2016年2月14日日曜日

嫌い

コメントした教員は、いわゆる「アーティスト」なお仕事をしている人なので、そういう発言になったのかもしれない。私はどちらかと言えば「デザイン」な畑で教育を受けて仕事をしてきていることもあって、「好き」とか「嫌い」という物差しはなるべく使わないようにしてきたからだ。
自分が「好き」な表現であっても、クライアントに受け入れられなければ、それは「チャラ」である。一方で、自分が「嫌い」な表現であっても、クライアントの言うとおりに作業しなくてはならないこともある。仕事を請け負っている側で言えば、折衷ポイントを見つけていくことになる。
「アーティスト」を養成するのであれば、学生が「好き」な表現を追及すれば良いのかもしれない。もっとも、それが世の中に受け入れられるかどうか、という問題はある。ただ、そういう方向を目指すのであれば、先生の「好き」というコメントを学生が必要としているのかどうかは、疑問だが。
そう考えると、授業が「アーティスト養成」なのか、あるいはそうではないのか、という授業の根本が気になってくる。さて、担当科目ではアーティストをつくるための授業、というオファーがあったかしらん。

翻って現在の学生は、繊細なのか神経質なのかかまってちゃんなのか空気読みすぎなのか、こちらの気に入るような作品をつくろうとする傾向もある。「参考作品を見せてください」などと言う学生に、言うとおりに参考作品を見せようものなら、コピーと見まごうようなものをつくってくることがある。なぜこんな作品になったのかと言えば、「高評価が欲しい」。参考作品なら、高評価、だから高得点になる、というわけだ。だから先生が「これが好きでいいよねー」などと言おうものなら、そちらに走ってしまわないか、心配になる。

だから私としては、講評で「好き嫌い」は禁句にしている。

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