2014年3月31日月曜日

パース

親友のお父さんは、エンジニアだった。ばりばりの理系である。
私はへろへろな美術系なので、当たり前だが、考え方も価値観も全く違う。

退職後は、三宅島に移住して、畑仕事を楽しんでおられた。理系の百姓なので、考え方が違う。野菜のことは種苗屋に直接聞く。データを調べる。忠実に実行する。
経験とか慣習ではないところが、理系である。美術系はたいがいが、マニュアルなし、経験なし、あたって砕けるタイプである。

ある年、お父さんはタマネギを栽培することにしたそうだ。種苗屋に問い合わせると、苗は30センチ間隔で植えるように、ということだったらしい。手元のロープを30センチに切っておく。ひとつ植えると、ロープをピンと張って、隣を植える。きっちりと30センチにしようとしたところが、理系である。美術系なら、目見当で、適当に済ませてしまうところである。
残念なことは、ロープが引っ張られて「伸びて」しまったことであったそうだ。手伝いに行ったお母さんが、すべての苗を植え終わって畑を眺めたら、「格子状」だが、「台形」な感じで植わっていたらしい。
美術系用語で言えば、「ちょいとパースがきついねー」という状態だ。

お父さんは残念ながらもう亡くなられたけれど、新タマネギが八百屋に並び始めると、「パースなタマネギ畑」を思い出す。

2014年3月30日日曜日

プリント

勤務校ではことほどさように、プリントを作成して配布する。
今注意したことが、授業時間内ではなく、自主制作とか学年が上がったときに役に立つかもしれない、と思っているからだ。そのときに、プリントを読み直すことが出来ればいい。

私が学生だった頃は、「コピー」というのはちょっと値段が高く、あまり潤沢に使う、というわけにはいかなかった。もちろんカラーコピーなどなかった、アナログな時代である。だから、授業時にプリントを配布、ということはポピュラーではなかった。参考図書をいくつか「読んでおくように」だったので、本を買う、先輩から買う、古本屋で探す、図書館で借りる、という作戦だ。
プリントで配布してしまうので、学生は図書を読まなくなった。参考図書、と授業で伝えても、さっぱり本は読んでこない。美術系の学生はそもそも「読書家」ではないかもしれないが。

コンピュータを使うことが一般的になり、「紙」の消費量は減るかと思えば、逆に何でもプリントアウトするようになったので、研究室のコピーやプリントアウトの費用は、増えることはあっても減ることはまずない。
同居人の講義は200人ほどの受講生がいるので、毎度のプリントは総量としてかなり枚数が多い。一人2枚配布したら400枚である。出力サービスに頼むと、単価は15−20円、6-8000円が1回の授業にかかる。授業は15回なので、9−120000円がプリント代になる計算だ。教務事務室でプリントするのだからそれよりはやすいかもしれないが、そこそこのお値段である。そのため、プリントを減らすようにと、注意されたらしい

電子化、という時代の、ちょっと不思議な現象ではある。

2014年3月28日金曜日

配布

担当している授業は、1年生の基礎的なスキルを学ばせる部分である。
1学年が4クラスに分けられ、1クラス3週間で4つの授業をローテーションする。
どの授業の講師も考えることは一緒のようで、機械の取り扱いに十分な指導時間が使えない恐れがあり、プリント配布で補完する、という作戦になる。

ローテーションの授業の開始時には、膨大な量のコピーを研究室では用意する。数年分まとめてオフセットで印刷する方が良いのではないか、と思われるほどの量である。しかし、毎年アプリケーションがアップグレードしたり、使用機材が変わったりするので、直前まで決定稿にならない。
うーむ、こういう時のために電子出版はあるのではないか、と感じざるを得ない状況である。
問題は、電子出版やデータ配布のための規格がさまざまあることと、学生の持っているデバイスが全部同じではない、ということである。

結局、紙というローテクな方法が、今のところの解決策、ではある。

2014年3月27日木曜日

ローテーション

実技系の授業では、ある程度の人数しか指導が出来ない。
ことに、機材を使う授業を担当しているので、機材の人数しか作業が出来ない。
1学年の人数は機材の数より多い。結局1学年をクラス分けして、ローテーションすることになる。
現状では、1学年が4クラスに分かれている。こちらは4回同じ授業をすることになる。

