2013年5月31日金曜日

伝える


担当しているいくつかの授業では、人物や場所を取材してまとめることがベースになっている課題がある。
美術のみならず、いくつかの学問分野では「見る」ことは基本である。

テレビを見ていると、実に多くの人、ことやもの、場所が「取材」されている。
1時間近いドキュメンタリー番組もあるし、ニュースやバラエティ番組の「コーナー」としてまとめられたものもある。
ドキュメンタリー映画は、映画館で見ることは少なくなったが、質の良いものはたくさんある。

取材をしてまとめる、といった方法は、社会学の調査といったカテゴライズであれば、系統立てて教わるのだろう。しかし、こちらの授業は社会学的調査が目的ではないので、フィールドワークの概論をざっくりと教えて、あとは実地で作業することになる。
最終的には映像としてまとめていくことになるので、作業は最終的な完成作品を常に頭に描けることが前提だ。自分で「見た」ことを、映像という表現手段で伝えることになる。

「見たことのないもの」「見てはいないもの」を伝えるのは、実は難しい。しかし学生さんにとっては、「見たこと」「見たもの」を伝える方が難しいことがある。

2013年5月28日火曜日

ウケ


学校で担当している授業の一つは、映像制作基礎、といったものである。
映像という表現の特徴、メリット、デメリットを認識した上で、「伝える」ことを目標にするものだ。
数週間の授業内で、課題の一つに自由制作みたいなことをやらせている。
毎年いくつかのプロジェクトに「ウケ」を狙ったものがある。早い話、「笑いを取る」ことを目的にするものだ。

実は純粋に映像として笑いを取るのは異常に難しいものがある。
ここ数年多いのは、コスチュームプレイであったり、タレントの物まねであったり、クラス内でしか通じないナンセンスなギャグであったりする。
彼らの人生で「ウケる」とは、テレビのバラエティーのコントのようなものが多く、一緒に講評をやっている教授(たぶん私より一世代ほど上くらい)には、やはり「???」というものがある。
「ゲバゲバ90分」とか「モンティ・パイソン」とか見たことあるかなあ、というのが教授との話題だったりする。

見返してみると、80年代までのいわゆるスラップスティックな民放の「お笑い」番組は、モンティ・パイソンをベースにしている部分がよくある。しゃべくりだけではなく、アクションや映像の言語的な部分をよく利用している。
現在学生が持ち込むプランは、「スタンダップコメディ」や、テレビで見る漫才やコントに近いものがある。映像としてではなく、結局「しゃべり」や「インパクト」で持っていこう、という作戦である。
「しゃべり」で笑いを取る場合に難しいのは、世代間や民族、文化の間の溝を埋めることだ。学生は大笑いしているが、教授と私、留学生には笑っている理由が分からない。解説してもらうと、インターネットで話題の「ネタ」だったり、テレビ番組の茶かしだったり、流行のゲームやアニメのパクリだったりする、大笑いをとった学生は自信満々である。

まあ、コアなターゲットにでも「ウケる」ことはいいことである。ただ、誰にでも理解できる、言語が通じなくても笑える、ということが、映像による表現の特質だったりする。次のステップは、コアではなく、満遍なく誰にでも「ウケる」ことにしていただきたい。

2013年5月25日土曜日

具現化


映像を志す学生さんの多くは、自分が関わったことのない表現分野である。いわば初挑戦、というタイプが多い。こういった学生さんは、たいていそれまで自分が獲得してきた表現手段ではできなかったことをしたいと思っているようである。

こういった場合、学生の頭の中には言葉で描かれたイメージがある。
「真っ白い空間に、清楚な少女がぽつんと立っていた」。

写真だろうがビデオだろうが、映像にするためには、具体的な被写体が必要である。撮影をやったことのある人なら、頭の半分で考える。
何メートル四方で、高さが何メートルの空間が必要で、しかもRのついたホリゾントつきのスタジオでないと、ロングサイズの絵は撮れない。白くするためには照明が必要だから、どのくらいの電球が必要で、それがいくつ、だから何キロワットが必要になるのか。清楚な少女、というからには、15-6歳から下だろうか、細身か、ぽっちゃりか、何を着せるか。立っていた、だから、時間的な経過をどう見せようか。とすると、今は立っていないということなのか。ううう。
という具合である。

