2015年4月30日木曜日

お遊び

新学期が始まって、はや1ヶ月。ぼちぼち学生の方も、学校生活に慣れてきた頃か、という感じである。

バブルの頃は、大学生とは「遊ぶ」ものであったのだが、昨今の学生さんは根が真面目なのか、高校生の延長なのか、あまり「遊ぶ」ことをしない。

毎晩クラブに踊りに行くことだけが「遊び」ではない。映画館で映画漬けも「遊び」だったし、博物館で開館から閉館までうろうろしていることも「遊び」だった。図書館、ではなく、神田の古本屋で怪しい本を探し当ててしまうことも「遊び」だった。アルバイトは「社会見学」という「遊び」だったかもしれない。

いまどきの学生さんは、下宿あるいは自宅と大学との往復に忙しい。もっぱら「勉強」に忙しいらしく、あまり遊ばないようだ。学内のお遊び、サークル活動にいそしむような学生は少数派である。
そうして3年にもなると、就職活動に忙しい。
いまどきの学生さんを見ると、ちょっと余裕がなくて、もったいない気がする。

2015年4月28日火曜日

区切り

大学の授業がひとつ区切りがつくと、「授業アンケート」というのが学生に配布される。何回かここでも書いたのだが、文科省のルール、になっているようである。同居人はいくつかの大学を掛け持ちしているが、そちらもそれぞれ同じような「授業アンケート」をとっている。

学生はお客様、というのは、ビジネスとしては基本なのだろうが、教育としてはいかがなものか、という気がする。
「わかりやすく理解しやすい授業でしたか」などという質問は、学生に対しても失礼な気がする。難しい授業だからこそ、きちんと予習復習が必要だし、それにくいついていくだけのモチベーションの維持も必要だ。

「誰にでもわかりやすく理解しやすい」授業にするには、内容のレベルを下げれば良い。しかしこれも何だかなあ、という気がするのだが。

2015年4月26日日曜日

割合

ずいぶんと以前のことである。大学の授業など義務教育でないのだから、来るのも来ないのも学生の自主性である。自由選択授業を担当していた時は、授業では出席など取らない、と言ったこともあった。
きちんとやってくる学生は意欲満々だったりする。そういう時は授業はノリノリである。ところが、たまーに来る学生がいたりすると、全体のモチベーションを猛然と下げる。
またそういう学生は、最終的な課題が提出できないので対象外、つまり不合格になることが多くなる。かなりの割合でドロップアウトした。

ところが、その「割合」について、教務課から「おうかがい」が来た。もともと自由選択授業なので、必修ではなかったこと、卒業に必要不可欠な科目ではなかった。だからこっちもかなり「自由」なスタイルで授業を進行した。数年担当したのだが、毎年「割合」も多かった。開設担当者と相談して、授業は数年で閉講した。まあ授業の「効率」という意味では、リストラの対象にはなるだろう。
その後そのほかにもあった「自由選択授業」という科目そのものがなくなった。学生にも「余力」がなくなってきた時期だったのかもしれない。

そんなのんびりした時代ではなくなり、効率重視な大学経営を目指すようになったためか、必修の授業、選択必修の授業は、「割合」を低くする努力をするようになった。現在担当の授業は、厳しい出欠と管理をするおかげで、出席率は高いし、遅刻も少ない。全員が同じ教室にいるのだが、同じモチベーションで揃っているとは限らない。これが大学のいう「良い授業」なのかは、今もよくわからない。

2015年4月25日土曜日

強引

出席を強要するようなルールをつくらなければ、積極的に参加しない、という態度をとる学生を見つけてしまうことがある。
例えば、授業の最初に出欠を取らなければ、ずるずると遅刻を常習化するようなタイプである。寝坊とか、バスが遅れたとか、忘れ物をしたとか言い訳をする。

そこで、9時ちょうどに出席をとり、出欠をとったら教室内に入室不可ーつまり遅刻はあり得ない、などというかなり強引なルールをつくる。不思議なことに遅刻者は激減する。

自発的、ではなく、外的な要因がなければ授業に来られない、という状況そのものは、大学生としては、よろしくない、のではなかろうか。

2015年4月24日金曜日

ルール

目くじら立てて注意されないとどうなるか、と言えば、最後に結果が待っている、ということになるだろう。

授業にほとんどやってこない、来てもかなりの遅刻常習犯の学生が、最後の最後、進級審査の後に、「どうして不合格なのか」と言ってくることがある。欠席が多かったからなあ、と言うと、「最低の回数は出席しているはずだ」と粘る。

