2017年6月7日水曜日

シベリアへの道

学校というところは、どこでもそうなのだろうが、構内に校舎が点在している。私が学生だった頃は、まだあまり建物がなくて、敷地のど真ん中にグラウンドがあった。
20年以上前から、グラウンドの上に道路が計画されていた。いつなくなるか、と言いながら数十年経ったのだが、やっとここ数年でグラウンドが撤去された。つまり道路を境に、キャンパスは南北に分断された。
数年前から南北を自由に横断するのは歩道橋か地下道か、などと教授会で話題になっていたようだが、それも結局地下道に落ち着いた。工事状況を眺めていたが、土木工事というのはすごいものである。
さて、昨年出来た南北地下道だが、いまどきの学校らしく「愛称募集」などというポスターがしばらく貼ってあった。1等賞に豪華賞品! だったかどうかは知らないが。
分断された北の方には彫塑のアトリエがある。ほぼ全ての学生が必修で学ぶ実習科目のアトリエである。かなり肉体労働な科目だったので、デザイン志望のヤワな学生には辛かった。ドロップアウトする学生が何人かいた。単位を落としてしまうと「再履修」である。つまり、その科目で何が何でも単位を修得しなくてはならない。落としたままでは卒業できないからである。カリキュラム編成上の都合で、正規の授業時間内には「再履修」することができない。それで、授業が開講されていない期間、つまり冬休みに1週間の集中履修が用意されていて、そこに参加することになる。
彫塑のアトリエは冷暖房がなかった。ふきっさらしで、下はコンクリの打ちっ放し。木彫だとアトリエは「建物」の中だが、コンクリの塊を彫塑する課題だと、屋外、上は雨よけの「テント」だけである。当然のように、再履修期間は冬である。寒いどころではなく、すごく寒い。再履修して通うのは「シベリア」と言われた。私の場合、「シベリア」に通いたくないがために、彫塑の単位取得に一生懸命だったと言ってもいいくらいだ。だから、北に向かう通路の名前は、私の世代だとそれは「シベリアへの道」としか考えられない。
最近の課題では再履修の学生が少ないのかもしれないし、冷暖房完備なアトリエになったのかもしれない。アトリエや再履修のクラスをシベリアとは言わなくなったようで、もちろん採択された通路のお名前は「ガレリア」だった。なんか、ショッピングモールのようである。

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