2020年10月31日土曜日

マスキング効果

 講義科目では、巷で言う「ウェビナー」方式が多い。

先生が学生さんの顔をずらーっと並べて、カメラに向かって話をする。学生さんは、オンラインでカメラの前にいる。

先生の方はノイズになるので学生さんのマイクはオフにする。リアル講義と違って、私語はなく、静かである。

…というより、聞こえないだけである。オフにされているマイクの向こうでは、賑やかな音楽が流れており、先生のお話はマスキングされているかもしれない。

…が先生側にはわからない。

「わかっているのかどうだか」というのが、先生の実感であり、従ってレポートやら宿題が増える、という循環になる。

なかなかお互いに悩ましい状況である。

2020年10月30日金曜日

質問

 コンピュータを扱った他の実習授業では、「リモート方式」、クラス全員がオンラインで繋がった授業方式である。

自宅ではなくクラスルームに来る学生も含めて、同じツールでオンラインにつなげて、同時進行で授業が進められる。先生は学生の顔をカメラで確認しながら、先生の手元は別のツール、別画面でオンライン配信、という合わせ技である。

利用しているツールで、オンライン配信、作業結果の提出(アップロード)、チャットで適宜質問することが出来る、というのがソフトウェア会社のセールスポイントである。最初のうちは、効率的だったようだ。いつもならあまり質問しないような学生が、比較的積極的に質問するようになった。簡単な質問であれば、先生ではなく、他の学生が答えてくれたりもする。

しかし、夜中に、先生が課題提出チェックのためにツールを使うと、チャットも同時に繋がってしまうことが判明。繋がってしまうと同時に、学生さんからチャットが飛んでくる。「本日の授業の質問ですが」。夜中の2時である。一度や二度ではなく、頻繁に夜中に出現する学生がいるらしい。

来年度、同様の授業で進行することが決まったら、どうするかー、と考えている様子である。

2020年10月29日木曜日

隣の席は

 大学では、未入国の外国人留学生、感染症予防のための登校自粛、もちろん地方在住であれば学校の近くにすら居住していないこともあり、大学の授業は概ねオンライン授業から始まり、入構禁止措置が緩和になったと同時に対面授業もぼちぼち始められた。

担当している授業は対面授業である。グループワークが授業の目的のひとつでもあるので、オンラインで個人作業、という形式にはそぐわない。一方で、個人作業などは、オンラインの方が適している、という話もある。こういった授業形式になって数ヶ月、メリットやデメリットもあれこれと聞くようになった。

オンライン形式の授業では、プログラミングなど、個人作業が効果的だと思われていた。他の先生の授業では、「オンデマンド」方式である。動画で講義を配信、学生さんはビデオを見ながら、好きなペースで作業が出来る、はずだったのだが、クラス全体の作業クオリティが例年よりも低い、という。教室で集まって、隣の人の作業を垣間見ながら、あるいは適宜分からないことをおしゃべりしながら作業することのほうが良かったらしい。独学でプログラミング、というのは、実は効率が悪いのではないか、という話になった。

手取り足取り、という言い方があるが、スキルを学ぶときは、あまり自覚はしないものだが、実際には他人の様子をうかがったり、手軽に質問したり、という作業が、実は大切なのかもしれない。

2020年10月26日月曜日

go to school

 新聞など読んでいると、年間通してリモート授業、などという、放送大学もかくやと思われる授業形態を継続している大学もある。多くの大学は対面授業を再開しており、リモート授業と併用、という作戦が多いようだ。旅行は良くて、学校はダメ、というのは、そりゃ学生さんは納得できないだろうと思われる。

ただし、未入国、登校自粛、体調不良で欠席、あるいは10日ほど自宅で経過観察、など、学生の方も「一斉登校」状況にはならない。学校も手探り状態で、三密状態の解除、「すっかり元通り」になるには、感染症終息後、かなり時間がかかりそうな気がする。

学生によって「大学」をどのように考えているか、それは個人差がかなり大きい。勉強をするだけ、ではなく、場所であったり施設であったり友だち作りの場であったり、である。担当している学生の中には、そもそも「コミュニケーションが苦手」というタイプがいる。コミュニケーションは何とかなるが、いつも一緒にいる友だち、というのは思い当たらない、というタイプもいる。今年度で言えば、リモート授業の方が参加しやすいというタイプもクラスに数名はいる。

一概に、大学とはこういうところだ、というのは、ない。かなり枠としては「ゆるい」ものなので、どちらかと言えば「自分」をしっかり考えておかないと流される恐れの方が、以前も今も大きいだろう。上を向いているだけでは、何も降っては来ない。自分でもぎ取りに行くものだ、と我々の世代では教わった。ただ、今はむしろ、「黙って座っているだけ」なタイプが増えつつあるのは気になる。いずれにせよ、前代未聞の状況ではある。以前と同じことを期待するのは難しい。むしろプラスの方向に考えたい。

2020年9月10日木曜日

再開

 勤務校の入構禁止措置が緩和になったのが7月半ば、以降いくつかの授業では対面授業が再開された。9月の2週目が、本来、後期授業開始にあたる。それを機に、というわけなのか、他学科他授業科目でも対面授業が開始され始めた。

