まあ、バタバタしていたのは、実家の状況もある。90を過ぎた父親が、最大6名が住んでいた築50年ほどの家屋で一人暮らし。10月に申請した要介護度は「1」、11月からは週に2日のデイサービス通いである。
思い出せば、同居人の両親の時は、介護保険が開始されるかされないか、といった時期だった。病気でもあったので、ほぼ1年ほど、制度があれこれと変わるたびに、介護の担当者やホームヘルパーの担当業務が変わり、慌ただしかった。まだまだ「介護ヘルパー」といった職業が認知され始めた頃でもあり、やってくるヘルパーさんも玉石混交だった。結局、両親が希望する対応は介護制度では難しかったので、私費でまかなっていた部分も多かった。現在はケアマネージャーに、どの程度のサービスが受けられるのか、上限を聞く状況であるようだ。20年はふた昔、でもある。
実家の場合は、母親の具合が悪くなる前、父のスケジュールは週に2回のコーラス、日曜に教会礼拝、月に数度の友達との会食、といったところだった。母親の具合が悪くなったら、サークル活動は全休。礼拝も休止。見舞いに精を出した。母親の具合も具合だから、コーラスくらいは再開したら、という話をし始めた矢先のコロナで、サークル活動は自粛で休止、ほぼ家にいるハメになった。「社交」がなくなると、時間を持てあます、というか、ぼーっとしている時間が長くなるわけで、側から見ていて不安である。そのせいもあって、週に1―2度は、片道2時間かけて、様子を見にいくようにしている。歳も歳なので、「あれはどこ」といった探し物、代名詞での会話が増えた。まあ、同居人も似たようなものだが。