2014年4月29日火曜日

指揮

しかし、ハキハキくんが「ディレクター」を気取り始めると、悲惨なことになる。

基本的にディレクターは「指揮をする」ものだと、ハキハキくんは思っているので、でーんと構えて、他のメンバーを自在に動かしたがるようになる。自分の理想のイメージが頭の中にあり、それを実現するために、さまざまなタスクをメンバーに課すようになる。こうなると、他のメンバーは、意見も言えなかったし、本人は全然肉体労働しないのに命令ばっかりで、私たちは奴隷状態になったし、これはいったい、何なのよ、と考え始める。授業期間内に誰かが「キレる」「反抗する」「分裂する」という路線になる。

こうなると、学生の間ではもう収拾がつかない。
作業にかかる前に、こちらは様子を見ながら、注意することはある。ミーティングの進行である程度予測がつくからだ。本当にそれでいいのか、誰も他に意見はないのか、少数意見をきちんと拾い上げているか、ということがポイントだ。しかし、ハキハキくんが議長をしていると、内容の決定と進行が早い。他のメンバーが、ぼーっとしていると、あっという間に「決定事項」になってしまう。

優秀、っぽい学生にも要注意である。 

2014年4月25日金曜日

ハキハキ

逆にテンションが上がりっぱなし、という学生がひとり混じることがある。その場合も、グループ全体のモチベーションは下がることがある。

高校時代に非常に優秀だったらしい学生がひとり混じった。ハキハキとしていて、意見ははっきりと言う、声は大きいし、話し合いをすればリーダーシップを握る。生徒会長や委員長という雰囲気である。学習分野についての知識もそのトシにしては豊富で、意欲も旺盛である。
毎年必ず、というわけではないが、こういう傾向の学生は時折いるものだ。
こういったハキハキくんが混じると、グループの他のメンバーには影響が出てくる。

ひとつのパターンは、「丸投げ」である。
ハキハキくんが、率先して物事を決めてくれるので、ミーティング時間は短く、作業効率が良い、ように見える。ほかのメンバーはあまり意見を言うこともなく「おまかせ」状態になる。
「丸投げ」後、「愚痴」というパターンもある。
ハキハキと作業目的や内容が決められた後、ハキハキくんがいないところで、「実はほんとはあれはやりたくなかったんだよねー」「あー、私もー」ということになる。もう少しテンションの高いハキハキくんだと、「ミーティング中に意見を言う雰囲気じゃないんだよねー」ということがある。こうなると、ミーティング、とは言えないのだが。
「丸投げ」後、ひたすらみんなで作業に没頭。
…しているように見えることがある。肉体労働を伴うハキハキくんだと、まあやってやろうか、という雰囲気になる。ハキハキくんが、働きまくるケースでは、他のメンバーは「お手伝い」に徹することになる。ハキハキくんにとっては「心おきなく」作業出来ているが、他のメンバーの充足度はあまりないことが多い。

2014年4月24日木曜日

グループで共同作業による実習をしていると、学生の個性が違えば、出来上がりがかなり左右されることが多い。

たいていの学生はグループ作業は苦手だ、と公言する。高校までの学生生活で、「共同作業」というのはあまりやらないらしい。苦手、ではなく「やったことがないのでやりたくない」というのが正直なところではないかと思う。

グルーピングすると、学生それぞれのモチベーションも違うので、個人で作業するようなわけにはいかない。「作業に没頭する」以外のことにも、ある程度は気を使ってもらわなくてはならない。それは、いまどきの学生にとっては「面倒くさい」ことなのだろう。
確かに、一人遅刻しがちな学生が混じったりすると、作業の進行が遅れがちになり、全員のモチベーションが下がり、どんよりとしたムードになり、作業に手を抜きがちになり、作品に満足できなくなり、作業に集中しなくなり、という悪循環にすぐ陥ってしまう。そのため「グループ作業はいや」ということになる。

こういったグループを見ていると、誰も遅刻しがちな学生に注意しない、モチベーションを上げようと声を上げない、一人でもこつこつと作業することはしない、愚痴は言うが改善しない。最後は「やっぱりメンバーが悪かった」ということを顧みるが、自分のことは反省しない、ものなのである。

2014年4月22日火曜日

傾向

現在は1年生の必修授業では、選択人数は関係ない。多少の増減はあるが、人数はほぼ一定である。受講者数による内容のぶれはない。しかし、毎年同じ学生が来るわけではない。そのトシによって、学生の「傾向」というのはかなり違う。