担当している学科は、グループワークの実技授業が多いこともあって、かなりの授業科目が「対面」方式で再開された。もっとも、外国人留学生がクラスに数名含まれており、こちらは未入国、あるいは感染第2波の時期に帰国、などしている。まだしばらくは、入国の予定が立ちそうにない。他にも、感染不安のための登校自粛、対面授業期間内の体調不良で発熱や咳が発生した場合は保健室が強制的に10日以上の出校自粛を求めている。いずれも、「対面授業欠席を公欠扱い」なのが、教務事務からの要請である。そのため、授業を生配信、自宅からリモート参加、あるいは別課題対応などが必須である。私の担当科目ではリモート参加ではなく、別課題対応にしたので、学生の状況によって個別に課題を準備した。例年授業が同時並行3本立て、くらいの感じである。何だかな。

対面授業そのものは、大学が要請している「感染症拡大予防措置」に沿って運用している。全員マスク着用、フェイスシールド配布、アルコール消毒液の個人配布と、教室内常備、授業終了後の机や椅子の消毒作業、もちろん教室内に入る人数が制限されるので教室2箇所を回りながら作業する。マスクしながら話していると、声が通りにくいのか、聞きづらいと言われるのでいつもより大声になる。3時間後にはいつもよりもヘトヘトである。

前期が入構禁止だったこともあって、夏休みはほぼ返上で対面授業となった。実習授業は肉体労働なので、毎日ヘトヘトである。学生の方は、授業が終わるや自宅に戻ってリモート講義、あるいはリモート受講用に開放された教室にパソコンを持ち込み講義を見る、という感じである。相対的にリモート授業が多いからなのか、学内人口もいつもより少なめ。例年とちがう、ビミョーな後期授業開始である。

2020年8月9日日曜日

お願い

 ちょいと昔は、大学と言えば「お馬鹿なところをやるところ」といった側面もあった。いろいろなサークルがあるが、私の学生時代には「ネコ部」というのがあった。ネコとは、実は関係なく、単に「何かにつけて飲む会」である。「サークル」として、組織をつくって届ければ、学校から年額数千円ほどの「活動費」が支給される。もちろん、飲み会の費用と化すだけだ。ブチョーも割り勘である。
まあともあれ、「お馬鹿なこと」も含めて、青春だったりするのだろうが、そこは大学なので「お馬鹿なこと」ばかりやっていると、単位が取れず留年することになる。単位は単位でそつなく取得した上で「お馬鹿なこと」をするのがスマート、だった。優等生は「お馬鹿なことをしない」ので、「スマート」ではないのである。卒業証明書に、成績はついてこない。単位取得したか否か、だけなので、優良可だったのか、単位取得に何年かかったのかは明記されなかった。
「手に職」に近いジャンルなので、「卒業」が人生のゴールではないし、「卒業」したからと言ってその後の人生が順風満帆とは言えないことは、卒業生を見れば、よーくわかる。「中退したら有名人」なケースも多い。卒業生全員が「プロの芸術家」として生きられるわけではない。不運だったり、報われなかったり、という人生も、先輩からはよく聞かされた。最終ゴールが「喫茶店のマスター」、というのが「よくあるハナシ」だった。
今や、大学から「留年させない」「脱落させない」「卒業させる」のが至上命令に近いので、お願いだから課題を提出してくれと学生に連絡するのは、講師と研究室のスタッフである。何だか違うよなあ、と思うのだが。

2020年8月8日土曜日

第2波?

またぞろ、感染者数が毎日のニュースでトップである。日々更新、などと、数だけ見ると「Go to な旅行へ行っている場合か」などと思ってしまう。後期授業も全面リモート、と決断した大学もあるようだが、ケニアの「今年度はなかったことにしよう。全学年留年だ」作戦の方が潔いとも感じてしまう。まあ、それはそれで、いろいろと後の作業は大変そう、ではある。「大学生活を返せ」という現役大学生のSNS発信が話題になった。授業ばかりではなく、青春ナ学生生活を返せ。ただし、彼らにとっての学生生活とは決して「授業してしっかり勉強する」ことばかりではなく、サークル活動課外活動楽しい放課後活動など、「授業以外」を大きく含んでいるような気がする。
まあ、翻って我々の頃は、もっと学生生活というのがゆるかった。「授業以外」に何をやるか、ということも含まれていた。今日の大学では「やらねばならないことリスト」がとてもたくさんあって、「ゆるい」どころか「がちがち」である。勤務校は、実技系の学校なのだが、最近の学生さんはサークル活動にあまり参加しない。そもそも「群れる」ことに慣れていない。サークル活動に参加して「群れる」ことに慣れるのだが、それすらしない。なぜか、と言えば、「課題が忙しい」のである。教える方もなぜか以前に比べると「ガチガチ」である。前年度秋頃に「シラバス」というのを作成する。授業の目的や到達目標、採点基準などを決め、授業日ごとの授業内容をリストにする。授業日程が終わると学生にアンケートが配られ、シラバスと授業進行について、齟齬がないか、変更なく進んだか、などと調査される。学生の顔を見て、学生の様子を見ながら、臨機応変に授業を進める「ゆるさ」は微塵もなく、シラバスと違うことはやりようがない。ある意味でシステマチックなのだろうが、これでは「パッケージ」である。