出席簿を確認すると、遅刻の回数を含めて出席と考えていることが判明。遅刻は15分以内が原則で、15分以上の遅刻は欠席扱い、遅刻は3回で欠席1回にカウント、などというルールが、学校によってはあったりする。この手の「カウント間違い」はよくあることで、本人が十分に確認し、計画的に出講計画を立てないといけない。ギリギリでやろうとすると、突発的な事故でアウトになりかねない。

あるいは、ギリギリで出席をしていたのに、試験を受験しないケースもあったりする。せっかく追試を設定したのに、それにも来なかったりする。話を聞くと、受験日を間違えたり、教室配当を間違えたりして、違う授業の試験を受けてしまったケースもある。人生の最後に落とし穴は待ち構えていたりするのである。

もちろん、ギリギリで出席し、試験を受験したが、不合格になるケースもある。欠席中の授業内容ががっつり試験問題だったりする。かなりの白紙になってしまい、途中放棄、という学生もいた。人生どこにでも「運命」は待ち構えているものである。まあこういうケースだと、追試で挽回、ということもある。最初に落ち込んで、全てを投げ打ってはいけない。

2015年4月23日木曜日

目的

ここ数日なぜか「代返」というキーワードで検索がかけられて、こちらに流れてくる人がいるようだ。新学期の合言葉、なのかもしれない。

以前にも書いたことがあるが、「出席する」ことが、受講の目的ではない。受講して学ぶことが、出席する目的である。「単位を取得すること」も、受講の目的ではない。単位は、「おまけ」みたいなものだ。

だから「単位を取得するために受講する」と、目的と手段がすり替わってしまう。学ぶことは目的ではなくなるので、どうやって「単位を取得するか」ということを考える。だから、学ぶために出席するのではなく、単位を取得するために出席することになる。そういう学生は、授業中に爆睡したりスマホいじりをしたり内職したり、するのである。授業内容には興味はなく、取得単位数に興味があるからである。だから出席の返事だけして、教室の後ろのドアからそーっとトンズラしたり、代返をお願いして授業にはやってこない。

まあ、そういうことも目くじら立てて注意しないのも大学である。

2015年4月22日水曜日

ご注意

同居人の授業は、担当し始めた年以来、かなり受講生が多かった。一番多かった年は200人を超えていた。すでに「顔と名前を覚える」ようなグレードではない。
月曜日の5時限目、ほかに選択できる授業がなく、教職課程の選択必修である。まあ「当たって砕けろ」作戦とか、「とりあえず登録」作戦の学生も少なからずいて、それが1〜2割程度である。授業を進めていくうちに、「ほかに人生を賭けるべきものをみつけてしまった」とか、「卒業制作でとても授業に出られるような状態ではない」という学生もいて、これも1割弱くらいになる。ここ数年のケースだと、こうやって2割程度は「単位を出しづらい」事案が発生する。

数年来、こうした事案には速攻かつ妥協なく対応してきた結果なのか、今年の名簿は学生数が80名弱、初めての100名未満である。出席だけでは単位は取れない、毎時間のコメントシートの提出、授業内レポートが多い、最後のテストはもちろんがっつりな記述式である。

であるのに、なぜか授業開始数回は、名簿に名前のない学生が数名「出席」している。受講登録時に勘違いしているのか、教室を間違えているのか、と思うのだが、毎時回収しているコメントシートはしごく「真面目」である。登録していない学生は、皆勤賞でも単位は出ない。
受講科目と開講している講義室、担当教員の「顔」をきちんと照合することが大切である。間違いだよと、誰も注意はしないのが大学である。

2015年4月21日火曜日

違い

同居人の授業が先週から始まった。たいていの大学では、入学式やらオリエンテーションやらがある。高校とは授業のシステムが全く違うので、理解してもらうまでが大変だ。

同居人の勤務校では、授業第1週は「お試し」である。
私が大学生だった頃も「お試し」というのがあったが、今はそういう制度はない。はなから「がっつり」授業である。
同居人の勤務校では、1週目の最後に受講登録、翌週から正規の授業、である。2週目のあたまに受講登録者の名簿が配布される。

