2016年1月11日月曜日

業界

もちろん好きなことだから、数年は「若い」がゆえの体力と根性で乗り切ることができる。会社側としてはこうやって若い人を淘汰していくことで業績を伸ばしているという側面もある。

ファミコン世代以降の学生は「ゲーム業界志望」というのが多かった。自分が身近で楽しんだ世界なので、作り手に回りたいと思うのだろう。当時のゲームメーカーは、毎年多くの学生を新卒で雇用していた。油絵や彫刻などはもとより、一般文系や理系、デザインやプログラミングなどとは全く関係のないジャンルの学生も雇用されていた。
とあるメーカーに就職した卒業生である。家庭用ゲームだけではなく、アーケードゲームなども作っていたメーカーに就職した。最初の仕事はどの新入社員も「外回り営業」である。そこである程度の実績ができると次のステップへの権利が得られる。新しいゲームの企画である。採用されたら、市販化するための企画として採用される。営業をしながら、週に10本企画を提出、数ヶ月以内に採用されなければならない。企画が採用されれば、晴れて「制作側」である。採用されなければ、永久外回り営業である。採用されるのは、年に何本か、ということだった。作りたいと入ったのだから、作れなければ、会社にいる意味を見いだせない。採用されないことが見えてくると、いまどきの人は、意外とさっさと辞めてしまう。メーカーは翌年、新たな社員を雇用する、というサイクルである。
辞めたときには、既に「新卒」ではないので、就職したければ、中途採用してくれる企業を探すことになる。ゲーム業界では「若さが命」のようなところがあり、中途採用はそれなりの経験やキャリアがなければ難しい。外回り営業だけではキャリアにはならない。
そうやって、2カ所目は、全く異なった業種や職種で飯を食う、ということになる。

私などの世代は「喫茶店のマスター」が定番だった。田舎に帰って家業を継ぐ、という友人もいた。いまどきの人はどうかというと、数年前に卒業した知人の娘は、油絵学科卒業大手ゲーム会社就職翌年退職現在ホームヘルパー。20代半ば過ぎ、早くも人生経験豊富である。 

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