2020年8月5日水曜日

一段落

感染症拡大防止のため、入構禁止措置がとられていたが、段階的に緩和され、勤務校では対面授業が可能になった。早々に、夏期休暇を削って担当科目の実習授業が始まり、3週間、一つのクラスの集中講座が終了した。
梅雨明けが遅かったというのもあって、何となくいつも通り、夏期休暇前の授業のペースに近かったような気がする。
講義科目はほぼ「リモート授業」に移行しつつあり、感染症終息の見通しがつかなければ、来年度も続行の可能性が否めない。勤務校では別途通信教育課程も併設しており、こちらは例年より提出物も多く、また学習ペースが早いような気がする。ステイホーム効果、とスタッフは称している。
対面授業は例年よりも出席率が高く、脱落者も少なかった。入学以降、この授業開始が初登校日という学生がほとんどで、新鮮な気分だったということもあるだろう。一方で、感染症が不安なので、「通学したくない」という学生もいたり、未入国の留学生も若干おり、こちらは別課題で個別対応することになった。はっきり言うと、時間外労働である。
リモート授業も増えて考えることは、通信教育課程と通学課程の違いでもある。通信教育課程は履修登録をすると、登録授業のテキストと課題が送付されてきて、それに沿ってレポート作成、テスト、というのがいわゆる講義科目にあたる。実技の方は、課題に沿って作品を作成する、対面授業で作品を制作する、というのが授業によって違っている。両方行う科目もあれば、どちらか一方で進行する科目もある。対面授業は、スクーリングと呼ばれていて、以前は通学課程の夏期休暇中と冬期休暇中、工房や教室が空いている時期に設定されていた。現在は、駅近くのビルなどで週末を使って開催されていたりする。社会人の学生が減少した、スクーリングのための長期休暇が取りにくい学生が増えた、ということも聞いた。学生の方の状況も変わるのが、通信教育の特徴でもある。リモート授業が続行する、あるいは増えるのであれば、通信教育との違いは何だろうか、と考える。

2020年7月26日日曜日

学内風景

学生に入構禁止措置緩和から2週間、学内はぼちぼち事務手続きに来る学生がくるようになった。現在学事予定上では夏期休暇中なのだが、当方、そんな中で実技授業である。例年と違って、学内にいる学生が少ないこともあって、静かな作業中だ。
学生用に、図書館やギャラリースペースなどは限定的開放中、画材店は営業時間短縮営業中、学食はテイクアウトだけ、という状態である。入構禁止中に、学内はかなり整理されていて、今まであちこちに置いてあったベンチ類がかなり撤去されていた。学食やラウンジなどにあるテーブルもかなり減らされていて、なおかつ、あますところなくアクリルの衝立が出現している。建築学科出身の同僚とその風景を眺めて、アクリル衝立の数をざっくり見ながら経費を計算しようとしてしまったのは、習い性と言うべきかもしれない。
オンライン授業の受講用にいくつか講義室は開放されており、学生が自前のノートパソコンとヘッドフォンを持ち込んでいた。ただし、見ているのはそれぞれ違う授業なので、後ろから眺めると不思議な状況である。語学の授業を見ている学生の隣は、美術史の「授業中」である。
オンライン授業開始にあたり、学内のWiFi設備がかなり増強されたらしく、今まであまり無線が届かなかった教室も、それなりに強い電波が届いている。教室内20台ほど無線につなぐと、今までは「どよーん」としたスピードだったのだが、今や実用に耐えるくらいである。ただし、授業あるいはシステムそのもののフォローはあまりないようで、ハードウェア先行という日本人の特徴をそこはかとなく感じてしまう。
授業終了のチャイムが鳴ると、お掃除のオジサン数名がアルコールスプレーとウェスをもって扉の脇で待機している。学生を早々に追い出すと、あちこち拭きまくってくれる。消毒作業もかなり大変で気を使うだろう、お疲れさまである。
学生は全く「通常通り」授業に参加している気分なのだろう、今日もアタマをひっつけるように、おしゃべりに興じている。

2020年7月24日金曜日

オンライン

入構禁止措置緩和の中、授業が始まった。外出自粛中、講義科目はインターネットを利用した「オンライン授業」になった。授業を録画した「オンデマンド」方式、生中継だとテレビ会議のような「zoom」授業、ゼミなどではやりとりが多く「microsoft team」授業、などなど、さまざまな方法があって、研究室でも試行錯誤中である。教わる方も初めてなら、教える方も初めてなので、手探り状態である。当方、実技授業なので、オンラインに向く内容ではなく、幸い、なのか不幸なのかよく分からないが、今のところ「オールドスタイル」なスタンスである。
研究室で様子を聞いていると、オンライン授業もメリットあり、デメリットあり、なので、どのあたりが折り合いのつけどころなのかも、手探り状態。まだ日本未入国の留学生もいるのだが、海外ともインターネットならオンライン授業で進行することが出来る反面、受講者数が多い講義形式だと学生はマイクをオフにしてしまうので「講義を聞いているのか、別に音楽を聴いているのか分からん」という状況になるらしい。対面で学生の反応が見えにくいし把握しにくいこともあり、レポートやミニテストが多くなった授業も多く、以前よりも「むしろ大変」という声も聞く。
「今日の感染者数」がニュースのトップ、東京では感染者数増加の今日この頃、講義科目は今のところ後期も引き続きオンライン、が基本的な方針らしい。いや、大変な年度である。