4月の初めに、メディアでは「今年の新入社員」タイプをよく取り上げる。今年は「自動ブレーキ型」なのだそうだ。学生の頃はもう少し、曖昧模糊とした雰囲気だったりはするが、確かに毎年傾向が違うことはよく分かる。
だから、想定内の受講人数ではあっても、トシによって進行はかなり違ってくる。

学生を目の前にして感じることは「モチベーションの違い」だろう。やけに食いついてくるような学年もあれば、全体がどんよりとしていて覇気がない学年もある。リーダーシップをとる学生が一人いるかどうかで、ずいぶんとクラスの雰囲気は変わってくるものだ。

10年以上前は、「しごいて鍛える」ことが「普通」だったが、現在は「しごいて」しまうと、「鍛えられる」前に「自滅する」タイプが多い。小さな頃からひたすら注目され、ほめられることに慣れているので、逆に「しごかれる」ことに慣れていない。講評では、ひたすらほめそやすことをしなければ、学生の授業評価は「最低」である。

難しい世の中ではある。

2014年4月21日月曜日

想定外

授業の担当講師は非常勤である。学校にいつも「いる」わけではない。授業を管理している専任教授もいる。こちらの先生は授業には参加していない。基本的には「お任せ」である。私は授業のアシスタント的な立場である。授業の内容や進行は担当の講師の指示に従って作業を進行する。

想定していた受講人数であれば、想定していた授業が進行できる。しかし、選択だと、想定外、のこともあるわけだ。想定外、のときにはどうするか。その時は、授業内容は「想定通り」に進行するしかないよねえ、という雰囲気だった。受講を希望してきた学生は、「想定していた授業」を希望してきたからだ。
結局、「想定していた授業」は、「想定外」の受講人数だったので、「想定していた作業」は出来なかった。実作業の代わりに、プランニングやシナリオライティング、という内容にシフトせざるを得なかった。

選択制の授業なら、授業の内容を柔軟に変更できる管理者、それに対応できる講師が必要だと思った。講義であれば受講人数で内容が変わる、ということはあまりないかもしれない。実習では、学生の顔を見て決める、ことから始まることも大切だろう。ただそれは、経験と応用能力が、ある程度は必要なのだろう。

2014年4月20日日曜日

選択授業

上手くいかなかった授業というのがいくつかある。もちろん学生だけの問題ではないし、教える側だけの問題でもない。いくつかの複合要因があって、最終的なフィニッシュに持っていけなかったこともある。

映像に関わる作業は、基本的には共同作業である。何人かが集まって、作業を分担する。ただし、ディレクター、というのが必ず必要で、作業についてのコントロールと、フィニッシュのイメージを管理する。
以前のセクションは商業系のグラフィックデザインの研究室だ。そこで行われていた映像系の授業は、選択制だった。選択した全員で1本の作品を制作する、という授業内容だった。
こういった方法では、選択人数が授業内容を左右する。その年までは、5−10人前後が選択していたが、ある年、2人しか選択しない年があった。バブルの絶頂期で、卒業生は完全な売り手市場である。学生はほぼ全員が「大手」に「就職」することに目が向いた。例えば、メーカーの宣伝部、広告代理店などである。映像系、例えば映画会社やテレビ局の就職口で美術学校出身だと、どちらかと言えば「舞台美術」に近い人を要求する。それは担当している授業で教える内容とは少し方向性が違う。
もちろん中には、コマーシャルフィルムをやりたい学生もいるわけだ。しかしそれも「宣伝」方面のお仕事になるので、コマーシャルをやりたければ、大手広告代理店か、制作会社を狙ったほうが良い。そこで要求されるのは「宣伝」についてのセンスである。遠回りや寄り道の嫌いな学生は「宣伝」系の授業を選択するようになる。
かくして、映像系の授業の選択学生は2名になってしまったことがあった。選択者が少ないので講義は休業、というわけにはいかない。少ない人数での授業の進行は難しく、モチベーションも上がらない。シラバス通りの前年並みの授業内容を目指したものの、前年並みの進行にはならなかった。

2014年4月18日金曜日

想定外

上手くいかなかった授業というのがいくつかある。もちろん学生だけの問題ではないし、教える側だけの問題でもない。いくつかの複合要因があって、最終的なフィニッシュに持っていけなかったこともある。