本来なら、もっと手取り足取り、ねちっこく教えたいところなのだが、スケジュールを組むとそうはいかない。短期集中決戦状態である。
先人の仕事を目で盗む、ということをよく言われたりするが、こういったスケジュールではそんな悠長なことは言っていられない。特に機材の取り扱いを含む作業なので、私としても多少は不本意だなあと思いながら、プリントを配布して、予習復習を促したりすることになる。そんなことをしても、全員がきちんとプリントを読み込んだ上で授業には来ないので、プリント作成の労働力と配布用のプリント代の費用対効果が、授業時にどれほどあるのかは疑問である。
紙として渡せば、後日読み返すことも出来るだろう、くらいの感覚かもしれない。

授業終了後、プリントが即時にゴミ箱に直行しないことを祈るだけである。

2014年3月26日水曜日

パズル

さて、実技系の大学で大変なのは、実技だけで卒業は出来ないことだ。
外国語も体育も一般教養もある。

教室運営上の仕組みから、勤務校では、1・3年の午前は専攻分野の実技、午後は一般教養などの講義科目、2・4年の午前は講義、午後は実技、という組み合わせで授業が組まれる。
実技を担当する研究室では、工房や機材、教室の配当を考えながら授業を組む。非常勤が多くなれば、そちらのスケジュール管理も入ってくる。潤沢な予算があるわけではないので、学生全員分の機材や工房、教室が確保できない。機材の数から、1クラスの人数を割り出して、授業を組む。オモテ番組、ウラ番組、そのまたウラ番組、という状態である。

授業が増えてくると、もうそれはドミノ式のパズル状態である。3年くらいになると選択制の授業も増えるので、受講人数が決まったところでまた教室や工房の入れ替えなどが発生する。気合いを入れて、がっつりと組まないと、授業が始まったら教室が足りなくなったり、ダブルブッキングしていたりすることになる。
勤務校では、こういった作業は助手さんがやることになっている。

授業を受ける方は知らないだろうが、組む方はすごーく、大変なのである。

2014年3月25日火曜日

となり

研究室で運営する授業が増えてくると、管理する方も大変である。
実技授業であれば、授業で使用する教室や工房、機材や消耗品なども必要だ。先生に教室の鍵だけを渡して「お願いします」という程度では済まない。

一方、授業をする非常勤講師は、単なるパートタイマーである。先方から「こういう授業をお願い」され、定時に行って授業だけして帰ってくるだけだ。隣の教室では何をしているのか、分かる由もない。

勤務校では、数年前から学生に授業の終了日に「授業アンケート」を行うようになった。授業の内容や課題、指導方法の満足度などを集計しているようである。
授業を担当しているのが非常勤であれば、単に授業についてのスキルだけを問うべきである。学生の「お答え」に、機材の運用や管理についての「ご要望」や「ご意見」があれば、それは非常勤の請け負うところではない。そもそも、授業をマネジメントしているのは大学側のはずで、授業ごとのアンケートではなく、総体としてのマネジメントは問われないのか、と思うこともある。

2014年3月24日月曜日

ネタ

「縦割り」なカリキュラムでは、それぞれが「基礎的な学習」、それのステップ2、ステップ3、といった段階的な授業を組むことが多い。いきなり、応用編からは始まらない。
最初の頃は専任がお互いに遠慮していたかもしれないが、隣の「縦割り」なカリキュラムに口を出すことがあまりなかった。私の方も、専攻ジャンルの授業補佐が忙しく、他のジャンルの授業についてはあまりアンテナを張ってはいなかった。
最初の学生が入ってきて、授業を始めてしばらく経った頃、言われたことがある。
「何度も同じネタを違う先生から聞く」。

つまり、違う「縦」でも、「基礎」的な授業で使われるネタは、共通のものが多かった、ということなのだった。映像系の学科なので、同じような映像作品を見せられることも多かったようだ。例えば、ある映画の冒頭10分だけを授業で流して、あとは各自見るように、という指示の授業が二つ、三つはあったらしい。もちろん、その先の講義の内容はそれぞれに違うのだろうが、学生としては、消化不良な印象があったり、違う授業における新鮮味がなかったりしたのだろう。
一方で、同じ作品についての評価が、先生によって全く異なったりすることもあったらしい。ある先生は絶賛し、ある先生はこき下ろしていて、高校出たての学生は戸惑ったようだ。