2020年7月23日木曜日

再開

外出自粛期間が落ち着いた7月、勤務校は入構禁止措置を緩和し始めた。段階的に、施設を開放している。「大学生に日常生活」といったSNSの発信が話題になっているが、実技授業が主体な学校であるから、全部オンライン、には到底ならない。おかげで、本来は夏期休暇中なのだが、学生さんには対面授業をしに来てもらうことになる。
13日が授業初日だったのだが、この日が「初登校」という学生も多かった。自粛中は何をやっていたか、と言えば、オンラインの講義授業をして、ゲームして、といった手合いが多くいる中で、「引っ越ししてました」という女子がいた。実家からは電車を乗り継いで通わねばならず、この際、学校から徒歩圏内にアパート借りた、という「孟母三遷」という故事を思い出す。
授業中は「2メートル離れなさい」と言っているにもかかわらず、フェイスシールドを配布したにもかかわらず、気がつくと学生たちはアタマをつきあわせて話し始める。課題のことでも雑談でも、である。寄り集まるのは本能なのかも、と思いながら、今日も「離れなさーい」と言いながら実習である。

2020年6月16日火曜日

西北

自動車の運転中はよくラジオを聞いている。先日の放送の話題は「ドライブ用の音楽」についてである。どんなシチュエーションで、どんな音楽を聴いていて、どんなエピソードがあるか、などというオーディエンスのリクエストと投稿を読んでいた。人それぞれに、いろいろな音楽を聴いている。そんなキーワードで思い出すのはY先生だ。
2000年代初頭、乗っていたのは当時でもクラシックなベンツ、既にかなり貫禄ある雰囲気である。ある日「駅まで送ってやろう」と言われて同乗させてもらった。走りだすなり、先生はオーディオのスイッチを入れる。いきおい「みーやーこーのせーいほーく」。スピーカーから大きな音量で流れた。「おお、悪い、いつも一人だからボリュームが大きくって」、とスイッチを操作する先生。音楽は引き続き早稲田応援歌メドレーである。よく見てみたら「早稲田大学オリジナル」なカセットだった。早稲田大学出身、根っからの早稲田ファンな先生である。毎朝、毎夕、これを流して学校を往復しておられたようだ。

2020年6月15日月曜日

減少

非常事態宣言中、あるいは解除後に、商店の閉店や会社の破産、などという話題も多かった。昨日の夕刊では神保町の餃子屋の話題が載っていた。残念である。
世代的に、私たちが「お世話になった」店のオーナーや料理人は、今時はそこそこの年齢なので、代替わりするか辞めるか、という二者択一がいつかは訪れる。ある意味、「区切り」でもあったのか、閉店や廃業、という選択ではあったのだろう。
世代的に「懐かしい味」は、少なくなっていく。
一方で、これを機会に「代替わり」した店もあった。半年に1度くらい行く天ぷら屋があった。小柄な「お父さん」がワイシャツにネクタイしめて天ぷらを揚げる。お母さんと二人で切り盛りしていて、席数が少ない店だ。昼は天丼だけ、夜はおまかせコースだけ、日本酒ではなくワインを置いてあり、子どもがあまり来ないので、大人だけで落ち着いてお食事して帰ることのできる店だった。先日同居人が久方ぶりに寄ってみたら、料理人が代替わりしていたらしい。このご時世なので、予定を早めてリタイアしたという。若くて新しい料理人のもと、メニューが増え、昼からよそ行きの服装で子どもを連れた家族がテーブルにいて、大きな声でお好みを頼んでいた。料理人は、同居人の風体を見たなり「ランチメニューはやっていないよ」とつっけんどんに言ったらしい。よれよれのTシャツ、短パン、ギョサンの普段着オジサンなので、さもありなんだったのが、身なりで客あしらいをするとは何事かと、怒って帰ってきた。
こうやって、なじみの店も少なくなっていく。

2020年6月14日日曜日

絶対

やっと感染症拡大防止のための自粛がぼちぼちと緩和されてきた。「不要不急」と見なされた、あるいはそうだと自覚しているお店もぼちぼちとオープンし、人が街中に戻って来つつある。以前と違うのは、みんなマスクしている、ということだろうか。
緊急事態宣言が解除されてすぐ、件のアベノマスクもポストに投函されていた。噂通り、「ちっさい」。安倍首相が「顔が大きい」ので相対的に小さく見えるのではないかとも言われていたが、首相が使っているものと同じであれば、相対的ではなく、絶対的に小さかったわけだ。
住民基本台帳に沿って、世帯ごとに、という前提であったが、どうみても「ポスティング」である。甥っ子は大学で体育会系なのだが、合宿所にもアベノマスクがやってきたらしい。ポストにひとつ、つまり合宿所も「一世帯」と見なされたわけだ。さて、合宿所に住民票など移すのかしらん。ともあれ、合宿所に入居?している学生は100人程度だということなので、マスクどうするか、とみんなで悩んでいたらしい。