映像に関わる作業は、基本的には共同作業である。何人かが集まって、作業を分担する。ただし、ディレクター、というのが必ず必要で、作業についてのコントロールと、フィニッシュのイメージを管理する。

以前のセクションは商業系のグラフィックデザインの研究室だ。そこで行われていた映像系の授業は、選択制だった。選択した全員で1本の作品を制作する、という授業内容だった。
こういった方法では、選択人数が授業内容を左右する。その年までは、10-15人前後が選択していたが、ある年、2人しか選択者がいない年があった。

ちょうどバブルの絶頂期で、卒業生は完全な売り手市場である。学生はほぼ全員が「大手」に「就職」することに目が向いた。例えば、メーカーの宣伝部、広告代理店などである。映像系、例えば映画会社やテレビ局の就職口は、どちらかと言えば「舞台美術」に近い人を要求する。それは担当している授業で教える内容ではない。もちろんコマーシャルフィルムをやりたい学生もいるわけだ。しかしそれも「宣伝」方面のお仕事になるので、コマーシャルをやりたければ、大手広告代理店か、制作会社を狙う。そこで要求されるのは「宣伝」についてのセンスなので、学生は「宣伝」系の授業を選択するようになる。かくして、映像系の授業の選択学生は2名、という結果になった。
当然のことだが、想定されていたシラバス通りの授業の進行は難しくなるわけだ。

2014年4月16日水曜日

資格

大学で教えるには「資格」はいらない。
小学校や中学校では「教員免状」が必要だ。大学の教職課程では、「教えるためのノウハウ」を教わるわけである。
大学の方は、「ノウハウ」なしに、いきなり授業である。

教わる方は、海千山千の学生さんである。小学校から始まって予備校に行ったならそこまで、数多くの先生を見ている。大学では、教える内容についてはプロであっても、教える方法はプロではないことも多い。特に関わってきた映像系の分野は、システマチックな教育方法が確立されていなかった。映像の現場では「職業教育」だったり、「職人養成」だったりする傾向が強い。もちろん、現場で作業しながらなので、「体で覚える」わけだ。
大学での授業は、五里霧中、手探り、試行錯誤、だったりした。学生さんには申し訳なかったが、「失敗」した授業もいくつかある。もちろんそれがベースになって、今の方法論に行きついているわけだ。

2014年4月13日日曜日

玉子

玉子が先か、鶏が先か、というのがある。
諸説はあるだろうが、玉子も鶏も同じ空間に存在している。

授業のカリキュラムを組んでいると、この手のことをよく考える。
論文やレポートの作成で言えば、結論から伝えるのか、結果は最後に伝えるのか、ということである。
論文やレポートは「結論をとりあえず簡潔に伝えておく」ことがベター、というのが一般論である。プレゼンや授業進行も同じで、まず最初に結論や今日の目標を伝えて、段取りを伝えて、それから本題に入る、というのが、いまどきのスタンダードである。

授業進行で言えば、訳が分からず作業が始まるか、目標や段取りを頭に入れる方がベターなのか、というのは必ず考えることである。
どちらにもメリットがあり、デメリットがあるので、内容によって進行は変わってくる。
ある程度知識があったり、前提が分かっている人であれば、後者の方がスムーズに進行する。こちらのデメリットは、「予定調和」になりがち、ということだ。
前者の方は、受講者の作業が横道にそれがちだったり、遅くなったりしがちである。受講生によっては、授業内に作業が終わらないことがある。メリットは、受講生に先入観がなく、試行錯誤できること。教える側は、それに立ち会い、サジェストできることだろう。意外なハプニングで想定外の作品が出来ることもある。

私が担当している実技の授業で言えば、最終的な作業の完成図に持ち込むケースは後者、経験をしてもらうことに重点があれば前者、という使い分けをすることが多い。

2014年4月10日木曜日

ディスプレイ

高校で「情報」という授業があったり、普段からデジタルがジェットに触れる機会が多くなったこともあって、大学の授業でパソコンを教えていても「人生このかたこういった機械を触ったことがない」という学生はほぼ皆無になった。
コンピュータの走りの世代だと、マウスを扱うことすら大変だったりしたものだが、昨今はそういう学生は少なくなった。

