2014年5月11日日曜日

ダブル

今日のシラバスの詳細でも、各日程の授業内容を事細かに記載しているわけではない。
講義科目だったら、各日程の講義テーマやタイトルなんかがずらっと記述されていたりする。
だから、進行の概要は分かっても、実際に授業の内容の細かいところまではよく分からない、というのが正直なところである。

新しく発足したセクションでは、開設前から数年かけていろいろな授業をセッティングした。専任教員が分担して、授業概要を決めて、非常勤の先生をお願いした。初年度では、五里霧中だったのだが、本当に五里霧中だったと思ったのは、学生と話していた初夏の頃だった。
違う授業で内容がほぼ一緒、あるいは参考としてみせられる作品が同じ、というものだった。非常勤の先生が例えば「演出論」というタイトルで講義する。違う非常勤の先生が違う授業で、「ジャーナリズムと映像」というタイトルで講義する。はたまた、違う非常勤の先生の「映画史」の授業で、ドキュメンタリー映画の歴史、というタイトルの講義である。参考として上映した映画は、どちらもフラハティの「極北のナヌーク」である。60分ほどの映画なので、どちらも全編を授業内で見せたらしい。授業は90分なので、2/3は映画を見ることになったようだ。
映画自体は、お若い学生にとっては「エキサイティング」ではなかったようなので、「また見せられちゃったよー」と思ったらしい。そうでなければ、何度見ても面白い、ということになったはずだ。

授業の切り口はそれぞれ違っていたのだろう。しかし講座内容のシナリオまで提出をしてもらうことはないので、こういったケースが何度かあった。特に映像系の授業では、確固たる教育方法、というのがその頃はなかった。文学でもそうだが、「古典」とか「定番」というのがある。それは独学であってもある程度共通しているものが多い。また同じ作品でも切り口を変えると全く異なった見方になることもある。
言い訳ではないが、本当に「進行しながら考える」ことになってしまった。

0 件のコメント: