油絵学科限定の居酒屋などがあったりした。

その焼き肉屋に、彫刻学科の学生さんが良く来るというわけでは決してなかった。
焼き肉でなぜ彫刻なのかは、未だによく分からない。

2012年2月17日金曜日

文集


同居人が6年生の担任になった年があった。
小学校の最終学年で、卒業関連の準備がいろいろと必要になる。
定番なのが「卒業アルバム」である。
係になった子どもたちと、アルバムに何を入れるか、かなり早い時期から相談する。
その年は、自分たちの顔だけでなく、それぞれの図画とお習字の作品をいれよう、ということになった。
自分の「今」を表す作品を、授業で作成し、それを残すわけだ。
アルバムのページには、今の自分を残そうというコンセプトである。

制作された作品を集め、番号順に整理したものが、自宅に持ち込まれた。
複写するのが私の仕事である。
図画の方は、旅行や遠足の思い出、友だちや家族、校内の様子など、さまざま。
お習字の方は、定番の「夢」や「希望」、「将来」などが多い。
何かお題があったのか聞くと、授業では「好きなことを書く」ことだけを条件にしたのだという。

なるほど。
一人のお習字の作品が、墨痕鮮やかに「寿司」だったわけだ。

2012年2月16日木曜日

カメ


小学校低学年のクラス会議でよく話題になるのは「動物を飼おう」だそうである。

都心の小学校で、マンション暮らし、動物を飼えないご家庭が多く、どうしてもそういう話題が出るのだそうである。低学年だと、いぬねこうさぎはむすたーとりと、飼いたい動物オンパレードのリクエストで先生を揺さぶる。土曜日や日曜日、夏休みや冬休みの世話はどうする、といろいろと議論をすると、まあたいていが「無難」な線で落ち着くらしい。
だから、小学校の教室では、金魚やメダカなどが多いし、ハムスターなんかだと週末や長期休みは子どもの家へホームステイに出たりする。同居人のクラスではカメが選ばれたらしく、小さなカメをプラスチックの箱で飼い始めたそうだ。

当初は物珍しいこともあって、みんながこぞって世話をしたがる。
学年が上がると、クラス替えもある。カメさんのクラスはどうするか。
新しいクラスでは、飼い始めた前のクラスの責任は負えないと思われたらしく、だんだん世話がぞんざいになってくる。飼い始めた頃は小さくて可愛かったが、数年経つとそれなりに大きくなってすでに「可愛い」サイズではない。
カメさんはおとなしいから文句も言わないし、哺乳動物よりも比較的世話が焼けない一方で、なつかれているんだかどうだか分からない。
とうとう数年後の夏休みにはホームステイ先の提供もなく、その間の世話はどうしようかとクラス会議の話題にもならなくなった。

終業式の翌日。先生はどうしようかと考えあぐねて、カメさんの背中に白いマジックで、学年とクラスを書いた。
4年2組。
小学校に隣接するキャンパスには、ちょっとした池が何カ所かある。鯉がいたり、睡蓮が咲いていたりする。そこに、夏休みの間ホームステイさせようと思ったらしい。9月に再会したときに確認できるように、所属クラスを明記したわけだ。

9月。池で名前を呼んでも、手を叩いても、口笛を吹いても、カメさんは戻っては来なかった。

2012年2月15日水曜日

ウサギ


同居人がその小学校に赴任した頃、校庭の隅にウサギ小屋があった。小学校で小動物など飼育するのは今も昔も変わらないなあと眺めていた。かなり広い小屋に、1匹が住んでいた。最初は2匹で飼っていたのが、1年ほど前に、1匹が先に死んでしまったので、その後やもめ暮らしをしているのだと言う。

動物の世界に人間の世界を反映させようとするのは子どもにありがちなことである。ウサギが1匹で寂しそうだから、ともう1匹のウサギを飼うことに、その後の飼育委員会で決まったらしい。

おいおい、である。ウサギは人間と同じ感情を持っているわけではないのである。委員会の先生は何も言わなかったのかと考える間もなく、ウサギの新入居者が来たらしい。隣の大学は理科系の学部があり、実験ウサギが何匹も飼育されていた。新入居者の補充は、実験のお下がり、キャンパス内を横切るだけだ。
まあともあれ、案の定、である。子どもたちは、仲良く2匹で生活することを夢見ていたのだろうが、ウサギは縄張り意識が強い。やもめウサギは新人ウサギに猛烈な喧嘩を仕掛けて、怪我を負わせた。

