2014年6月22日日曜日

予想範囲内

音と画像がマッチしている、というのは、普段我々が眺めていて住んでいる世界のことである。

だから、音と画像が乖離していると不自然な感じがする。雷が光って、雷鳴が後で聞こえる、というのは理科の時間に習う。実世界では、離れていても不自然に感じないのはそれぐらいだろう。
テレビのニュースで、海外特派員の報告が、絵よりも音がワンテンポ遅れて聞こえる。キー局内のアナウンサーとのやり取りが、ちぐはくな感じになる。それをうまくネタにしたのが、いっこく堂という腹話術師だ。口の動きと、聞こえる声が、ずれている。「声が遅れて聞こえるよ」という芸である。ずいぶん以前の海外電話、というのもそんな感じだ。会話のテンポがどうしてもずれるので、妙な間があり、同時に話し始めたりして、やりにくいことこの上ない。

さて、学生にとって身近な動画投稿サイトなどで見る「プロがつくった」ミュージッククリップは、素人が投稿した「うちの猫」ビデオよりもはるかにクオリティが高い。クオリティが高いのはなぜか、と学生は考える。一番先に思いつくのは「機材」なのだろう。ちょっと良いカメラと高機能な編集アプリケーションがあれば、あれくらい出来るのではないか、と思ってしまうらしい。で、ついやってみたくなる。
自主制作であれば別に問題はない。作業はちょいとやってみると、えらく時間がかかる上に面倒だということが分かるからだ。

ところがいまどきの学生さんは課題で「チャレンジ」である。美術予備校慣れしていないと、「課題」と「やりたいこと」の区別がつかないのではないかと思わざるを得ない。
だから、作品制作前の企画発表では、「課題の条件とは少し逸脱しているし、大変だけどやるんだろうねー」と念を押してみる。たいていは、大丈夫です、やってみたいんです、と答える。案の定、途中で「大変だ」ということに気づく。気づいたときには、すでに課題製作の期間の大半が終わっている。結局、課題は中途半端のまま提出することになる。

まあこれが、終わってしまえば「記憶から消去」になるのではなく、これが反省として彼らのこれからの制作に役立てば、課題としては「効果的」だったと言えるので、中途半端で終了するのは織り込み済み、ではあるが。

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