2016年6月8日水曜日

では映像制作にとっての基本とは何か、と言えば、「映像は嘘つきである」。

多くの学生は、カメラを向ければ「真実を捉えることができる」と思っている。映像にとっての真実とは虚像の向こうにあるものだ。だからこそ、フィクションであるドラマに感動し、史実を再現したドラマに共感する。
それゆえに、現代であっても、古代ローマや江戸時代のドラマを制作することが出来る。しかし、丁寧に、しかも周到に嘘をつかなくてはいけない。水戸黄門が印籠を出す懐からスマホの着信音が聞こえたり、シーザーが丘の上に立っているその背景に鉄筋コンクリート、カーテンウォールの高層ビルが建っていてはいけない。

学生がやろうとしているのは「一番手前にある嘘」だけで、その奥に見える「嘘」はそのままほったらかしていることが多い。赤い絵の具を塗りたくって「血のつもり」、それで倒れているだけで「死体のつもり」。でも赤いのはあからさまに絵の具の顔料の気配がするので、血にも見えない、だから、死体にも見えなくなる、ということになる。 

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