私が教わった映画監督の基本的なスタンスは、「死にオチなし」だった。
死ぬことは、人生では大きな出来事のうちのひとつであり、それだけで「ドラマチック」だからである。シナリオを書く上では「ドラマチック」な展開を目指すものだが、そもそも「ドラマチック」な「死」という要素を持ち込めば、どんな下手くそなシナリオでもドラマチックに見えるからだ。
一方で、どんなに辻褄が合わないシナリオでも最終的に主人公が死ぬことで結末にしてしまう、という作戦がある。これも、あまりよろしくない展開方法のひとつでよく例に挙げられる。連続テレビドラマなどでは、視聴率低下のための打ち切り、俳優の降板などでよく使われる作戦である。
同じようなオチのつけ方に「夢オチ」というのもある。どんな荒唐無稽な設定と展開でも、「ああ夢だった」で終わらせるものだ。
どちらも「安易に使うな」という意味で、「出来れば禁じ手」。「芝浜」「邯鄲の夢」などという夢オチの名作もあるが、やはりこれを越えるものはなかなか出来ないものである。
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