結局引き離した上に、新人の方は教室内ケージ飼いになったようだ。やもめウサギは、その後は心おきなく、広い小屋でやもめ暮らしを満喫したそうだ。

2012年2月14日火曜日

アサガオ


同居人は数年前まで小学校で教えていた。
こちらは、大人になると小学校のことなどだいぶ忘れていたりするし、その頃と今では小学校を巡る状況もずいぶん変わっていたりする。

1年生の担任をしていた5月のある日、日曜日の朝につきあってくれないかと言う。小学校へ行きたいらしい。
ついていくと、教室の外、窓の下に、1列に植木鉢が並んでいる。アサガオである。3つくらいの小さい芽が出ている。
アサガオを育てるのは、今でもやっているんだねえと思っていたら、一回り大きな鉢を持たされた。こちらはもっとたくさんのアサガオの芽が出ている。同居人は、窓の下の鉢をひとつずつ確かめている。出ている芽が3本以下の鉢を探して、私の抱えている鉢の芽を、子どもの鉢に移植しているのである。
植物のタネはすべてが発芽するとは限らない。しかし、自分の鉢で植えたタネが出てこなかったら、子どもが悲しいと思うだろうし、カリキュラムでは「鉢に3本の芽が出ている」ことが前提で、次の作業にとりかかることになっているらしい。

子どもの鉢は、すべからく3本の芽が出ている状態になって、本日の作業終了。
このような努力が日本全国均質化された義務教育に寄与するのだろうが、何かベクトルが違うような気がする。

2012年2月13日月曜日

コメントカード


同居人の講義では、200余人と登録人数が多いので、出席代わりにコメントを書いたカードを提出させている。出席カードだけでは、「そこにいるだけ」になりがちで「代返」増加になりがちなので、感想などを含めて、当日の授業について書いてもらったりしている。

集計は、その日の私の夜鍋仕事である。集計データは私の管轄なので、同居人は全ての講義が終わった学期末に初めて学生の出席状況を知る。もちろん当然学生さんには、出席は自己責任だからね、と伝えてもらっている。
先生としては老婆心上、出席のアブナイ人は気をつけるようにと、授業中にヒトコト言ってしまうらしい。その日のコメントシートの1枚にこんなのがあった。

「俺は美術活動に専念するために学校に来たのだ。講義の出席云々の前に、美術活動を優先すべきなのだ。それが学生の特権であるはずなのだ」

大学の規定上、講義回数の3分の2以上の出席が、期末試験の受験資格となる。出席しないと受験は出来ないし、受験が出来ないと単位は取れないし、単位が取れないと卒業は出来ない。そもそも、何よりも美術活動を優先したいのであれば、学校に来る必要はない。大学は義務教育ではないので、学校に通う義務はない。小学校はそうはいかないが、大学はやめる自由があるんだよ、とまたまたついヒトコト言ってしまったらしい。

授業終了後、何人もの学生が自分の出席状況を聞きに来たらしい。何回出席したのか、自分では覚えていられないようである。
同居人は即答出来ないので、学生番号を名前を控えて帰ってきた。
先のコメントの学生の名前も、その中にあった。出席はしたくないし、自分の出席日数も覚えていないらしいが、単位は欲しいらしい。

2012年2月12日日曜日

見分け


私の実技の授業は1クラス20名である。機械を使う実技と言うこともあって、それ以上の人数では機材が回らない。
同居人は別の美術大学で非常勤講師をしている。こちらは実技ではなく講義、200人以上の受講生がいる。1年生から4年生まで、年によっては聴講生がちらほらいる。受講学生の専攻分野も、絵画あり、デザインありと、その大学の専攻分野があまねく網羅されている。

