フィルムはもとより、どんなテレビや映画でも、たいていは「整音」という作業がある。現場で同録した音だけで勝負することはない。
ドキュメンタリー番組の取材で、遠くの山で笹の葉を食べているパンダが撮影できた。もちろん、超望遠レンズである。あらかじめマイクは仕込めない。番組として編集するにあたり、「むしゃむしゃ」と笹の葉を食べるパンダに音無し、ではかっこがつかない。音響効果さんがレタスをばりばりと食べた音をはめたそうである。
フィクションならもっと顕著に音を後でつけたりする。旦那とけんかした奥さんが、マンションのドアを勢いよく開けて家出する。怒り心頭でドアを勢い良く閉めて、足音高く廊下を去っていく。高級マンションでは、実際にはドアはきしまないし、クローザーという機構があるので、マンガのように「ばたーん」とは閉まらない。「がちゃっ」とノブがまわり、「バタン」とドアが開いて、奥様が怒りをこめてドアを力任せに「バッターン」を閉めたりする音は後付けである。
もっとわかりやすいのが、時代劇の「ちゃんばら」シーンである。竹光では「ちゃりーん」と峰を合わせられないし、人を切っても「ばっさり」と音はしない。
アニメーションになると、もっとすべからく、音をつけねばならない。描画された画像からは音は出ないからだ。
画像にマッチングした音が聞こえるのは、学生さんにとっては「ふつー」なのだろう。一方で、画像にとって「ふつー」に見えるためには、相当の作業の時間と手間と人手が必要である。だから低予算のテレビドラマでは、とても音が「うすい」。ひところの香港映画の音響効果は、ものすごーく音が「あつい」感じがした。相当大人数で、音響効果をアフレコしていた、と後で聞いた。さもありなんである。
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