「横」方向へのアンテナや、連絡、相互確認があれば、学生さんの戸惑いもあまりなかったかもしれない。

2014年3月23日日曜日

たて

さて、学科は「新設」なのだから、教員もスタッフも新しく集められる。ことにその学科は、国内に同じような教育目標やカリキュラムを持った学校がなかった。始まる前から手探り状態である。ぼちぼちと教員やスタッフ、カリキュラムが決まってきた時期に、声がかかった。教員もスタッフも外部から来る人が多く、学内事情が分からない、ということもあったのだろう。他の学科の研究室で助手の任期が終わる頃に、新設学科を手伝うことになった。

勤務校の研究室、というのは、専任が4−5名、助手が1−2名、それにアルバイトの補助員が1−2名、という構成であることが多い。1学年6−70名ほどの学生の、カリキュラムを組み、時間割を組み、工房や機材の手配りをし、専任で足りなければ非常勤を手配し、授業を運営する。
一般の大学の個人研究室のような人員構成ではないので、「専任がすべて船頭状態」になりがちである。自分の専攻ジャンルの教育課程や目標は考えられるが、他の人の専攻については口出ししにくい。そのため、どうしても「縦割り」な状態になることが多い。
「縦割り」の利点は、当該の専攻ジャンルについては、段階的なカリキュラムが組めることだ。
ひとつの「縦」だけを選ぶ、ということは、当該の専攻ジャンルだけを学ぶ、ということになる。それはある意味で「専門学校」の教え方に近いだろう。

勤務校では、学生は「縦」のひとつだけを選ぶのではなく、最初はすべての「縦」の授業を受けて、そのうちだんだんにひとつの「縦」にしぼる、という構造で学習を進めることが、「一般的」な方法だった。だから、新設学科でもことほどさように、「だんだん絞り込む」方式のカリキュラムが想定され、準備されていた。

2014年3月22日土曜日

ニーズ

勤務しているセクションのひとつは、1990年に始められた学科である。その頃から新設学科が、たくさん出来るようになったのだが、その「はしり」の時分だ。

毎年、新聞には文科省の新設学科の承認などが出る時期がある。
役所が何を想定していたのかは知らないが、子どもの数が増え、高等教育のニーズが増えると思ったのだろう、ずいぶんとその頃から新設校や新設学部、新設学科が申請、認可されるようになった。

数年前は、とある大臣が、とある大学の新設を認可しなかったことで話題になった。
新設学科の申請と認可というのは、けっこう大変な作業のようで、準備期間を含めて何年間かが費やされる。事務方の作業も大変なものだと、後で聞かされた。
一発申し込んでOK、というわけではなく、途中の審査や方向修正も含め、新設に向けて役所と交渉しながら準備作業が続けられる。人事やカリキュラム、施設の準備や予算運営など、かなり「詰めた」状態で、最後の認可が出るそうだ。だから、あの時点で「認可しない」というのは、当事者にとっては寝耳に水、だったはずだ。それまでの準備の苦労や、人材の確保、施設や設備の準備も、パーである。
開設準備は、ずいぶん前から始められる。数年、といっても1−2年どころではない。だから、数年後のニーズが変わっても、突如舵を切るわけにはいかないのだろう。だから、子どもが減るのに新設学科が増えている、という奇妙な現象に見えるのだろう。それがとある大臣の発言につながったような気がする。

2014年3月21日金曜日

よこ

勤務校に非常勤として通い始めてしばらくになる。
勤務校は、実技系の学校なので、教育体制が文科や理科の学校とは少し違うところがある。同居人はいくつかの大学の非常勤なのだが、同じジャンルの実技系だったりすると、様相が少し似ている。同じなのは、非常勤の数が多い、ということであろうか。