子ども達が、どういったデジタル機器から触り始めるか、と言えば、今やスマホかタブレットである。電車の中で携帯ゲーム機をいじっている子ども達をよく見かけたが、最近はいいトシをした大人だって、スマホでゲームである。
だから、ここ数年顕著なのは、コンピュータのディスプレイに人差し指を突き立てたり、画面をなでまわす学生が出てきたことだろう。しばらくすると、タッチディスプレイではないことに気づくのか、マウスを持ち直したりする。

頭の中も、スマホやタブレットの構造なので、コンピュータのディレクトリや階層構造、ファイルの形式や保存場所の概念などは教えにくい。画像編集の重たいアプリケーションを起動しているのに、次から次へと他のアプリケーションを立ち上げる。

また、教えるための別のスキルが必要になってきそうだ。教える側の苦労はつきないものである。

2014年4月8日火曜日

1973

通信教育課程で担当している科目は、テキストを配布している。
レポートのお題は、テキストを丸写しするべくもないものを考えているのだが、時として参考図書や参考ではない図書やテキストの丸写しをする学生がいる。

先日来、論文のコピペが話題だが、提出させているのは手書きのレポート。写経ほどの効き目はあると踏んでいるので、電子データはお断りである。

先週やってきたレポートは、中国人の留学生の提出。慣れない外国語を一生懸命駆使している様子がよくわかるが、ところどころ文法が怪しい。残念なのは、文法的にまともな部分はテキストの丸写しだったことだ。しかし、もっと残念だったのは、「1973年に日本で初めて行われた博覧会」といった記述があったことだ。ある程度のトシのいった人なら、1973年に博覧会があったかどうかはわかるし、テキストを読んでいればそれは明治5年のことを言おうとしているのはわかるはずだ。いくらなんでも、明治5年が1973年と思う日本人はいなかろう。そこで、写し間違いかとテキストをひっくり返してみた。

1973(明治5)年、と堂々と書いてあった。あまりにも、堂々としていたので、うっかり見逃していた。剣呑剣吞。

2014年4月7日月曜日

マニュアル

プロ用の絵具は、もちろんお値段も高いものだったりする。特に違うのは、取り扱いが難しいものがある、ということだろう。特性によって、準備や道具が違ってくることもある。クルマに例えて言えば、マニュアルトランスミッションのようなもの、だと言う。
誰にでも同じ色が出せる、大きな品質のブレがない、扱いが簡単、だというのが「良い」ことであるが、「良い絵具」とは言えないこともある。

それは関わっている映像や写真系の作業でも同様だ。携帯電話やスマホで写真はもとより、動画だって撮ることが出来る。写真であれば一眼レフだったり、ビデオカメラであればハイエンドコンシューマー向けのモデルを使ったりするのは、「マニュアル」で撮影できるからである。自分が思った通りの画像として撮影するためには、どうしてもマニュアル操作で撮影しなくてはならないことがある。そのために、いろいろと勉強するわけだ。

もちろん、どのようにコントロールして、どのような仕上がりにしたいのか、という作り手側のイメージが最も大切なことは、言うまでもない。それが出来なければ、単に機械が画像を記録しているだけ、になる。

2014年4月5日土曜日

材料

都内の美術館で、教育普及活動の記録撮影とドキュメンテーションの作成、アーカイブの作業をやっている。
美術、と言えば、門外の人には「ひとつのジャンル」だが、中の人にとってはとてつもなく細分化されたジャンルがあったりする。

春の講座は、絵具とメディウムのお話である。美術学校で言えば、絵画材料とか絵画組成、とかいうジャンルになる。これはこれで、細かく見ていくとマニアックで、面白い。
講師は絵具のメーカーの開発をしていた人だが、戦後は「誰にでも使えるもの」を、最近は「プロが使えるもの」を目指すようになった、という話があった。例えば、チューブに入れた絵具は「誰でも使える」ものだが、顔料や各種の油や樹脂という「原料」に近いものは「誰にでも簡単に使える」ものではない。しかし、最近は製品として扱っているわけだ。
日本画をやる人なら、「ふつー」なのかもしれない。小学校で水彩絵具のセットを買い、油絵具のセットを買い、ポスターカラーのセットを買い、という状況だったので、同じ顔料を違うメディウムで溶けば、水彩絵具にも油絵具にもアクリル絵の具にもなることが、最初はとても新鮮な驚きだった。
小学校からこのかた、絵具は画材屋さんで買う「工業製品」だった。図工でも美術でも、描画や鑑賞はやったが、「材料」は教わらなかった。今ではそうではないのかもしれないが。

