2016年7月7日木曜日

走る理由

30年来の定番は「行動記録」である。
テーマが自己紹介だろうが、フィクションだろうがノンフィクションだろうが、必ずクラスに数名が同じネタを使う。

学生が校門から走ってくる、中庭を走り、階段を駆け上り、廊下を走り、ドアの前に走り込む。

本人的には「遅刻」なのだが、観客的には「単純に走っているだけ」である。
映像ではかように、本人的に「つもり」なのだが、ストレートには伝わらない、というものがけっこうある。走ってくるのは「学生」であり、走っているのは「学校内」であり、「1分後に授業が始まる」ということが分からないと、「遅刻しそう」ということは伝わらない。トレーニングなのか、隣の猛犬に追いかけられているのか、はたまた走る先にあんパンがぶる下がっているのか、提示された情報だけでは分からない。
実はそういうことは、役者の行動以外に提示されている情報から読み解く。だからオーディエンスに読み解かせるためには、的確な情報を提示しなくてはならない。それは、作ってみて初めて気付くことのようだ。

「走れメロス」という小説があるが、なぜ走っているのかを文脈として伝えているから小説になるのである。理由が分からなくては、単に「走っているメロス」だけを見せているだけだ。 

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