2014年9月15日月曜日

マンデー

ハッピーマンデー制度、というのがある。

国民の祝日をなるべく月曜日に移して、連休を多くしよう、という政府のありがたいお達しである。
土日のお休みと併せて、三連休、というのが設置の理由として発表されていた、ような気がする。国民は、ゆとりのある生活を目指し、三連休に旅行などのレジャーをして金を使え、という政府の方針だったような。

ところが、学校はこれでは困るのである。時間割で月曜日だけが軒並み授業日数が少なくなるからだ。大学では社会人の非常勤講師も多く、月曜日に有給をとって授業に来る、という二足のワラジな先生がいたりする。ワラジ先生は火曜日から土曜日までは会社人である。
ちなみに今年で言えば、後期日程のうち、4回が「月曜祝日」である。文部省の規定の回数分の講義をこなすためには、授業終了後4回の補講が必要になる。ワラジ先生は月曜日以外はご出講できないので、後期日程の授業終了後4回やってきて授業をしなくてはならない。火曜日の授業は既に試験も提出も採点も終わっている時分である。
こんなことをしていると、卒業関連の行事や入試日程、進級判定の時期とぶつかる。どう考えても理不尽である。

そこで勤務校ではここ数年、「休日出勤」を採用している。世間的にはお休みだが、授業的には平日並み、というものである。今年は、今日の敬老の日がそれにあたっていて、休日ダイヤの電車やバスで登校である。
どう考えても、単に祝日が減っているだけで、ハッピーマンデー制度の公務員や会社員よりも、大学の祝日取得が少ない。夏休みや冬休みでチャラ、というのであれば、いっそのことカレンダーについている「祝日」は無視していただく方が、カリキュラムのスケジュールを組むのは楽なのである。祝日なしの15回と、祝日があって14回の授業でも、同じ内容にするのであれば、後者はかなり内容を詰め込まなくてはならない。単に1回お休みだもんねー、にはならないからだ。

ゆとりある生活のためのハッピーマンデーは、詰め込み授業の元になるのかもしれない。

2014年9月8日月曜日

用途

私は女子トイレの状況しか知らない。
女子トイレ、というのは、個室がいくつか並んだレイアウトになっている。扉が閉まっていると使用中、である。
しかし、昨今の状況から鑑みると、使用の用途が多様化しているようである。
個室でボッチ飯、というのが、数年前に話題になった。今は個室でスマホすりすり、である。

先日新聞を読んでいたら、家庭欄にこんな健康系の話題があった。
「若い女性に痔持ちが増えている」。
最近の「若い女性」の発症理由は、「トイレでスマホ」もそのひとつと考えられる、というのがあった。
下の方のお話なので、具体的な理由は記述しないが。

さても、依存と言うのは怖いものである。

2014年9月7日日曜日

ながら族

ガジェットひとつで、ゲームも出来るし、漫画も読める、電話もかけられるし、SNSで他人とつながることができる。
ひとつの機器でさまざまな機能を持つので、機器をたくさん持ちある必要がなくなった。まあ、便利と言えば便利、ではある。

そんなガジェットなので、学生さんは手と目玉さえあいていれば、機器を操作する。
スマホ依存、という言葉がメディアで使われるようになって、歩きスマホはやめましょう、などと言われたりしても、学内では多くの学生がスマホをスリスリしながら歩き回っている。自転車に乗りながらすりすり、昼飯を食べながらすりすり、授業中もすりすり、用もないのにすりすりである。

時々、トイレでスマホの落とし物を発見することがある。スマホだけ手に持ってトイレに行くのかな、ポーチやバッグに入れて用を足すのではないのかな、と思っていたら、トイレですわってすりすり、というのはよくあることだそうである。おかげで、トイレの個室の中にぽつねんとスマホが置き去りになっていたりする。

以前、携帯電話が学生の必携がジェットだった頃は、トイレの中でおしゃべり、という状況を目撃、ではなく拝聴してしまい、ビックリしたことがあった。扉を閉めた個室の中から、ぼそぼそと話し声がして、よーく聞いていると、どうも電話でおしゃべりしていた、という状況であった。最近は、トイレに座ってLINEというので「つながったり」するのだろうか。発信者の状況を想像したくはない、かもしれない。いやいや、トイレに座って用を足しながら、仕事の打ち合わせが出来るのは、むしろ難しいことなのかもしれないが。

2014年9月6日土曜日

内容

漫画雑誌なら体裁から、ああ漫画を読んでいるなあと、端からわかっちゃう、ものである。

スマホの場合は、すりすりしていることを見ても、実際は何をしているのかは、分かりにくい。
学術論文を読んでいるのかもしれないし、英文経済誌を読んでいるのかもしれない。
どんなところでも勉強できるようになったり、本を読めるようになるのはありがたいなあ、と思っていた。

年齢性別問わず、電車の席に座るとスマホをすりすりし始める。ときどき、何をしているのかなあ、と横目でちらちら見たりする。
もちろん立っていてもすりすりしている人はいるわけで、何の気なしに後ろから画面が見えてしまうことがある。

以前は子どもをおとなしくさせるために、電車で携帯ゲーム機を渡す親をよく見かけた。熱中していればおとなしくしているからだ。それは大人とて同じようで、妙齢のビジネスウーマンや、デパート帰りらしく高級ブランドの紙袋を下げた「お姉さん」たちも、スマホでスリスリしているのは「ゲーム」だったり、お若いOLさんはしきりにLINEでやり取りをしていたりする。

何だか、スマホという高価なガジェットの陰に隠れて、みんなが「子ども化」しているような気がする。

2014年9月5日金曜日

熱中

いまどきの学生さんの必携ガジェットはスマホである。
もちろん世間的にも大流行である。

電車に乗って席に座る。向かいの席は7人がけ、たいていは3人、多い時は5人がスマホをすりすりしている。文庫本を読んでいるのは1-2名、という感じだ。これは、既視感かと思うことがある。