名簿やシラバスを勘定してみると、専任よりも非常勤の数が遥かに多い。特に実技系では1クラスの受講生を多くは出来ないので、自然と教員数が必要になる。専任よりも、非常勤でカバーする、という状態になる。
時代の要請かもしれないが、私の学生の頃よりも、1クラスの生徒数は少ない。コンピュータなど、機材を教える授業になるとなおさらである。だからと言って、専任の数は増えない。学生総数は変わりないからだ。
一方、大学のカリキュラムは専任が組む。クラスは増えるが、専任は増えないので、授業は非常勤がやっている、ということが多くなる。

私が助手をしていた頃は、担当学年の授業に、時間さえあれば見学していた。しかしその頃でさえ、専任の先生はたいがいが「おまかせ」だった。それでも何とかなっていたのは、専任と助手はしじゅう話し合い(会議だけではなく、よく飲んだり遊んだりもした)、授業数も非常勤講師も、把握できる程度の数だったからだろう。
昔も今も変わらないのは、専任あるいは助手と非常勤という「たて」関係は構築しやすいが、非常勤同士の「よこ」関係は構築しにくい、ということだ。隣の教室ではどんな授業をやっているか分からない。それが高じると、学生が「違う授業で、同じネタを何度も聞いた」という状態になる。

これじゃいかん、とたいていの場合は「懇親会」というのが開催される。しかし、顔合わせでおしゃべりする程度で、実務会議には至らない。同居人の学校の方は、私のところよりも、数多く「懇親会」が開催されている。同居人は「名刺交換会」と割り切っているようだが。

2014年3月19日水曜日

信用

どんな機械でも故障はするものである。
故障はする、という前提でないと、辛いことはある。

今の車は、いろいろな「電子機器」を積んでいる。それに伴って「センサー」もたくさん積んでいる。5代目以降は、それが特に多くなった。時代、ではある。


ふと気づくと、メーター内で何か赤くちかちかしているものがある。エアバッグ警告灯だ。
マニュアルを読むと「エアバッグが動作しなくなることがあります。至急ディーラーで点検を受けてください」と書いてある。ちかちかしている時に、正面衝突で事故ったら、完璧にアウト、ということらしい。
ディーラーに慌てて行くと、車にコンピュータをつないで、何かコマンドを打ち込んでいる。警告灯がついたのは、センサー異常で、リセットしておきました、くらいのお返事が多い。
似たような「センサー異常」で、いきなり「警告灯点灯」とか、「警告音発信」も、わりとよくある。「エアバッグ」警告も、「ふくらまない」かもしれないが、突然爆発したことはないので、そのうち慣れっこになってしまう。まあそのうちディーラーに行くか、と考えているうちに、警告がおさまったり、エンジンをかけ直すと警告しなくなったりする。

ピーターとオオカミ、な状態である。本当に警告かどうか、どうやって見分ければよいのだろうか。

2014年3月18日火曜日

チェイサー

どんな機械でも、故障はするものである。
しかしいくらなおしても、なおらないこともあった。

こちらは4代目の車である。新車で納車、始めての遠乗りで、夜間にドライブ、という状況である。場所は知多半島。一本道が、ずーっと続いている。周りは畑になったり、林になったりで、人家はまばら。遠くに見える明るい光は、温室の中の電球である。道には街灯はなく、車のヘッドライトだけが道を照らしている。
走っていると、遠くから機械音が聞こえてくる。原付のエンジン音のようである。振り返っても、原付のヘッドライトは見えない。しかし、エンジン音はずーっと聞こえてくる。後をつけられているかのようだ。

うちの車のコンプレッサーが不良であった、と判明したのは、帰宅後に修理点検に出したからだ。しかし、その車はその後もコンプレッサー不良を起こした。ふと気づくと、「原付エンジン音が後をつけてくる」現象が発生した。

結局、何度か入院したが、完治せず、手放す時も「原付のチェイサー音付き」状態だった。

2014年3月17日月曜日

亀裂

どんな機械であれ、工業製品ではある。マスプロダクトの製品であれば、個体差がない、と一般的には思われている。
しかし、意外に個体差はある。

郊外暮らしなので、日常的に車をよく使う。こちらも、工業製品だが、個体差がすごくある。よく「あたり」「はずれ」といったことを言うが、私の場合はどちらかと言えば「はずれ」をひく確率の方が高い。いやむしろ、「あたり」はなかったかもしれない。