2011年は東日本大震災のために、授業開始は5月始めになった。
6月の半ばも過ぎた時期に、女子学生がひとり、授業後に教卓まできて、こう言ったそうである。
「すいません、教室を間違えていました」
普通なら、初回の授業で気がつくはずだ。これで授業に出るのは1回目か、2回目なのかと聞いたら、もうずーっと授業には来ていたという。ただそれが、隣の教室だった。それを5-6回も過ぎて気付いたらしい。理由を聞いた。
「初回に行けなかったので、出席していたA子ちゃんに先生の風貌を聞いたんです。2回目にいった教室で、授業をしに来た先生を見て、A子ちゃんはいなかったけど、ああこの教室で良かったんだと確信しました。教室番号が違っているけど、あとで変更になったんだろうと思いました。それでそれから、その教室に通っていました」
うーむ、風貌ではなく、授業名とか教室配当、シラバスと内容を照合するなどで確信すべきだろう。そもそも普通なら、授業のシラバスで内容が違うことに気がつくはずだ。
「でも、先生の風貌はA子ちゃんから聞いたそのままズバリだし、シラバスと脱線した話をしているのかなって」
うーむ、普通なら2度ほど聞いて気がつくはずだ。
2ヶ月ほど、つまり都合6-7回が終了した頃、配付されたプリントや、持参しろと言われた参考図書、テストに出るよーと言われた授業のポイント、周りの学生の話で、どうやら自分が登録していない授業に通っていたことに気がついたらしい。
既に半期13回の講義の半分は終わり、出席回数から言えば、完璧にアウトである。
そちらの美術学校の学生さんは、いたくのんびりしている。

「いやあ、大変な学生がいましたねえ」
同居人と、学生に間違われた方の先生も、講師室でお茶を飲みながら、のんびりと答えたそうである。
背が低い、小太り、丸顔、メガネ、チョビ髭、丸刈り、オジサン、な二人である。

学生さんにとって、「オジサン」はあまり見分けがつかないのかもしれない。

2012年2月11日土曜日

ごじごじ6


これも「音」違いだが、なんとなく他の言葉と合体しているようで、納得してしまうパターン。

(誤);(正)
心切;親切/それは「心がける」行為なのである。
想談;相談/気合いを込めてお話をしなくてはならないのである。
想手;相手/親身になって、相対しなくてはならないのである。
確任;確認/責任を持って確かめなくてはならないのである。
週刊紙;週間誌;週刊誌/まあ週に1回発行だし、中身は時事問題の類が多いし。
報導;報道/マスコミは大衆をプロパガンダするのである。
被判;批判/甘んじて被るものである。
更送;更迭/結局は左遷されるものである。
載量;裁量/懐の大きさが気になるところである。
屈指した;屈折した/何を折るかが問題なのである。

2012年2月10日金曜日

ごじごじ5


もう一つはメディア関係の科目で、時事問題を扱ってもらっている。
こちらも「音」違いや、自動書記してしまうなど、いくつかのパターンがある。
数名が同じ間違いをしてくるので、こっちが間違っていたりするのではと不安になってしまう。

(誤);(正)
汁を拭う投手;汗を拭う投手/高校野球の新聞記事の見出しを書いたつもりが、マウンドの上でお食事をしてしまう投手を描写した例。
冬山で態に襲われる、冬山で能に襲われる;熊/動物ではなく、太郎冠者に襲われてしまった例。
収隼源;収集源/ちょっと書き足りなかったので、全く別のものを集めてしまった例。
講義文;抗議文/何かを訴えたいのに、あまりアタマに残らない文書をつくってしまった例。
法射撃;砲射撃/戦場で六法全書が降ってきてしまった例。
談和;談話/報道官がインタビュアーとなごんでしまった例。
効化 交果;効果/薬剤の効能書きを確認してしまう例。

2012年2月9日木曜日

ごじごじ4


担当している科目の中に、「博物館関係科目」というのがある。レポートでは、展示を見学して展示を調査するようなことが課題になっている。こちらも「音」違いが多いのだが、結局「博物館とは見世物小屋」と認識が近いのだと、再確認することが多い。