材料は歴史と化学で変わっていく。もし、小さなうちに「材料」について教わる機会があれば、もっと考え方や世界が広がっていたかもしれない。

2014年4月4日金曜日

グレード

難しいと思ったのは、同居人が「小学校教員」をしていたからでもある。
同居人が免許を取得した頃は、二種類のグレードがあったそうである。職務中に「グレードアップ」したい時には、免許グレードアップのための講習にお金を出して通ったりする。
大学で夏のスクーリング時には「更新講習」という、現役の先生のための講習があったりする。

現役で、仕事をしているベテランよりも、大学院を出たてのちょっと頼りない先生の方が「免許のグレードが上」だったりする状況を見ることがある。現場と免許、というのは、どのようにすりあわせ、制度とするのだろうか。あるところで線を引かなくてはならない、ということはあるかもしれない。ただ、時として、どうなんだろう、と思うことがある。特に大学院での学習が必須か、と思うこともある。本を読むよりも、現場で子どもと向き合う方がはるかに勉強になる。学歴が高くて、お勉強ができても、子どものあしらいが上手くなければ、先生には向かないだろう。

時代によって、資格に対する要求が変わる、というのは分かる。だから、免許とか資格というのは、ちょっと厄介なもの、ではある。

2014年4月3日木曜日

制度

自転車に乗ることが出来なくても、大型二輪免許保有者、という話をしていたら、同居人の母親は、もう一世代前の人だったので、「全部込み」だったそうである。 
トラックでもタクシーでもトラクターでも何でも、おおむね何でも来い、という免許だったそうだ。実際に運転できるかどうかというのは、また別の話ではある。 
生活に困ったら、あたしがタクシーの運転手をやってあげる、というわけである。タクシーを止めたら、70もとうに過ぎた「オカアサン」が運転手だったりしたら、逆の「乗車拒否」になりそうな気もするが。 
同居人は「軽四輪」からスタートだ。今はない資格である。 

時代によって、免許制度というのは、いろいろと変わるものである。変わったときに、それ以前に保有していた人はどうするか、というのは、微妙な問題ではあるだろうが。 免許や資格を「発行する」側のスタンスというのも、難しいことであると思う。

2014年4月2日水曜日

大型

自動車の免許制度というのは、時代によって変わってくる。
私の頃は、オートマ免許、というのはなかった。すべての教習はマニュアル車なので、ぎーぎーとギアをならしながらクルマを走らせた。隣に座っている教官は、ギアが泣くごとに、苦い顔をする。
今は、オートマの免許もあり、教習所によっては左ハンドル鵜入車教習、というのもあったりする。今は昔、というところである。

ところが母親の世代だと、もう少し「時代」である。母親は、私が生まれてから免許を取得したのだが、その頃は「二輪免許も同時に取得できた」世代である。二輪の教習なしで、普通免許を取得すれば、バイクも乗ることが出来たわけである。
自転車に乗ることが出来ない人、だったりしても、である。

2014年4月1日火曜日

キャリア

今はもういないが、同居人の父親は、戦後一発奮起してお仕事をし、事務所を立ち上げた人であった。
私の実家はサラリーマンのご家庭だったので、自営業の人というのは、サラリーマンとはずいぶん人種が違うものだと感じ入ったことがたくさんあった。
お仕事もたくさんするけれど、遊ぶこともよくやっていたそうである。好きなもののひとつは「クルマ」で、戦後都内が舗装道路ではなかった頃から、自家用車で「ぶいぶい」していたらしい。

同居人の小学校の夏休みの宿題が残っている。昭和30年代前半である。家族旅行の写真とイラストが入った日記なのだが、自家用車で名古屋あたりまで行った記録だ。もちろん高速道路もない時代、渋滞もなく、のんびりと、追い越し車線内、ところどころ舗装なしの国道1号を走っていたらしい。

オトシを召してからも、ご自分で運転していたのだが、70を半分ほど越えた頃から、ちょっと怪しくなっていた。いわゆる「高齢者」運転なので、まあそろそろ運転もリタイアしてもらった方が、と同居人兄弟は相談していた。

「冗談じゃない」と、運転しながらお父さんはお怒りであった。
「わしゃ、50年以上も運転しているベテランだっっっっ」。

いや、だから、怖いんですってば。