ずいぶん前の話だが、3代目の新車納入後、1ヶ月くらいのことである。大雨の日に走っていて、ワイパーが突然動かなくなったことがあった。動かないまま走るわけにはいかない。JAFをよんだら、修理を始めてくれた。ありがたいことである。拝んでいたら、「びきっっ」という音がした。ワイパーのモーターをエンジンルームから取り出そうとして、工具をてこに使っていたら、フロントガラスに亀裂が入った。修理は中断、小雨になったので、このまま帰ることにした。
JAFのオジサンは、修理できなかったので、出張料はいらない、と言い出した。伝票も署名も不要だと言う。しかも、修理に来なかったことにしてほしい、フロントガラスの修理費が発生したら連絡をくれと、名刺を置いてあわてて帰っていった。
後で考えるに、どうも、こういったケースは、「社内」では厳しいのかもしれない。

新車の頃であったのと、車のメーカーに知り合いがいたので、フロントガラスの無償交換となった。オジサンに電話して、お互いにヨカッタネー、であった。

2014年3月15日土曜日

約束

どんな機械であれ、工業製品ではある。マスプロダクトの製品であれば、個体差がない、と一般的には思われている。
しかし、意外に個体差はある。

授業で学生に使わせるビデオカメラは、一般コンシューマー向けのものだ。一般的、であれば、ユーザーがオーナーだし、1人に1台とか、1かに台なので、あまり考えないだろうが、実は、5−6台も同じ型番のカメラを使うと、個体差を感じることが多い。色の基準や露出など、微妙なのだが、それぞれに「くせ」がある。

コンピュータも、教室や工房には、同じ機種を複数台揃える。全部の機種が違ったら、教えるのが大変だからである。しかし、「同じ」であるはずなのに、電源ボタンを押してログインするまでの時間が、それそれ微妙に違う。キーボードのタッチや、ディスプレイの明るさが、微妙に違う。

だから、作業をする時は、開始から完成まで同じ「機械」を使うことが、お約束である。

2014年3月14日金曜日

鉄則

専門にしている映像関係の領域というのは、機械を通して表現する。
私は、もともとは、デザインを勉強していた。その頃はアナログな作業が中心で、職人芸を要求された。しかし、今やデザイン作業でも、コンピュータという「機械」が必須である。機械を通して表現するようになった今日この頃である。

さて、機械を通すわけだから、機械に出来ないことは逆立ちしたって出来ない。機械が壊れたら、何も出来ない。
これは機械を使う場合の鉄則だ。

一方で初心者は、機械のことを知らないことが多い。機械さえあれば、作業が出来る、と思っているフシさえある。新入生は、ビデオカメラと編集機があれば、ちょっとした劇映画が出来る、といったぐあいである。
そういう学生ほど、機械に無理をさせて作業をさせることが多い。あげくに機械がハングアップしたりする。

機械を使った作業では、機械と仲良くなることが一番大事だったりする。

2014年3月13日木曜日

季語

景気が良くなっているのかどうか分からないが、新聞には「春闘」の見出しが出る季節である。
「春闘」とは春の季語にあたるそうだ。のんびりした印象があるが、私が中学高校時代はまさしく「春闘」だった。

春闘とは、ベースアップを求めて組合が会社側に要求をする。会社側が、要求をのまなければ、組合は実力行使に出る。大概の場合、それは「ストライキ」という作戦である。
春先になると、駅や工場には横断幕がかかる。「春闘、がんばろう!」「目標、ベア○○%!」、なにしろ全共闘世代が組合員である世代なので、威勢がいい。夕方何時までに会社が要求を受け入れなければ、ストライキに入る。工場は動かないし、電車も動かない。働く人は「出勤待機状態」であり、駅の改札口は「ストライキのため閉鎖中」とロープが張ってあったりする。
交通機関で言えば、私鉄、国鉄(まだJRではない)、都市交通局と、それぞれが交渉に入る。全部が違う会社なので、東急はストライキ中だが、京浜急行は動いている、という状況になったりする。
学校は、最寄りの路線が動いていれば授業をする、というルールになっていた。東急が止まっても、国鉄が動いていれば授業はある。だから、東急路線の生徒は、何が何でも国鉄路線にたどり着いて学校に行かなくてはならない。動いている路線やバスを確認し、遠回りして学校に行かねばならない。