学生さんは「思った」ら、そのイメージがカメラの前に出現すると思っていたりするようである。そうでなければ、撮られた絵は、教室内で、薄汚れた「元は」白い壁を背に、同級生が普段着で立っていたりするのである。イメージと事実の乖離に、こちらは愕然とし、学生はなんだかな、という顔をするのである。

2013年5月17日金曜日

おまかせ


授業開始後、30分くらい学生さんだけにして、その間にグループを組んでおいてね、という作戦をとっていた。仲良しするためのグループではないので、作業することを念頭に置いてグループ決めてね、と最初に釘を刺しておく。

10年ほど前は、何となく誰かが議長になってグループの組み方を決めていた。話し合いである。
いろいろな方法があるが、先にリーダーを決めてメンバーを取り合ったりトレードしたり、仲良しをあらかじめ分けておいたり、それまでの授業の成果を見ながら得意分野がかぶらないようにしたりする。

じゃんけんとかくじ引きで決めるようになったのは、7-8年ほど前だ。20人ほどで「話し合い」が成立しなくなってきたからだ。最初に誰かが手を挙げて、「あみだくじしまーす。反対の人はいますかー。いませんねー。ではあみだくじを黒板に書きまーす」で終わりである。5分もあれば終了である。
ここ数年は話し合いもなく、先生が決めてください、という「他人任せ」クラスもあった。

話し合いができない、という状況はいかがなものか、とふと不安になることがある。

2013年5月16日木曜日

仲良し


グループ作業の進行がまずくなったときに、先生に苦情を言う、あるいは先生に解決してもらう、という方法は、社会に出たら「なし」である。
ここはこの際、予行演習もかねて、自分たちで責任を持ってチームを組む、という作戦をやってみた。
グループの人数、あるいはクラスを何グループに分けるか、だけを指示して、あとは自分たちで30分ほどで決めてもらう、という作戦である。

こういった場合、最初の頃は何となく「仲良しグループ」で固まることが多い。普段からよく話す友達だと作業がしやすいと思うのだろう。
ところがこれはかなり大きな「落とし穴」である。
「作業のチームワーク」と「友情」は違うものだ。仲良く作業をしていても、作業のクオリティが上がる、とは限らないのである。結局「なあなあ」になるか、予定調和で「まあこんなもんか」になるのである。4人集めて、3人前くらいの仕事にしかならない。
4人で5人前、6人前の仕事になるのは、あまり知らない学生同士が組む時の方が多い。仲良しでないだけに、けんか覚悟で口論したり、仕事を情け容赦なく割り振ったりできるからである。

こういうことがしばらく続いたので、グループを組むときには「仲良しグループ」は要注意だよー、と一言忠告してから組んでもらうようになった。

2013年5月13日月曜日

苦情


2年生の授業は20人程度なので、4人のグループを任意につくらせている。

最初の授業で「グループを組みます」と宣言。30分でグループを組みなさい、といって学生にお任せして、私は退室、30分後に戻ってきたらグループになっている、はずである。
任意に作らせているのは、自分たちで作ったグループなので、最後まで仕事をする、という自覚を持ってもらうためだ。

私の方で名簿順にグルーピングをしている1年生の授業では、ときどきトラブルがある。誰かが遅刻の常習犯だったり、物忘れが激しい、義務を果たさない、といったものだ。
こういったグループ分けだと、チームとしての運営は途中で放り投げられがちである。「作業が進まない」→「こいつが遅刻するから悪い」→「こいつがいなければうまくいく」→「こいつと組みたくはなかった」→「組んだのはなぜか」→「組まされた」→「先生が決めた」→「先生が悪い」という論法になり、「先生、あの人に注意してください」と苦情を言い、注意をさせたがる、または「先生、グループを変えてください」と言いにくる。
言いにくる前に、解決の努力はしたのか、と聞けば、「何度言ってもきかないんです」というのが多い。

