2014年4月1日火曜日

キャリア

今はもういないが、同居人の父親は、戦後一発奮起してお仕事をし、事務所を立ち上げた人であった。
私の実家はサラリーマンのご家庭だったので、自営業の人というのは、サラリーマンとはずいぶん人種が違うものだと感じ入ったことがたくさんあった。
お仕事もたくさんするけれど、遊ぶこともよくやっていたそうである。好きなもののひとつは「クルマ」で、戦後都内が舗装道路ではなかった頃から、自家用車で「ぶいぶい」していたらしい。

同居人の小学校の夏休みの宿題が残っている。昭和30年代前半である。家族旅行の写真とイラストが入った日記なのだが、自家用車で名古屋あたりまで行った記録だ。もちろん高速道路もない時代、渋滞もなく、のんびりと、追い越し車線内、ところどころ舗装なしの国道1号を走っていたらしい。

オトシを召してからも、ご自分で運転していたのだが、70を半分ほど越えた頃から、ちょっと怪しくなっていた。いわゆる「高齢者」運転なので、まあそろそろ運転もリタイアしてもらった方が、と同居人兄弟は相談していた。

「冗談じゃない」と、運転しながらお父さんはお怒りであった。
「わしゃ、50年以上も運転しているベテランだっっっっ」。

いや、だから、怖いんですってば。

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