一方で、京浜東北線が止まれば、思いがけない「休日」状態になる。生徒としてはありがたーく、お休みする。ある年、はなはだしくストライキが行われ、週末が絡まったのでほぼ1週間ほど「ストライキによる休校」になったことがあった。これくらいだと、ありがたーく、ではなく、むしろ不安になる。授業の遅れはどうするのか、来週は詰め込み授業になるのではないか、夏休みは減ってしまうのではないか。

昔も今も、私は小心者である。

2014年3月12日水曜日

ベスト

世代間のギャップ、ということをよく言う。
流行や共通認識は、ある程度の幅の年代で共有するからだ。

研究室のスタッフはお互いをニックネームで呼んだりする。作業をしている背後で、若い女子に向かって「おーい、かねやん」と呼びかけた先生がいた。
ある程度のトシの先生の脳裏には、「金田正一」という野球選手の顔が浮かぶ。呼びかけられた本人は、「金田正一」など見たことも聞いたこともないお年頃だったりする。

寄席でこんな話がマクラに出た。ティーンエイジャー女子が、けがをして入院することになった。心配したおじいさんが、見舞いに行き、欲しいものはないか、買ってくるよ、と言ってくれた。けが人は「じゃあ、グレーのベスト、買ってきて」とねだったそうだ。数日後、おじいさんが持ってきたのは、灰色の毛糸のチョッキである。けが人が欲しかったのは、GLAYのベスト盤CDであった。

2014年3月7日金曜日

ごあいさつ

美術学校は意外にも体力勝負な学校である。
しかしだからと言って、体力だけで勝負できるわけでもない。
存外に「コミュニケーション能力」も必要である。

担当している授業のひとつは、フィールドワークをする。現場の人とおしゃべりしたり、仲良くなったりすることが出来る方がお得である。何となく井戸端会議に入り込んで、現地の事情を知ったりすることは、とても大切な情報収集活動である。
学生さんを見ていると、なかなか現地にとけ込めないタイプと、すんなりと入り込むタイプがいる。大きな違いは「コミュニケーション能力」などという大それたものではなく、単にごあいさつが上手にできるか、程度のものだ。
今時の学生さんのご家庭は、核家族だったり、一人っ子だったりするのが多い。高校までに多様な年齢の子どものコミュニティに入ったことがない学生は、違う年の子どもや、親や先生以外の大人と話をするのが苦手だったりする。どうしても、自分の年齢の物差しで話をすることが多い。年寄りに対しても、流行語たっぷりの若者言葉、タメ口で話しかける。開口一番、「ちっす。あざーす」である。相手から引かれるわけだ。
今や稀少部類に入るような、ボーイスカウトやガールスカウト、YMCAとかYWCA、地域の子供会などに入っていた学生は、ごあいさつが上手だ。相手の年齢によって話し方を変える。すんなりと、相手と話を合わせることができる。

就職課で「コミュニケーション能力上達講座」などという張り紙を見ることがある。「講座」で教えるような問題かなあ、と思いながら眺めていたりする。お笑いを見るなら、漫才よりも古典落語でも聞いてもらえば、ずいぶんと違うように思う。

2014年3月5日水曜日

体型

3月にもなると、勤務校の入学試験関係のイベントはほぼ終わる。4月になると、晴れて1年生が授業にやってくる。

さて、美術学校というのは実技授業が中心である。
私の時代の彫刻科は、特に肉体労働派のガテン系である。具象系、抽象系と大まかに表現ジャンルを分けて指導されていたが、どちらにせよ大きな丸太とか石とか鉄、人と同じボリュームの石膏や油土が相手である。必然的に男子学生が多かったが、中には女子学生もいた。もちろん、女子だからといって特別扱いはされない。丸太を切るためのチェーンソーを他人に任せたら、自分の作品にはならない。
楚々とした女子学生の多かった日本画でも、最終的な卒業制作はかなりの大きさである。大きいからと言って、他人に作業してもらうわけにはいかない。大きな絵を描くにも、それなりの筋力は必要である。