2020年5月21日木曜日

戻る

コロナ騒ぎが続いているのか、落ち着いてきたのか、よくわからない今日この頃である。
ニュースで「本日の感染者数」がトップで伝えられるようになって久しいが、数字的には減少してきて、居住している首都圏以外では「緩和」に動いているようだ。首都圏は引き続き「外出自粛」とは言われているが、道路はひところよりも交通量が増えてきている。結局、流通は、都内や首都圏を経由するルートも多いと言うことなのだろう。
同居人の仕事も、「在宅勤務」モードから「少しは出勤して仕事するようにという無言の圧力」モードに変わってきたようだ。こうやって、日常が戻ってくる、というわけなのだろう。

2020年5月20日水曜日

連絡

友人の兄上の訃報が届いた。年齢としては還暦を過ぎた頃で、早いと言えば早いのだろうが、人生40年と言われた時代もあった。彼なりに、走り急いだのかもしれない。
美術史を学んでいると、「夭折」という言葉によく出くわす。短い画家生活の中で、大作を若い頃からそれなりに出した人もいる。今さら枚挙に暇がない、などとは言わない。一方で、長命で不遇、隠遁生活を送りながら、ひたすら描き続けていた人もいる。人生の長短と、作品の点数や評価など、本人の「人生の満足感」とは、最終的にあの世で本人が考えることなのかもしれない。
「太く短く生きようよ」とは、昔見たドラマの台詞ではあったけれど、このトシになるとお祝いごとよりも、寂しい知らせも増えてくる。残された家族が感じていることは、友人としては計りしれない。ただ、付かず離れず、見守っていた様子が伺えて、だからこそ兄上も安心して旅立ったのだと思いたい。

2020年5月16日土曜日

私は「車運」がよろしくない。
就職してから自動車を使い始めたが、「ノートラブル」だった自動車にあたったことがない。機械だから、当たり外れはあるだろうし、人間の作ったモノであるから不具合もあるだろう。ただ、今日の国産車はとても出来がよろしいので、ほぼノートラブル、という話をよく聞く。こうなるとむしろブラックボックスになってしまって、いざという時に困るのではないかと、逆に不安になる。
同居人と生活するようになり、郊外に引っ越したら、自動車複数台持ちな生活になってこともあって、「トラブル」は深刻なものでなければ、「まあそんなもんよね」と考えられるようにはなった。
深刻だったのは、大雨時にワーパーが突然動かなくなった。走行前にギアが入らない。走行中にギアが落ちた。エンジンバルブがひとつ、いきなり死んだ。
その他の走行系以外の細かいトラブルは、むしろ「困ったチャン」くらいに思えてしまうようになった。パワーウインドウのガラスがいきなり落ちて窓が閉まらなくなった。運転中に足下にボルトが落ちてきた。エアコンの排気口の奥に何やら派手な色のマスキングテープがある。リモコンキーがいきなり効かなくなった。グローブボックスの蓋が突然落ちた。エアコンを入れると足下でパタパタと音がする←以来、その車は「パタパタ君」と呼んだ。計器の交換もした←総走行距離がいきなり減った! 異常警告灯が点灯して慌てて点検しても「誤動作です」と戻ってくることが多いので、警告灯にはあまりびっくりしなくなった。これはディーラーでも同じようで、代車として借りた車に「エンジン異常」の警告灯がばっちり点灯していた。ディーラーとして「整備不良の代車を出すとは何事か」とねじ込もうと思ったら、「以前からついています全然大丈夫です」と営業マンに言われてしまった。そのディーラーでは「警告灯」は「ピーターと狼」状態である。本当に警告したいとき、自動車君はどうすれば良いのか。
さて昨日のトラブルは、「ヒューエルキャップが閉まらない」。同じメーカーの違う車種で2度目、同じような構造のパーツである。そもそも設計がよろしくないと誰も考えないのだろうか。ディーラーに連絡しても、営業は驚かない。やっぱりなトラブルなのではないかと勘繰っている。

2020年5月15日金曜日

試運転

いやぼちぼち暑くなってきそうだと、サボっていた暖房器具の大掃除をして片付け、扇風機やサーキュラーなど出してホコリを払い、エアコンの試運転などしようと思ったのは、ある晴れた日だった。
当方、エアコンという空調設備があまり得意ではない。暖房に至っては、てきめんに具合が悪くなる。暖房はもっぱら石油かガスのストーブである。石油ストーブのありがたいところは、おでんなどの鍋物、焼き芋、もちろんやかんものっけて、いつでもティータイムでおやつ、夜はお燗もつけられる。まあ、子どももペットもいないから出来るゼイタクではある。
一応、一番滞在時間の長い寝室と書斎にはエアコンが設置してあるが、これは夏専用。いまどき、冷房専用機器はない。だから、半年ぶりにスイッチを入れる。寝室の方はすぐに風がやむ。書斎の方はなんだか冷えない。明らかに挙動不審だ。マニュアルを読みながら、故障対処のエラーコードなどリモコンで呼び出して、設置業者に電話した。
出入りの業者は、いわゆる「ビジネスビル空調管理」が専門である。このところのテレワークの余波か、ビジネスビルの作業が少なくなっているのかもしれない。いつもは数日経ってから様子を見に来るのだが、早速明後日朝一で行きます! と元気の良い連絡が来た。ビジネスビル管理の朝一は、朝8時、会社の始業前に一仕事、である。