以前の大学の講義制度の変更で、現在は半年2単位の講義科目が「スタンダード」である。だから、9月にはじまる授業はまた違う「授業科目」である。しかし、スケジュールを見ると、後期ははなから「がっつり」授業開始で、「お試し週間」がない。なぜかといえば、前期授業開始前の受講登録で、後期授業科目も登録するからである。
後期の授業は「お試し」なしで受けねばならない。味見なし、試着なし、試乗なし、という感じだ。

前期と後期の「お試し」の有無の違いは、なぜなのだろうか。

2015年4月19日日曜日

お持ち帰り

海外旅行者の買い物、というのが話題になっているが、やはりその買い物の現場を見ていると「すごいなあ」と思う。
以前日本人が海外旅行がポピュラーになった頃も同じように見られていたのかもしれない。あれもこれもと高額な商品を選び、店員にホイホイと勘定を頼んでいるのを見ると、不思議な感じがする。
特に面白いのは、繁華街のドラッグストアでも買い物をするようで、店頭のpop、商品名などが外国語表記が併記されていることである。いくらなんでもトイレの洗剤を買って帰るのかと思ってしまう。

同居人の息子は香港住まいなのだが、こちらに来るたびに「買い物」である。独身の頃は、日本にある好きなブランドの服や雑貨、電子ガジェットだったりしたのだが、嫁さんをもらってからは家電量販店に行き、生活家電を買うことが多くなった。先日のお持ち帰りは流行りの洗浄機能付き便座とホームベーカリーである。段ボール箱を抱えて帰ったそうだ。

2015年4月18日土曜日

行列

そういう人なので、都内百貨店ジューススタンドを網羅しておるらしく、高島屋が一番美味しいから、という理由でそこだったらしい。
一緒になってから都内に出歩いても、喉が乾くと「ジューススタンド」である。都内の百貨店なら大抵はジューススタンドが入っている。ミキサーが並んでいるカウンターである。

先日は銀座に出かけて、案の定「喉が渇いたからジューススタンド」になった。松屋の地下にあったよねえ、と階段を降りた。以前のような行列はあるのだが、その列の先の看板は、「フレッシュジュース」ではなく、海外旅行者様用の「免税カウンター」だった。

ニュースで外国人旅行者の買い物が話題になっている。現場で見かけたのは初めてである。外国語が飛び交い、ブランドロゴ入りの大きな紙袋を持った人がたくさん歩いている。景気が良くなったかと思ってしまいそうだ。

2015年4月17日金曜日

待ち合わせ

同居人は食いしん坊である、と知ったのは、知り合って一番最初の「待ち合わせ」場所だった。その頃は、デート、ではなく、仕事関連の打ち合わせに近いものだった。

私の理解の範疇だと、喫茶店、あまり大きくない駅前の本屋さん、出先が決まっていなければ駅の改札口、なんかが、そういった打ち合わせの「待ち合わせ場所」である。同居人は「日本橋高島屋ジューススタンド」であった。
行ってみたらまだ本人は来ていない。約束の時間にギリギリでやってきたら、紙袋を抱えている。食材らしい。

ジューススタンドは地下の食料品売り場に近いので、待つまでの間に買い物をしていたようだ。普通のおじさんは仕事の打ち合わせに食材を抱えて来ない、のが普通だと思っていたのだが。

2015年4月15日水曜日

テーマ

現在は、背広は紳士服屋で大量に吊るされて売られている。サイズの合いそうなものを選んで、微調整してもらう程度で購入である。

今はほとんど見かけなくなったが、私が子どもの頃は町にたいてい「テーラー」というのがあった。洋服の仕立て屋さんである。採寸して、オーダーして、仮縫いが出来上がったら連絡が来る。仮縫いを試着して、仕上がり具合の詳細を打ち合わせて、本縫いにかかってもらう。
手間もお金もかかるものだった。その一方で、好みに合わせていろいろなオーダーができる。ボタンの色や形、位置など、選ばせてくれる。

