美術館で開催される講座の映像記録をしている。
記録しているのは、美術館、なので、いわゆる造形的な講座やセミナー、といったものである。いまどきのコトバで言えば「ワークショップ」というものである。コトバの定義については、この際置いておくが。
さて、コースのいくつかは、子ども向けのものだ。通常行うものだと、小学生から上が募集対象である。
25年、考えてみれば四半世紀も関わってきたのだが、その間の「小学生」は、いつの間にか大人になっていたり、お母さんになったりした。担当している学芸員と、時折、感動している。
手伝い始めた最初の頃、お母さんたちは時々コンパクトカメラで子どもたちのスナップを撮影していた。数年経つと、ビデオカメラを持ち込む人が出てきて、その後コンパクトデジカメ、デジタル一眼、デジタルビデオカメラ、携帯電話、いまやスマホやタブレットである。毎度毎度、子どもを撮影する、というモチベーションには、びっくりさせられる。ともあれ、それが日本のカメラやフィルムの「写真産業」、「映像産業」を支えるものではあるのだが。
ともあれ、カメラと称する機器を持ち込んでいる親は、「撮るぞー」という気合いが、それなりにあった。学芸会や運動会の撮影風景は以前にも何度か書いたことがある。最近はスマホなので、気合いがない。良い意味でさりげない、悪い意味で習い性である。「とりあえず撮っとくか」モードである。
友人のスマホもそうなのだが、やたら写真を撮る。スマホのメモリーは写真データでいっぱいである。ではそれを良く見直すか、と言えばそんなこともなく、ダカラと言って見直さないものを整理するか、と言えばそんなこともない。あのときの写真は−、と見せてくれようとするときには、あれこれと探し始めてしばらーく、いやもっとしばらーく、待たされる。「いつか見るかもしれないからメモリーから削除しない」モードである。
ああだから、アプリケーション上で「顔認識」やら「イベント認識」なんかの機能がついてくるわけである。
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