2020年5月14日木曜日

1日3枚

いきなり夏である。
いやぼちぼち春夏物を出さねばと思っていたら、いきおい夏衣類が欲しいと同居人が言い出した。良いお肉を肉体にお持ちなので、暑がりである。人間暑いと湿気を出すので、この時分から自動車に同乗するときはエアコン必須である。同居人の窓の側だけが曇るからだ。冬は「メシ食ってバタンキュー」なのだが、夏は日に何度もシャワーをお使いになる。洗濯物が急激に増えてくると、ああ夏なのだ、と感じるようになる。3日に1パンツから、1日3パンツになると、我が家では夏モード、である。
しかし、今年はコロナ騒ぎである。うちでは不織布マスクが品切れになったころから布マスク、という作戦なのだが、1日3マスク、用意すべきかなあと考えている。

2020年5月13日水曜日

作戦中

東京など首都圏ではまだまだ外出自粛が継続中である。
ではあるのだが、一応5月6日が最初の区切りだったこともあって、勤務校の通信教育課程では7日から添削業務再開になった。まあ、通常通信教育課程では、4月の学期始めはあまり提出がそれほど多くはない。通学課程の方はオンライン授業だの、補習だの、夏休み返上だのといった対策に出ているが、通信教育の方はそもそも対面授業の割合が少ないので、学生の学習にはあまり影響はないのかもしれない。
添削室は人数制限があり、前日までの予約制、机を一つあけて座り、窓や戸口は開放、などそれなりな作戦。普段から黙々作業をしているので、あまり代わり映えはしない雰囲気。
昼休み、スタッフはそれぞれ自分の机で弁当を広げて、他人と顔を合わせず黙々と食べている。以前、「おひとりさま外食」で見たような風景である。今までだと大きなテーブルにスタッフが集まってわいわいとお弁当や出前を食べていたので、こちらの方が「対策作戦中」っぽい。

2020年5月10日日曜日

窓口

こういったわけで、引き続き事務書類を作成している。
提出先によって、必要な書類がその都度違うので、揃えるのに神経を使う。「出生から死亡までの戸籍謄本全部」が必要なものがいくつかある。このご時世なので、戸籍のある役所に郵送で請求を出す。不要不急、ではないにせよ、郵送で済むなら済ませようという作戦に出ることにした。
役所宛に書類を作成し、返信用封筒を入れて、定額小為替を同封する、というのが、ほぼ全国共通のアナログな請求方法である。これとて、マイナンバーカードがあり、コンビニで謄本が入手できれば、お手軽で早く確実、大規模予算をかけてシステム構築した恩恵に他ならないと思うのだが。居住地の書類ならすぐに取りに行けるので、遠隔地のめったに使用しない証明書類の取り寄せになら、マイナンバーカードに巨額の予算を投じたありがたみがあるだろう。でもそうはならないので、数十年前と同様に、アナログな作業を進めることになる。
で、書類を作成して発送しに郵便局へ向かう。ところがびっくりの長蛇の列である。通常、郵便局の「行列」と言えば、年金支給日に窓口でハンコついて現金引き出しする高齢者の行列なのだが、いわゆる「郵便」窓口が長蛇の列で、たいがいの人が定形外郵便の大きな封筒やゆうパック発送用の段ボール箱を抱えている。20分ほど行列に並んで、やっと返信封書用の切手を数枚買って、役所宛の書類を発送した。
外出自粛は、郵便や宅配便など、「配達業」の繁忙期となっているのかもしれない。

2020年5月9日土曜日

記念品

こういったわけで、役所や金融機関などと書類のやりとりをしている。
このご時世なので、窓口業務も人員を減らしているのだろうから、大変忙しいことは想像に難くない。年金保険の手続きなどは、書類を持ち込んで手続きをしなくてはならないようなので、老齢の父を伴って役所に出向く。
存外、人が来ているなあと思われるのは、やはり春先で「引っ越しシーズン」「新生活開始シーズン」でもあるからだろう。
それよりも、マイナンバーカード手続き窓口の方がぴりぴりしていた。予約オンリー、当日飛び込みはNGという貼り紙がある。結構ナーバスだなあと思っていたら、新型コロナに伴う個人10万円支給にマイナンバーカードが必要で、パスワードの再設定などの手続きが混雑していると言うことだった。うーむ、こうならないようにマイナンバーカードというモノが出来たのではなかったのか。
こちらの所要の手続きには、年金、介護保険、高齢者健康保険と、窓口を順繰りに回る(順番通りに回らないと二度手間らしい)必要があるらしい。そんなことにならないように、個人番号で管理して一元的に手続き出来る、といのが最初のセールスポイントではなかったのだろうか。
しかも、マイナンバーカードは死亡時返却の必要はない、と窓口の係に言われた。「記念にお持ちください」だそうである。なんかちがう。