研究室でお世話になった先生は、銀座の某有名「テーラー」でお誂えである。まあ、基準体型ではない「寸法」の持ち主ではあったのだが。
さて、背広にはオーダーするときにそれぞれの「テーマ」があった。お気に入りは「マフィアスーツ」。黒地に銀の細いピンストライプの入った生地でダブル、裏地は真紅である。もちろん好きな映画はコッポラの「ゴッドファーザー」である。他にも、何気ないグレーのスーツだが、裏地は派手なプリント柄で「江戸っ子なスーツ」。好きな色が「紫」だったので、裏地がその色だと「紫の君のスーツ」。裏地に凝るのがお好きだった。

すでにあの世の人なのだが、向こうではどんなスーツを誂えているのだろう。

2015年4月14日火曜日

天引き

両親が青春真っ只中の昭和30年前後は、「吊るし」つまり、レディーメードの洋服はあまり売っていなかった。
洋服は「テーラー」で、「オーダー」するものだったのである。

父親は就職したときには数ヶ月学ランで通っていた。職場が給料天引きで「背広貯金」をしてくれて、ある程度貯まったら背広を購入して出社だったらしい。
婦人服の方ももちろん「オーダー」である。だから服と同じ生地でバッグや帽子、靴なども誂える、というスタイルもあった。
洋服、には、帽子、が「セット」である。この服にはこの帽子、という組み合わせが決まっていた。丸い帽子箱がたくさん洋服ダンスの上に積んであった。

今は昔、である。

2015年4月13日月曜日

アピール

勤務校は美術系の学校なので、学生もそれなり、である。没個性化ではなく、突出した個性をアピールしたがる学生も多い。就職の現場でも同様である。
スーツを買えない、という理由ではなく、「見栄」でスーツを着ないで面接に行く猛者もいた。

落語研究会に所属していた学生は、広告代理店のプレゼン面接に紋付袴で出かけた。プレゼンはもちろん「社員」や「デザイナー」としてではなく、「落語家」としてのアピールで、度胸とはったりを買われてか合格。
アパレルメーカーに就職したい女子学生は、お姉ちゃんが10年ほど前に愛用していたそのメーカーの「商品」を着て行った。もちろんそれなりにくたびれていて、流行遅れである。他の学生はスーツ、あるいは当該年度の当社の商品だったようだが、重役面接で「懐かしいのを着ているねえ」と目に止められ、会社愛を確認されたか合格。
プロダクションの面接に出かけた学生はなんと普段着だった。卒業制作の最中で徹夜の連続、目の下にクマを作っていたが、よろよろと途中経過の制作作品を見せに行った。なりふりかまわず製作に打ち込む根性を買われてか合格。


受ける方も、採用する方も、そんな時代もあったのである。

2015年4月12日日曜日

ノット

いつの頃からか、「リクルートスーツ」というのがポピュラーになった。
私が大学を卒業する頃にはそんなものはなく、まあオーソドックスな服装で、くらいの感じだった。

男子学生が、就職の面接のために着てくるのは「背広」である。今で言えば「スーツ」なのだろうが、上着にズボン、ワイシャツにネクタイ、という「セット」である。
当日面接があるからと、ネクタイなどしめて登校した日には、みんなで「七五三のようだ」と冷やかしていた。日頃着慣れないものだから、なおさら「借着」状態である。
ネクタイをしめたことがない学生もいて、女子学生に締め直されたりしていた。お父さんの朝の支度をよく手伝っていたらしい。どんなノットにする?、などと鼻歌交じりに聞きながら、日頃の仕返しか、思いっきり首を絞め上げていた。

七五三ではないので、ノットをあらかじめ作ってあって首回りがゴムひもになっているような便利品はないのである。

2015年4月11日土曜日

業者指定

着慣れない制服を着ている新入生を見かけるのも、4月の風情である。

私は中学高校と一貫校で、着るものは全部「お決まり」、つまり「業者指定」だった。ブレザーとスカートはもとより、レインコート、オーバー、セーター、カーディガン、マフラー、ソックス、通学用の革靴、雨靴、校内用の履き物も全部「お決まり」、もちろん学生カバン、副カバンという手提げも「指定業者から指定品を購入」である。よくぞ弁当箱やハンカチ、下着まで「指定」にしなかったと思ったものだ。