(誤);(正)
博物感;博物館/博物って、どんな感じ?
(展示室の)証明;照明/展示室では確かに展示資料を証明しているに違いないが。
(美術展示の)観覧者;鑑賞者/入場料を観覧料としている美術館もあり、誤字というわけではないと思うのだが、つい秘宝館で観覧、という辞書の例文を思い浮かべてしまうのである。
(美術館へ)の来観者;来館者/ やっぱり誤字というわけではないと思うのだが、やはりつい学校の学芸会や展覧会のプログラムにある校長先生の挨拶を思い浮かべてしまうのである。「ご来観の皆様に御礼を申し上げます」。
(美術作品を)観賞;鑑賞/まあ見ていることには変わりはないだろうが、つい「観賞魚」、ニシキゴイやランチュウを眺めているところを思い浮かべてしまうのである。
伝えることが違なり;異なり/言いたいことはよーく分かる。違うんだけどね。
不の遺産;負の遺産/マイナス、ということはよーく分かる。
利解;理解/どのようにしたら分かってもらえるのだろうか。
重用;重要/わりとよくある間違いなのだが、ちょっと使うべき場面が違うような気がする。
態力;能力/フォルムが似ているからつい、というのはよーく分かる。
機態;機能/これもフォルムが似ているからつい、というパターンだが、何か別のものを想像してしまいそうだ。

2012年2月8日水曜日

ごじごじ3


音が似ていると、つい書いてしまう漢字があるようだ。日本語入力ソフトの変換ミスとはちょっと違ったミスになる。ちょっと納得できる「漢字」もあったりするが。

(誤);(正)
判段;判断/何段目に入っているもの?
多食刷り; 多色刷り/厨房のある印刷所
青任追及 ;責任追及/赤任もあり?
消像画;肖像画/消える画像?
価値感;価値観 /価値は感じるものかも
象像権;肖像権/象さんの権利
受業;授業/この業を受けてみよ
廃気ガス;排気ガス/すごく身体に悪そう
宅児所;託児所/ふつうのおうちにあるもの?
路地栽培のしいたけ;露地栽培のしいたけ/お隣との境目にいっぱいはえているのよしいたけ
登上;登場/上へ上へと登ると、そこは舞台であった。
雰意気;雰囲気/雰な意気込み

2012年2月7日火曜日

ごじごじ2


2月になるとそろそろ学期末になる。レポートの提出も多くなる。それに伴い、「誤字」も増える。学生さんたちが、ウケを狙っているわけではないと思うが、読みながらついぼーっとして想像をたくましくしてしまう。
今回は表現上でウケてしまったものをいくつか。
思い込んでいたり、覚え間違いがそのまま反映されているんだろうなあ、と思う。
レポートを読んでいるのは、他の先生や研究室のスタッフもいる場所なので、爆笑してはいけないのが辛かったりする。

自分自ら/そんなに強調しなくても、君だと言うことは分かっているよ-。
興味をすする/どんな音ですすっているんだろうか。
取捨択一/選択肢は結局いくつ
五感や四股で体験する/お相撲さんの体験?
裏表紙の裏/って表紙?
有効的な政策/有効っぽい政策なのか、友好的な政策のつもりか。

意味は分からないでもないから、ちょっと突っ込みたくなるパターンである。

2012年2月6日月曜日

ごじごじ1


手書きのレポートではあっても、たぶんアウトラインを組んだり、下書きしたり、ということを、コンピュータ上でやっている学生も多いようだ。ワープロで打った文章を、手書きで書き写すのである。
ワープロで作成してプリントアウトしたレポートだと、ときどき「変換ミス」というのがある。同音の別の意味になってしまうあれだ。「脳下垂体」が「農家衰退」になったりするわけだ。まあこれはこれで、入力ソフトの「芸」だったりするのだろう。これをそのまま書き写す「誤字」もあるし、手書きだともっと違う「誤字」になる。
言葉から具体的な映像を想像してしまう癖のある私としては、ついそこでレポートを読むことが止まってしまい、アタマの中にもやもやと風景が浮かんで、ツッコミたくなってしまう。
手書きでは、書体が似ていると、覚え間違いだったり、手が勝手に書いたりしてしまうことがあるようだ。

(誤);(正)
昌頭;冒頭/昌子ちゃんの頭の上をよーく眺めているんだろうか
広告を出橋;広告を出稿/橋の上でちんどん屋が宣伝中、または会社名のついた橋を建設中
肉眠;肉眼/肉がいびきをかいて、それからどうする?
抗癌済;抗ガン剤/投与する前に治療終了?
国伎館;国技館/ちがう芸を見せる場所?
分折;分析/何を折る?
大担 ;大胆/つい大きな担々麺を思い出してしまいました
構議;講義/何を作っているんだろう
車挙;車掌/車を持ち上げてくれる人?

