美術学校、というところは、ものをつくることから始まる。
…と、思っていた。頭脳労働があまり得意でなくても、手足が動く、という労働方法はあるわけで、どちらかと言えば「肉体担当」になるかもしれない。経験値が上がってくれば、それによって頭脳労働、というのも自ずと備わってくるものだ。
しかし中には、頭脳労働が得意であっても、クリエイティブには向かない、というタイプの人もいる。
以前にも書いたことがあるが、最近の学生は美術系の実技を受験しなくても合格できるような入試制度になった。
一般高校を卒業し、美術予備校に通った経験がないと、「つくる」ことに慣れていないことがある。「参考作品」を見たがったり、「高評価」の作品を見たがったり、あるいはどうすれば「高評価」になるのかを知りたがったりする。つくる、ということは、模範解答をなぞることではない。参考作品は、手法やプロセス、課題についてのアプローチを学ぶことに関しての「参考」にはなるかもしれない。ただ、アイディアのソースを得るためであれば、二番煎じになってしまうので、見ない方が良い、というのが私の授業でのスタンスだ。
今年の学生で気になるのは「何を作っていいのか分からない」と公言するのが、何人かいることだ。つくることが好き、というところから始まっているのであれば、とりあえず闇雲に動いてみる、という方法があったりするものだ。まあたいがいは、「どうしたらいいんでしょう」と問われれば、「つくりたいものはどんなものか」という問いで返したりする。そういう問答をしばらくやっていくうちに、好きなものの方向性や、やりたいことが見えてきたりするものだ。ところが最近の何人かは、「何をつくりたいのか」と問えば、「わからない」。「つくりたいものはあるのか」と言えばそれも「ない」。二言目には、「次は、どうしたらいいでしょう」「その後は、何をしたらいいでしょう」と、根掘り葉掘り聞いてくる。
うーむ、そんなことをしていると、それは私の作品になってしまうではないか。
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