2020年5月8日金曜日

ばたばた

世はコロナ騒ぎであるが、その合間に母が他界した。
認知症というのは、あまり「詳細」ではない病名である。症状の出方は、人それぞれ、らしい。母親の場合は、「考えがまとまらない」と当初の本人の弁だったが、実際に本人がどう感じているのか、意思疎通が出来ないだけなのか、それは傍目には分からない。傾眠傾向が秋頃から強くなり、日中ほぼうつらうつらと眠っているようで、その時間が次第に長くなった。次第にフェードアウトしていった、という印象ではあった。
外出自粛で非常事態宣言の出ている折りでもあり、親戚知人友人に周知して集まってもらい、という状況ではなく、自宅に神父に来てもらってお祈りしてもらって見送った。カトリックであったことも幸い、さっぱり見送った。
友人の言うことによると、「死んでからが忙しい」、のは言い得て妙である。その後の事務手続きなどが結構忙しい。日頃やり慣れていない(慣れたくはないが)作業なので、二度手間三度手間も発生し、バタバタしている。一番面食らったのは、死亡届に記入するのに「本籍地」ってどこだっけ、ということだった。はて、一昔前なら免許証に本籍地が記載されていたものだが、今時本籍地など確認する書類が手元にない。夜遅く葬儀屋と書類を書きながらバタバタした。その後も、各種手続きに戸籍謄本が必要なのだが、結婚前や出生時の戸籍謄本など、遡って必要になる。同一家族なら本籍地も一緒だが、結婚前の本籍地など、関係ないから父はさっぱり覚えていない。このご時世でもあり、郵送で書類を請求するので、電話と郵便のやりとり数度、隔靴掻痒な書類集めの最中である。

2020年5月7日木曜日

リスケ

延長である。
相変わらずお詫びはするが責任はとらない首相の、あまり前回と代わり映えしない記者会見で、何だまたかと思ってしまうところが相手の思うツボなのかも知れないが。
結局、7月半ばまで学生は入構禁止になった。皆勤まで、講義科目は流行の「オンライン授業」である。
しつこいようだが、担当しているのは実習授業なので、オンラインではあり得ない。どうやら研究室のスタッフはアクロバティックな方法で、試験期間の隙間や補習期間をかきあつめ、なんと7月半ばからの授業実施を宣告してきた。
あああ、やっぱり、である。
夏休みは暑くて授業にならないから夏休みなのではなかったのか。オリンピックは暑い時期なので非現実的だと思っていたら、授業が現実になってしまっていた。7月初旬の授業では、学生の熱中症に気を使うものだが、8月ではなおのことである。

2020年4月2日木曜日

延期

コロナである。
ほとんど震災以来の、いつもと違う日常である。
勤務校では、3月になって、新年度の学事予定が変更になった。半ば過ぎまで授業日程が決まらなかったのだが、やっと決まったのが3月下旬。4月の授業開始が繰り下げで、夏休みをはさんで、9月は予定通り、という日程だ。ほぼ2−3週間の繰り下げなので、前期末の授業終了は7月末、これは屋外実習では暑いさなかで辛いなあと思っていた。
報道で出てくる他の大学は、インターネットを使った遠隔講義などがあるようだが、実習はそうはいかない。うーむ、実習で熱中症を出してはいかんなあと思っていたら、再度授業開始延期のお知らせがやってきた。2日だから、エイプリルフールではなさそうだ。授業開始はゴールデンウィーク明け。ほぼ1ヶ月の繰り下げである。詳細な日程がまだ送られてこないのだが、夏休み皆無になりそうな気がする。暑くてオリンピックどころでは、と言っていたような気がするが、暑くて勉強どころではないので夏休みがあるのではなかったのだろうかと脳裏をよぎる。

2020年3月29日日曜日

籠城

自粛も飽きてきたんだろうなあと思う間に、外出自粛である。
先の金曜日は、同居人が用があって都心に行った。いつもより人出が多かったようで、デパ地下の食品売り場は年末のような混みようだったらしい。しかも、高級食材が目の前でぽんぽんと売れていく。籠城なので、家でお楽しみ、という作戦なのだろう。つられて、えらい高いチーズを買ってしまったらしい。おおおおお。
この混みようで、「オーバーシュート」しないのか不安である。

2020年3月28日土曜日

飽き

世はコロナ騒ぎである。
数週間前、週末の都心は、人も車も少なくて、お盆か正月かといった感じだった。うーん、やはり籠城だなあと思っていたら、郊外の公園の駐車場が長蛇の列だった。けっこう大きな車で自転車を積んだりしている。「閉鎖された空間」ではなく、野外なら良いだろうという判断なのだろう。お父さんは駐車待ち、お母さんと子どもが自転車をおろして離れていく。
幹線道路を車で移動していると、やけに地方ナンバーが多い。ガソリンスタンドもいつもより混んでいる。公共交通手段ではなく、自家用車移動が増えているような気がする。これもコロナ対策なのだろう。
先週末に都心の繁華街に行った同居人は、「全然いつも通り」と言って帰ってきた。飲み屋はそれなりに客がいて、帰りの電車もそれなりに混んでいたようだ。そろそろコロナにも飽きてきたか、という時分だろうか。