2012年2月5日日曜日

写経


私が助手だった時分、映画の授業の最初の宿題に、「シナリオを原稿用紙に手書きで書き写す」というのがあった。学生さんたちは大変がってはいたが、黙々と書き写していた。
その宿題は「写経」と呼ばれていた。

少なくとも、ある程度のシナリオのルールや、文言の使い方、既に映画はあるのだから映像と文字の比較を感じながら作業をしていたはずで、無駄ではなかった(と思う)。
手が考えたり、手で覚えたり、ということは、美術にとっては大切な感覚だ。
少なくとも、手を動かすことを億劫に思うのであれば美術の現場にはあまり向かないかもしれない。

いくつか担当している授業のうち、レポートを提出してもらうものがある。「手書き」、でお願いしている。
コンピュータで何もかも作業する今日、時代錯誤だと思うだろうが、これはこれなりに効用がある。
ひとつは、手で書くことの学習効果だろう。ぽちぽちとキーを叩くよりも、原稿用紙のマス目を丁寧に時間を掛けて埋める方が、ものを覚えたり、思い返したりする時間が稼げるからだ。もちろん、参考図書からコピペするにせよ、手書きだから少しはアタマに残るだろうという老婆心だったりもする。
ときどき、とっても殴り書きだったり、書いては消しの汚れた原稿用紙だったりすると、悲しくなってしまう。ああ、レポートやりたくなかったんだなあ、締め切りぎりぎりで慌てていたんだなあ、カレー食べながらレポート書いていたんだなあ。

デジタルでは伝わらないことも、伝わってしまうのが、アナログの怖いところでもある。

2012年2月4日土曜日

目隠し


大学入試の時期になると、あまり親密ではない知り合いから、たまーに連絡が入ることがある。
お宅の学校を受験するのがいるんだけど、というのである。
しばらく前は、学校の後輩であったり、予備校の教え子だったりしたのだが、最近だと「うちの子」になったりしている。たいていは、それでどうなる、というわけでもないので「じゃ、がんばってねー」で会話は終わる。

私が入学試験の監督をしていた十数年前、実技試験では受験番号と名前を書いた場所に、当人が上からシールを貼り込んで試験開始、または終了であった。名前を隠すシールを「目隠しシール」と称していた。
試験監督であっても、どれが誰の絵だかということは、業務も多くて余り覚えていられない。それを採点用に並べる人、採点する人間、採点結果をチェックする人、目隠しを外して集計する人、と作業はいくつかの段階に分けられており、その都度何人もの人が入れ替わり立ち替わりやってくる。絵と名前、というのはかなり分離されて採点されているのだと思った。もちろん、採点中に知り合いの名前だから手心、というのもあり得ない(というより前に、採点作業はかなり忙しくて、そんなもの加えているヒマはなかった)だろう。アナログだが、上手いシステムだと感心したことがあった。今はもっと効率的なシステムを組んでいるのかもしれない。当事者であっても、手心は加えにくいだろうなあと思った。

最近はどちらかと言えば、願書提出前の相談には応じることにしている。
親世代と、今の世代の「受験」の感覚はずいぶん違うし、学校に入ってからの状況だってずいぶん違う。転科、編入、他大学の大学院への進学、美術系の博士課程など、就職を考えなければ学生生活のバリエーションはかなり広がったと思う。10年、20年前の学生生活とは違うのである。
親も子も、「合格する」ことをゴールにしているように感じる。大学に入って何を勉強し、どんなことをやりたいとか、やってみたいとか、社会で役立てたいとか、そういう話にはなかなかならない。

それで結局、「まあいろいろリサーチした上で、がんばってねー」で、会話は終わることになるが。

2012年2月3日金曜日

マメ


本日は節分である。
子どものいるおうちでは、たいてい「鬼は外」というのをやる。今も隣の家の子どもが、庭でまいているようだ。
子どもの頃に、まいたマメが、数日後にタンスの裏から出てきた、なんてことがよくあった。今は子どもが家にいないので、豆をまく機会もなくなったが。

