2016年1月8日金曜日

公園

一方、同居人の墓所は名古屋である。同居人の母親が名古屋の人である。
義母の家は尾張藩の藩士だったそうだ。お役目は「台所」方面、お城に納品する食材の調達係である。同居人の食い意地が張っているのは、血筋である。
明治になってからは、武士の商法で、映画館を作ったり、豆腐屋をやっていたりしたそうだ。商売はうまくいかず、結局同居人の祖父の死去で名古屋の家はたたんだそうだ。義母の生家だったところは、今はテレビ局が建っている。
名古屋は戦争で市内を焼かれた。そのため、市街地は計画的に作り直された。作り直すにあたって、「墓地」は郊外に集団移転した。東山動物園の近く、平和公園というネーミングである。広大な丘陵地が更地にされ、墓石だけが並んでいる。壮観である。宗派ごとにエリアが分けられ、そのエリアでお寺ごとにまたエリアが分けられる。丘陵地なので、段々畑のように墓石だけが並ぶ。墓所は砂利が敷き詰められ、雑草すら生えていない。夏は照り返しがきつく、日陰になるような木もない。冬は吹きっさらしで、風よけになるような植え込みも東屋も少ない。

今はもう名古屋に親戚もいない。檀家になっているお寺も、現住職には跡取りがおらず、次の住職は全く知らない人が来るらしい。しばらくうちに、こちらは引っ越しすることになるかもしれない。 

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