当然のように、私の関わる映像系の作業でも体力は必要である。機材をかついで走ったり、階段を駆け上がることは「普通」である。私が卒業した頃、テレビ局のカメラマンは体重100キロが基準だった。100キロ以下は、いくら才能と情熱があってもカメラクルーとしては不採用である。単なるデブでは、もちろん駄目である。100キロの体型、というのはアメフトとかラガーマンとかの、ごっつい筋肉体育会系である。
現在のENG機材というのは、技術進歩もあって軽量化されてはいるが、それなりの体力や持久力は必要だ。

ところが授業を始めてみると、意外に学生の体力がないことにびっくりすることがある。すぐに座り込む、ワンフロアの移動にエレベーターを使う、10キロもないカメラケースを学内で運ぶのに台車を借りに来る、すぐに休憩モードに入る。女子学生だけではない。男子学生である。

絵を描くことは苦手だが、肉体労働どんとこい、という人材の方が、現場ではいいよねえ、とよくティーチングアシスタントと話したりする。ぜひ入学試験に体力テストを、とここ十数年つぶやいたりしているのだが、実現しそうにはない。

2014年3月3日月曜日

コンプレックス

2月も終わりに近くなると、勤務校の入学試験はようやく終わる。

夏休みから専任の教員と職員は「地方巡業」のように、各地で行われる「大学入試説明会」にご出張である。
私が学生の頃は、美術大学と言えば10本の指で足りたものだが、今や全国各地に美術大学が出来るようになった。美術やりたいから東京に行く、というのは、上京するための半ば言い訳だったりしたのに、美術大学なら地元にあるから地元に行きなさい、という今日この頃である。ご両親からすれば、高い物価の東京の下宿生活は物入りなので、近くの方がリーズナブルに見えるわけだ。
もちろん日本全国人口分布から言えば、18歳人口は減少の一途なので、美術学校増える、子ども減る、ということは目に見えている。学校経営側としては、黙っていても受験生はやってくる時代ではなくなった。AO入試、推薦、センター試験利用など、手を替え品を替えて、入学試験のバリエーションを増やすことで、志願者を増やす作戦をとった。

どうなるか、というと、美術学校に入るのに実技試験を受けなくても大丈夫、という状況が発生した。
ある意味では、入学試験を受けるための敷居を低くしたわけである。美大専門受験予備校で3年みっちり石膏デッサン、という人生修行は不要になる、ということだ。
一方で、美大生のくせに絵を描けない、という矛盾な状況が発生する。世間一般では、美術学校を出たのだから絵が描けて当たり前、という認識がある。矛盾に頭を抱えるのは当の本人なのだが、そもそも絵を描くという状況そのものがない人生だったので、いきなり絵を描くのが好き、ましてや得意、にはならない。

一般大学での基礎教育の拡充がよく話題になるが、美術学校でも同様な問題はあるわけだ。

2014年3月1日土曜日

記憶

携帯電話を使うようになって、もうずいぶんになる。

たまたま出先でバッテリーが切れた。連絡をする必要があるので、公衆電話を探す。……公衆電話がない。電話ボックス、というのもなければ、喫茶店の入り口にあるピンク電話、というのもない。数年前の震災のときに、携帯電話がつながらず公衆電話に長蛇の列、というのが話題になったが、だからといって「公衆電話保存運動」をしているフシもない。
やっと見つけた電話は、テレフォンカード仕様である。硬貨使用不可なので、あわてて財布の中を探る。テレフォンカードというのは、ひところノベルティグッズとしてよくあちこちでもらったりしたものだが、いまや「不要の長物」となっている。たまったカードは電話料の支払いにも使えたのだが、今や家庭の電話回線も「旧電電公社」ではない。
さて、電話をかけようと思ってはたと気づく。電話番号は、携帯電話のメモリー内である。相手の名前を検索して「電話をかける」ボタンを押すわけだから、数字を覚えていないのである。
携帯電話以前は、10や20の、よく電話をかける相手先の番号ぐらいそらんじていたものだ。

結局、どこにも電話をかけられないことに気づき、連絡はあきらめることになった。世の中は便利になったのか、不便になったのか、よく分からない。