音の作業をしていて面白いのは、「物理的な音」についての感覚である。
「はーるの小川は」という歌がある。
「さらさら」流れているのである。どのように「さらさら」なのかというと、たいていの人は郊外の小川を探して、流れている水音を拾ってくる。林の中の、せせらぎを録音している、という状況である。
ところが、その音を子どもに聞かせて、ナンノオト、と聞いてみると、たいていの答えは「トイレの音」である。
水の音、というのは、いまどきの子どもにとって、最も身近な音になっているわけである。
録音した人は、「郊外」で、「他にノイズも入らない」、しかも「さらさらな水の、清い小川」を探してきたのにも関わらず、である。がっくりである。
前にも書いたが、もちろん時代劇で刀を合わせて「ちゃりーん」とか、悪党を「ばっさり」斬ったりする音は、もちろん後でつける。しかし実際に、日本刀を合わせても「ちゃりーん」とは言わないし、人を斬っても「ばっさり」などという音はしない。イメージに合わせて、音をつくり、それが「ルール」となっている例である。
外国の映画で言えば、短銃とライフルの音が逆、というのがよくある例だそうである。私は鉄砲を撃ったことがないのでよくわからないが、実際の音とはずいぶんと違うのだそうだ。
効果音をつくるときに、気をつけるのは、イメージとして聞こえる音と、実際に物理的に発生する音との違いである。音源が画像上で見えるときには特に注意する。学内の清掃業者の軽トラックが、ポルシェの排気音を出してはいけないからだ。
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