こういうことの繰り返しで、グループ作業が嫌になるパターンが多いようである。

2013年5月11日土曜日

比率


初対面の学生しかいない1年生の4月初日の授業などでは、まあ有無を言わさず名簿順、ということがある。教えるこちらも相手は分からないからである。

10年近く前から、名簿順だと「まずい」かも、と思うようになった。
男女比である。
4人チームで名簿順に組んでいくと、男子ばっかり、女子ばっかり、というチームになることがあった。勤務校では女子の比率が圧倒的に多い。今や男子は3割以下である。少ない方は少ないなりに「かたまる」傾向がある。男子2女子2のチームになると途中で男女に割れてしまう、男子3のチームになると女子は「女王様」状態になる、男子4になるとたがが外れる、というケースが出てきた。美術学校だけに草食系男子が多く、リーダーシップをとるのは女子だったりする。いやいや女子の中でもタメはってもらわなきゃ、というので、男女比を考えてグループを編成するようになった。

ちょっと過保護だよねえと思いながらグループを組むのが、授業前の準備である。

2013年5月6日月曜日

グループ


通学課程の授業では、実習作業を教えている。実習は基本的にグループ作業である。

現在の高校までの授業では、ほとんど「グループ制作」というものがない。あってもかなりレアなケースである。知識詰め込み系の授業や、受験に関係のある教科は、基本的に「個人プレー」である。他人よりもよい評価を得るため、だからだ。
しかし、考えてみれば、社会に出て仕事をするときに、個人プレーで最初から最後まで遂行することはほとんどない。どこかで、いつかは、必ず、他人とかかわり合うことになる。

まずは、グループを組ませるまでが、大変である。
無難なのは名簿順、とか、出席番号で割り振る、とかいう方法である。ランダムに組ませる場合、学生に有無を言わせない条件であれば、こういった方法になることが多い。
問題になるのは、作業するプロジェクトの進行方法である。

最終的には「作品を作る」ことが目的である。しかし、グループだと初日から波瀾万丈になってしまうのである。

2013年5月4日土曜日

禁止


まあそう言えば、である。

勤務校も学内飲酒禁止、という規則が出来たというのを聞いたことがある。
急性アルコール中毒、酔っぱらいの怪我など、いくつか重なった年があり、学校側が通達を出した。新歓も酒が必要なら特殊な会場、日時設定でなければ成立しなくなった、ということである。

しばらく前に学生の飲み会に参加したときに感じたのは、「酒の飲み方を知らないのではないか」ということだった。飲む機会が少ない、飲む相手が少ない、飲み方を教わる機会が少ない、ということなのだろう。アルコールの順番、飲み合わせ、食べるものの組み合わせなどが、フリーオーダーだと「場当たり的」だ。自分だけ盛り上がっていて、場を盛り上げる努力はしない。最初に酔っぱらったやつがいきなり「無礼講」に突入、あとはなし崩しだったりした。酔っぱらいの介抱が出来ずに、なぜか私などのような「年長者」が酔っぱらった学生を介抱することもあった。

まあ、学校で教えることでもないだろうが、いろいろ失敗をして覚えることもたくさんある。致命的な失敗を恐れて、機会を奪うことが果たしていいのだろうか、と考えることもある。
今の学生さんは、かくも安全策に囲まれて培養されているのである。

2013年5月2日木曜日

お誘い


同居人は4月のカレンダー通り授業開始。講座を担当している研究室から「新人歓迎コンパがあるのでいらっしゃい」とお誘いがかかった。いそいそと出かけていった。

彼にとって「新人歓迎コンパ」は、レアなイベントである。たいてい非常勤では関係ないし、女子大学ではどちらかと言えば「お茶会」である。今回は文科系共学校なので、どんなもんかと期待いっぱいだった。

私の知っている「新人歓迎コンパ」は、美術学校のそれ、しかも一昔前なので男子学生も多く、よく言えば「ワイルド」、悪く言えば「無謀」、はっきり言えば「無茶」である。先生がいないのが普通だが、先生がいても無礼講、大騒ぎである。だから同居人には、「学生の邪魔にならないように、飲み過ぎないように」と注意した。

帰ってきた同居人に様子を聞いたら「拍子抜け」だったそうである。
女子学生手作りのカレーライスに、チャイという「カレーパーティー」だったそうで、ちょっと想像していたコンパとは違ったらしい。今時の学生さんは、そんなもんかねえと言いながら、帰ってきた。