こんなにたくさん入学時に揃えるなんてものいりだと思ったら、母親の方は澄ましたもので、これで冠婚葬祭も行けるのだから、かえって「よそいき」をいちいちTPOに合わせて揃えことを考える必要がなく経済的、と言う。妹の方は中学校は私服、高校は制服だったが、公立だったので比較的規制が少なかった。だから「よそいき」も必要だったし、服飾雑貨などもそれなりに必要で、あれこれ悩んだりして選んでいた。


そういう意味で言えば、「制服」とか「お決まり」というのは、らくちんなものかもしれない。

2015年4月10日金曜日

集団

大きな大学のある街を歩くと、ぴかぴかなのは新入生である。たいてい集団で地図を見ながら歩いていたりするのは、「おのぼりさん」な新人である。

今年は「リクルートスーツ」な集団が早稲田通りをたくさん歩いているのを見かけた。例年その時期のその辺りの様子をよく知らないので、就職試験には遅いだろうし、大きな入社式をするような会社があるのかなと思ったら、集団は文学部の校舎に吸い込まれていった。
同行人は、最近はこうなのよ、と言う。みんな似たようなスーツで入学式も卒業式も就職試験もまかなうらしい。制服のない学校であれば、日本人的には便利、らしい。

中学高校の制服ほど「おんなじ」ではなく、微妙に違うのだろうが、ほぼ「同じ」服装の集団を見ていると、不思議な気がする。

2015年4月9日木曜日

ぴかぴかの

4月になると街中に「新人さん」が溢れる。
「ぴかぴかの1年生」というコマーシャルがあったが、幼稚園、小学校から新入社員まで、「ぴかぴか」だらけである。

子どもの入学式や入園式に出るためのお母さん、というのは一目瞭然である。ここ数年はパステルカラーの明度の高い上着とスカート、というのが「ポピュラー」なようである。百貨店に行くと「セレモニースーツ」などというコーナーがあったりする。冠婚葬祭用フォーマルとは違って、カラフルである。
子どものほうはたいてい「よそいき」の組み合わせで紺やグレーが多い。お父さんの方もいたって普通の紺やグレーの背広、だからやけにお母さんばかりが目立つような気がする。

ぴかぴかの1年生、ではなく、ぴかぴかのお母さん、が多い季節である。

2015年4月8日水曜日

サービス

そんなことを考えながら道端を眺めていると、1階に新しいテナントが入ったマンションを見かけた。数年前のことである。
「デイサービス」という看板である。
このあたりも、高齢者が増えたんだなあと思って、看板を見直してびっくりである。「学童デイサービス」だったからだ。

今どきの核家族の家庭であれば、確かにこういったサービス産業がなければ、放課後帰った時に「誰もいない」状況はありがちである。親としては、誰もいない家にいるよりも、お稽古で「暇をつぶす」ことをまずは考えるわけで、その大きな受け皿の一つは「塾」なのである。
だから子どもの方も、「成績を上げたい」「勉強のわからないところを丁寧に聞きたい」という積極的な学習意欲があるとは限らない。やたらやる気がなかったり投げやりだったりする子どもも、いくばくかはいるそうである。

子どもも親も、大変そうである。

2015年4月7日火曜日

多忙

今日この頃の家庭環境を反映して、塾というのはそれなりにポピュラーなお稽古である。

都内の私学の小学生は、毎日異なったお稽古に通うという話を聞いたことがある。月曜日はスイミング、火曜日はピアノ、水曜日は英会話、木曜日はお絵描き、金曜日は塾、などという状態である。子供は数人がグループになっていて、同じお稽古事をしており、送り迎えは母親が交代でやっている。月曜日は景子ちゃんのママが来て、火曜日は恵ちゃんのママが来る、という状況である。

お子様は忙しい、とよく言うが、様子を見ていると忙しいのはママの方である。
私学では「学童保育」というシステムがないところが多いので、放課後の「時間」をどうやって「しのぐ」かが問題であるからだ。

2015年4月6日月曜日

防止策

同居人はボケ防止も兼ねて、週に1度は塾の先生をやっている。
いまどき流行のスタイルの塾である。ビルのワンフロアに机とパーティションがぞろぞろと並んでいて、先生一人にが子ども1−2名を担当するスタイルである。家庭教師よりも割安、ということらしい。