自宅では授業以外の仕事用にA3サイズのインクジェットプリンターを使っている。
まあ機械だから、何らかのトラブルだったりメンテナンスが必要になったりする。メーカーに連絡して修理に出す。プリンターは見かけはプラスチックの塊なのに、持ち上げるとそれなりに重たい。数年前は宅急便屋さんが家に来て、梱包までしてくれて、修理の上がったものをまた持って来てくれた。修理は送料込みでワンプライス。太っ腹なのかぼられているのかよく分からない。
修理から上がって、開梱すると修理報告書が同梱されている。あとはいろいろと、サービスのご案内だったり、解説だったりするのは、どんな機械でも同じである。この時は「ご注意」という書類が同梱されていた。

「節分の豆まきには、ご注意ください」

このサイズだと、上部の蓋を開けて、上から差し込んで給紙するタイプである。豆まきをしたら上からマメが飛び込みやすい構造になっている。サービスセンターでは節分後、分解してたらマメが出るような修理依頼が増えるのだろう。

2012年2月2日木曜日


美術学校の入学試験は長かった。
1人の学生が長くて3日、短くても2日は試験を受ける。
学校は大きくはないし、アトリエの数も多すぎる、というわけでもないから、受験生が多ければ会場をローテーションで使うしかない。
学科試験で大人数の学生を受け入れなくてはならない日は、体育館で受験、ということもあった。暖房設備もないので、夜中から灯油ストーブを運び込み、がんがん焚いた。

入試期間中は基本的に「寒い」。学校は郊外にあるので、都心から2-3度は低くなる。期間中に雪が降った年があった。朝から雲行きが怪しく、昼過ぎから降り始め、午後には本降り、試験監督達が解散する夕方にはそれなりに積もり始め、入試本部の本日の作業終了午後8時過ぎには、バスがチェーンをつけて走り、駅まで歩くのも難儀な状況で、タクシーが全くつかまらなくなった。
しかし、である。施設設備方の裏方さんは、明日の試験のために雪かきをしなくてはならない。関東南部では久しぶりの「大雪」で、用意していた雪かきスコップの絶対数が足りない。人海戦術でも、相当の労働量になる。明朝相当早くから出勤して肉体労働となった。
担当していた事務職員はそれがいやだったのだろう。翌年の入試期間中は、施設管理の事務局前に、どーんと、ぴかぴかで新品の小さい除雪車が数台並んでスタンバイしていた。

入試期間中に積雪することは私が業務をしていた間には二度となかった。もちろん、除雪車の稼働を見ることもなかった。その数年後には除雪車がスタンバイすることも、なくなった。あの除雪車はどうなったのだろうと、2月に雪が降ると思い出す。

2012年2月1日水曜日

背景


入学試験のデッサンというのは、学校ごとに少しずつ傾向が違う、と予備校では習ったものである。
例えば、背景を全く塗らずに「白く」残したり、背景を真っ黒くして空間感を出したり、といったことだ。自分のために描いているならいざ知らず、時間内に完成させることと、採点者が何を見るのかということで、背景の扱い方に関する考えは変わってくる。
試験監督をして眺めていると、背景を塗らない、ということが合格不合格の条件ではないということは分かってくる。しかし、受験生当事者としては「わらをもすがる」状態で予備校講師のいうなりになりがちである。
だから同じ予備校で習っている受験生は後ろから見ていると分かるものだ。試験に手慣れていて、描きはじめの段取りがほぼ一緒だったりする。

モチーフ台の上の静物が課題だった年があった。
3時間の鉛筆デッサンである。モチーフ台の上に並んでいるリンゴ3個、ワインのボトル、ほうろうのピッチャーなんかがあったりする、あれである。
受験予備校だと、モチーフ台の上のモチーフそのものを描き、背景や台は極力描かないように、と「指導」される。
試験会場だとまあ8割方が、こういう「指導」に基づいて描き始める。
ところが、画面の中にモチーフがほとんど入っていないデッサンを描き始めた受験生がいた。詰め襟の学生服、なんとなく垢抜けない、朴訥な感じである。回りの状況や隣の人の絵を全く見ないで作業を始めているのだろう、何の躊躇もなく、モチーフ台の向こうのイーゼルや受験生を描いている。描いている受験生の「肖像」である。

回りに、リンゴとボトルとピッチャー以外が構図に入っている受験生はいない。普通は、しばらく描くと席を立ち、2-3歩下がってあがりを確認したりするのだが、彼は一心不乱にモチーフ台の向こうを見つめていた。