大学を出て社会人になった頃、電車で通勤していたときに、席に座った。通勤時間帯なので、まわりは年齢いろいろなサラリーマンが多い。ビジネスマン、とでも言おうか、背広、ネクタイ、ビジネスバッグ、というのが定番である。画一的なファッションだよねえ、と思っていたら、向かいの席のサラリーマンがバッグから取り出して読み始めたのは漫画雑誌である。
我々の世代だと、大人向けの漫画雑誌というのがあって、B5中綴じである。しかし、並んで読んでいるサラリーマンの中には、B5無線綴じ、すなわち少年漫画雑誌の体裁のものを広げていたりする。ハードカバーや文庫本を読むのは、女性が多い印象があった。

翻って、目前の状況は、漫画雑誌がスマホになっただけ、に見えることがある。

2014年9月4日木曜日

旧仮名

年上の学生、と言えば。

通信教育課程で、レポート添削を担当している。
レポートだけの科目なので、試験や面接授業はない。純粋に「文面だけ」を何往復かさせる科目である。

担当している科目のレポートは手書きなので、文面もさまざまである。
学校の提出規定では筆記用具の指定はないようなので、万年筆でとても丁寧に書く人もいれば、柔らかい鉛筆でなぐり書きにしか見えない、という人もいる。
万年筆で丁寧に書いてくる人は、年齢層の高い人に多い。ときどき、旧仮名遣いや、異体字で書いてくる人がいたりする。

通信教育課程は、一般的な通学制の大学とは違って、入学のための「試験」がない。基本的に書類審査である。だから、通学制のクラスと違って、年齢も学歴も多種多様である。高校卒業すぐの学生も入れば、定年退職後の生涯学習、という人もいる。
人生が長くなって、定年退職後の余暇も長くなった。学習を続ける、という意識を持つことさえも「エラいなあ」と思いながら、文面に赤を入れていたりする。

2014年9月3日水曜日

同級生

担当している授業の学生がおうちでゴロゴロしていた頃、この夏も美術館には学芸員の実習生がたくさん来ていた。

資格取得の常で、「フツー」は大学生、ときどき大学院生がくる。
世間一般の常で、大学生といえば20歳ちょっと、大学院生といえば、もう少し上、という「お年頃」と考える。
今年は、定年退職後の「おじさま」が、学芸員実習で来ていた。

私の学生時代は、年齢の違う同級生はいても、数歳程度、親父ほどにトシの離れた同級生と言うのはいなかった。なぜかと言えば、もちろん入学試験があるからだ。
一方で、入学考査が書類だけ、という通信教育の課程は、トシがまちまちなことが多く、先生よりも年上、という学生さんが散見された。教室を覗いても、誰が先生なのだか分からない。

高校まではほぼ同じ年齢層で固まっている。学外で何かをやらなければ、年齢層の違う友達を作ることは難しい。
社会人になると、どうしても「商売がらみ」でしか知り合いが出来にくくなる。商売抜きの友達を作ることも難しい。

先生としては、年上の「おじさま」は、ちょっと教えるのが難しかったりする。どうしても、年下の同級生を「仕切る」傾向があるからだ。「おじさま」によっては「教えたがり」という人がいる。
まあ、それを抜いても、同級生としては、年齢層の違うクラスメートというのは、とてもありがたかったりするものだ。自分の年齢層だけではない「ものの見方」というのを知るきっかけになる。

2014年9月2日火曜日

余暇

授業では、1年生を担当している。4月5月はまだまだ高校生みたいな状態だが、夏休みを過ぎると、少し「大学生っぽく」なってくるものである。遊んだり働いたり、少し人生経験を経ると、ものの見方や、人とのつきあい方が変わってくるものだ。
もちろん、夏休み中に、遊びすぎて大学どころではなくなった、というケースもある。アルバイトが面白くてのめり込む、遊びに行ったら帰ってこられない、などいろいろあるが、長い人生、いろいろと紆余曲折した方が楽しく過ごせたりするものだ。

翻って、現在担当しているクラスでは、夏休みに何をした? と問いかけても「べつにー」というお答えが多い。旅行に行った、としても合宿で2泊3日、実家に帰って日帰りで海水浴、くらいが関の山、聞いてみると、たいていの学生がどうも「おうちでごろごろ」派である。

もったいないことである。「ごろごろできる余暇」というのを満喫しているのかもしれないが、ばりばりと作業できたり熱中できるのは、大学生のうちだけなのである。
「おうちにいました」とのたまう学生の顔を見ていると、何に疲れているのかなあ、という気がする。

2014年9月1日月曜日

不足

9月に入ると新学期、というのは、小学生の頃の思い出、だったはずだった。

中学高校は私立だったので、当然のように、長期休暇は長めだった。大学に入るともっと顕著に長めになった。夏休みは7月の終わりから9月半ばまで、ほぼ2ヶ月、アルバイトやら旅行やら、自主制作やらでみっちりスケジュールが詰まっていたものだ。

ここ数年、勤務校では夏休みお終わりが早い。今年など、本日1日から始業である。小学校とは違うので始業式などなく、いきなり授業開始、である。周りを見回すと、公立小学校並み、ほかの大学などもっとのんびりしていて、同居人の勤務校など10月から始業、というところまである。
昨年あたりは残暑が厳しくて、最高気温30度と言う予報が出る限り、夏休みにしてほしいなあ、と思っていた。今年は、猛暑日だから、というわけではなく、8月後半は雨続きで遊び足りない、というのが正直な所。でもやっぱり、夏休みがまだまだほしいなあ。