2020年3月27日金曜日

世はコロナ騒ぎである。
以前も似たような肺炎で騒いだが、その比ではなく「騒ぎ」である。
マスクがあっという間に店頭からなくなったと思った。通り道にあるドラッグストアに毎朝長蛇の列が出来ていた。大変だなーと思ったら、店から出てくる客は、マスクではなく、トイレットペーパーを抱えている。肺炎とトイレットペーパーと関係があるのかと思ったら、次の日はトイレットペーパーではなくティッシュペーパーを抱えている。ナゾだと思っていたら、その次の日はキッチンペーパーを抱えている。
同時期にスーパーから姿を消したのが、米とカップ麺だ。先週は、スーパーから納豆が軒並み品切れ又は品薄である。籠城対策ではなく、納豆が肺炎に効くという情報が流布していたのだろうか。商品棚が「空」になっているのは、東日本震災以来かもしれない。

2020年3月24日火曜日

みかんの続き

みかんがお好みだった母親だが、3月になって咀嚼力も嚥下力も落ちたようで、介護士から「缶詰にトライするか?」と連絡が来た。薄皮がどうも苦手になったらしい。ここのところ、果物缶詰が差し入れの定番になった。「千両みかん」にならずに済んだ。

2020年3月23日月曜日

みかん

母親の続きである。
食べるものや食べる量が少なくなっていく。端で見ているとちょっと切なかったりするのだが、ホームの介護士はなんとかして経口で食べさせようと、あの手この手を考えていく。
普通食の次は、「刻み食」。その次は「ほぼペースト」。その手の食品は、介護用品売り場で見かけるようになってきた。同居人の両親の時は、そういった商品はまだなかったので、ベビーフードを使ったりしていた。
母親の方は、食べる量とものにかなりムラがある。12月からは、「お食事」はお嫌いで、もっぱら「果物」がお好みになった。言語による意思疎通が難しいので、あれこれ試してみないと分からない。果物を抱えてホームに何度か通って、10月以降は「温州ミカン」がお好みになった。シーズンで良かったものの、夏になったらどうしようと内心びくびくしていた。生のミカンが店頭に並ぶのは2月半ばくらいまでで、シーズンも終わりになると種入りが増える。夏になっても「ミカン」と言われても、生のものは入手しにくい。うーむ、落語の「千両みかん」が脳裏をよぎる。

2020年3月19日木曜日

下宿屋

母親が入った施設は、「認知症対応型グループホーム」である。入居者は個室を借りて、介護士が24時間常駐して、生活の援助と介護をする、といったスタイルだ。どちらかといえば、下宿屋さんとか、合宿所みたいな雰囲気である。
同居人の母親は、最後はホスピスだったので、静かで落ち着いた雰囲気だったのだが、こちらは明るい下宿屋さん、である。訪問の歯医者さんや内科医、美容院が来て、季節ごとにイベントがある。入居者も認知症なので、暗い雰囲気はない。毎度毎度、「お住まいはお近くかしら」と聞いてくれる人、枯れたアサガオの植木鉢が水浸しになるまでじょうろで水をやっている人、ずーっと鼻歌を歌っている人、絶妙なツッコミで介護士と会話する人。症状も状態もひとそれぞれ、である。

2020年3月18日水曜日

それぞれ

介護で思い出すのは「中沢家の人々」である。言わずと知れた三代目三遊亭圓歌の、である。
圓歌の両親、亡妻の両親、後妻の両親と6人の「親」に囲まれた生活のエピソードが語られる。初めて聞いたのは、もうずいぶんと前で、「高齢社会」の入り口くらいの時期だったろうか。「年寄り」と生活していると感じる、ちょっとネガティブな思いを、ユーモアで包んでくれる感じ。
友人には、「老い方も、死に方も、ひとそれぞれ」と言われた。最後まで一緒に笑えるだろうか。

2020年3月17日火曜日

ごぶさた

しばらく文章を書くことをサボっていた。
最後に更新した7月より少し前、母親の体調が悪くなり、入院した。入院中に介護認定を受けて、秋口から施設住まいになった。
老夫婦二人暮らしだったので、老老介護は難しいだろうと考えたからだ。
手続きや引っ越しで夏はバタバタしており、9月は授業が毎年一番忙しい時期だ。10月になってやっとぼちぼち息をついて、実家と施設とを週2回ほど往来、様子を見ている。
同居人の親が具合が悪くなったのが20年弱ほど前。その頃とはまったく「介護状況」が違っていて、びっくりである。それが「進化」なのかどうかはさておいて、である。
20年ほど前は、「在宅介護」のシステムの過渡期だったのだろう。途中で制度が変わって、ヘルパーさんの仕事の分担や担当時間などが変更になったりした。あるヘルパーさんは、料理はするが買い物はしない。あるヘルパーさんは、掃除はするが料理はしない。仕事の分担が変わったり、途中で違うヘルパーさんが来たりした。その都度、呼び出されて、家の案内や家事の手順など説明する。お手伝いさん、というのを使ったことがないので、手伝ってもらう側ももどかしい。病気だったこともあって、慣れた頃にはしばらく入院、数週間後の退院時はまた違うヘルパーさんが来て、と何だか気ぜわしかったことを思い出す。