そうなると、小学5年生と中学2年生を同時に教える、というケースになったりするらしい。聖徳太子じゃあるまいし、どうやってやっているのだろうと思ったら、塾が配布する問題集をベースに指導するのだそうだ。学区によって教科書や進行具合が違ったりするのは、問題集の進行に沿うことで解決するらしい。問題集をやって分からないことを質問する、という方法なので、家庭教師のように子どもにつきっきりではなくても済むらしい。同居人にとっての「問題」は、子どもが分からないことに即答できるか、ということだけらしい。

まあでもそういうことなら、ご家庭で宿題をするときに家人が誰かつきあえば良いことなのだろうが、いまどきのご家庭ではそういう習慣はないらしい。共稼ぎ家庭であれば家人は居ない。妹の家を見ていても、学童クラブで宿題を済ませるか、祖父母が見るか、という状態が多かった。

2015年4月5日日曜日

おケイコ

同居人はおケイコが好きなたちである。何か新しいことを始めようとすると、すぐに入門書を買ってきて、お教室や講座を探す。
妹の相方はおケイコが嫌いなたちである。家人の誰かが新しいことを始めようとすると、お教室や講座ではなく、独学自学の効用を説くらしい。

新しいことを始めようとするときに、どうやって始めるか、どのようにモチベーションを維持するかということは、当人によって違うものだ。同居人は母親が「おケイコごと」好きなたちだったそうで、小さな頃からさまざまな「おケイコ」をしていたらしい。
ある意味で「教わる」ことに慣れている一方、いまどきのコンピュータのトラブルシューティングのような「自分で解決方法を探す」ようなことは苦手である。

2015年4月4日土曜日

急ぐ

東京ではここ数日が桜の花見時である。
都心を移動していると、ちょっとしたところで桜の木があるなあと思う。川べりや公園、学校などは定番である。たいがいはソメイヨシノという種類である。同じ種類だから、同じ時期に一斉に、右へならって、咲いていく。

染井にある墓所には、大きな桜の木があった。明治の頃からそこの墓所を使っているのだが、いつ植えたものなのだろうか、私が行き始めた頃には、その墓苑でもひときわ大きなソメイヨシノがあった。おそらく植えた人はそんなに大きくなるとは思っていなかったのだろう、その桜の幹は、太くなりすぎて隣の墓石によっかかり、根が地表に出てきてその近くの墓石を傾け始めた。台風のときに大きな枝が折れて、境目の垣根の木を倒した。大きな枝が折れると同時に、ほかの枝が枯れ始めた。枯れた枝はやはり風で落下しやすくなる。それより何より、根が傾けている墓石は、墓所内のいちばん大きな墓石だった。まあ今日明日に倒すことはないだろうが、桜の木の様子から言うと、枯れるのが先か、墓石が倒れるのが先かなあ、と植木屋が言った。
結局桜の木を伐採することになり、同時に墓所も整理することになった。

ソメイヨシノは成長が早い。あっという間に大きくはなるが、一方で寿命が短いとも言う。墓所を使い始めた頃に植えたのであれば、6−70年にはなっていただろう。花と一緒で、短い間に生き急ぐ木でもある。

2015年4月3日金曜日

気合い

1日はエイプリルフール、面白い絵空事ニュースをBBCがやっていたりする。記憶にあるのは空飛ぶペンギンとか、シェイクスピアの国籍だったりした。
昨今はインターネット上で、企業がかなり気合いを入れたサイトをつくるようになった。Audiの高級サルーンに炊飯器、というのは見るからに「ギャグ」だが、問い合わせた方に「ロゴ入りしゃもじ」プレゼント、というのは「リアル」、というネタもあった。

ことにインターネット上の情報、というのは、「嘘」と「事実」の間隔がつかみにくい。エイプリルフールの仕掛けで言えば、つくる側は、その「リアルさ」を使った表現を狙ってくる。受け手が「嘘」だと思わなければ、つくる側の「勝ち」なのだろうが、それが「リアル」であると感じてしまってもいいのだろうか、と思うほどの「気合い」が増えているような気がする。

いまどきの学生さんと話していると、メディアの伝えることを鵜呑みにする傾向が強くなっているような感じがする。エイプリルフールねたに気合いが入りすぎると、どこかで箍が外れてしまうような気がしてならない。