2016年2月11日木曜日

オーライ

担当している授業では、途中経過を授業では評価の軸の一つにするよ、と明言しているにも関わらず、ときどき「結果オーライ」な学生がいる。授業は欠席がち、回りとのコミュニケーションもよろしくはなく、途中経過の報告もなく、従って途中の指導もほとんどない。しかし、最終講評ではそこそこの作品をバリッと出す、というタイプの学生がいる。
得てして、授業で教えるスキルは既に身につけていることが多いので、学ぶことはない、と思っているのかも知れない。そういう学生も数年に1人ほどいる。何十年か前は、回りは多浪ばかりで海千山千、浪人中に学校の基礎課題もそれなりにこなしちゃったもんねという同級生もいたが、いまは違う。情報過多の時代らしく、技術的なことが先行しているケースが多い。「パリッ」とは見えるのだが、実はねえ、というのが多いのが気になっている。こういう学生ほど、上級生や社会人になってから挫折するケースをよく見てきたからだ。昔神童、と言うことがあるが、ちょうどそんな感じ。

いまから将来を心配してしまうのは杞憂ではあるが。 

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