私にとっての家庭生活で、とんと縁がないものに「出前」がある。個人的な家庭の事情とか嗜好などがあるのだろうが、実家がほぼ外食のない家だったので、必然的に出前もなく、当然私も出前に慣れずに育った。出前という制度に慣れたのは、勤務先でよく利用していたからだ。勤務先では、出勤する先生に朝一番、出前の注文をとる。集計して、あちこちに注文する。非常勤の場合は料金を徴収。専任の先生は「つけ」にして、月末にまとめて徴収。というルールだった。出前先は、蕎麦屋、定食屋、中華屋などいくつかあって、定休日が違う。店ごとに、注文の〆の時間が違うので、それに併せて注文を電話する。昼飯で、午後の授業のテンションが変わる先生もいるし、昼飯時のおしゃべりでそれなりに息抜きしてもらうので、まあそれなりに、地味だが一応お仕事、ではある。
その後、ヘルシー弁当屋とか、カレー屋とか、FAXで注文とか、1週間まとめて注文とか、インターネットで注文とか、いろいろなお店や制度が出てくるようになった。変わらないのは、昼飯を持って来てもらう、ということである。
先日も研究室でお昼の注文をスタッフがとっていた。たった1人前の注文で出前を取るのは心苦しいので、たいていは2−3人前になるように配慮する。「あのー、今日はここの店で注文してもらえますか」。たいていの人は、あまりわがままは言わない。
ところが先日、11時頃を過ぎて出前を頼んだ蕎麦屋から電話が入った。料理が届けられないそうである。出前の店員がいなくて、出前が捌ききれないそうで、ここ数日はかなり出前をセーブしていたらしい。店主は電話先で「人手不足で」と嘆いていたそうだ。
世間では人手不足と言われている。さもありなん。
2018年1月29日月曜日
2018年1月28日日曜日
天気
住んでいる首都圏では、先週は雪が降った。大雪である。
数年前の降雪で懲りたので、雪かきは早めにやってしまうことにしている。住んでいる家の周囲は、とにかく雪をどけておかないと、車が入りにくい。同居人が出張中でおらず、翌朝は一人で雪かきを始めた。
どの家の住人もすべからく、自分の家の周囲をかけばよいのだろうが、ここらへんは高齢の居住者が多い。自宅の向かいは、表札はかかっているが住人はいない。結局、向かいや隣の家など2−3軒分のの周囲もかくことになる。高齢の一人暮らしの家の玄関前など、何軒かの隣人が手伝いながら雪かきをする。
結局雪をかくのは、主婦かリタイアしているオジサンである。一番馬力のあるオトーサンくらいの年齢だと、這ってでも会社に出かけなくてはならないらしく、朝早くに雪を踏みしめて出かけていった。
翌日はともかく、その後も例年になく寒い日が続いて、残った雪はカチンコチンになっている。今一番忙しいのは水道屋さんだそうで、凍ったー破裂したーと呼び出されているそうである。
数年前の降雪で懲りたので、雪かきは早めにやってしまうことにしている。住んでいる家の周囲は、とにかく雪をどけておかないと、車が入りにくい。同居人が出張中でおらず、翌朝は一人で雪かきを始めた。
どの家の住人もすべからく、自分の家の周囲をかけばよいのだろうが、ここらへんは高齢の居住者が多い。自宅の向かいは、表札はかかっているが住人はいない。結局、向かいや隣の家など2−3軒分のの周囲もかくことになる。高齢の一人暮らしの家の玄関前など、何軒かの隣人が手伝いながら雪かきをする。
結局雪をかくのは、主婦かリタイアしているオジサンである。一番馬力のあるオトーサンくらいの年齢だと、這ってでも会社に出かけなくてはならないらしく、朝早くに雪を踏みしめて出かけていった。
翌日はともかく、その後も例年になく寒い日が続いて、残った雪はカチンコチンになっている。今一番忙しいのは水道屋さんだそうで、凍ったー破裂したーと呼び出されているそうである。
2018年1月22日月曜日
抑止力
昨年、高速道路での迷惑運転がらみの事故の後、飛ぶように売れ始めたのは「ドライブレコーダー」だそうである。おりしも、デジタルカメラが小型化したり、ストレージが小さくなったり、スマホに無線でデータを飛ばせるようになったり、という今日の技術をフルに生かせるガジェットではある。こういった機器は、日進月歩でよくなるものだ。よくなる、方に行かない場合は、安くなってくる。かれこれ30年ほどビデオカメラを触っている側から言えば、こんなちっこいカメラで、よくこの画質で撮影できるなあと、感心する。
ずいぶん前から同様の機器はあったのだが、ここしばらくで普及に弾みがついた、という印象がある。ディーラーに行くと、新車のオプションで組み込めるようになったり、新型機種のデモ機が置いてあったりする。
普段自動車で走っていても、あおられることがある。以前は、あおられてコワいので、逃げられるほどの車に乗る、というのが私的なルールだった。今は逃げるほどのこともなくなったが、それでも不愉快ではある。あおってオカマ掘られたら、と思うと、ドライブレコーダーも有りかなあ、と思うようになった。目を剥くほど高額なものではなくなった、ということでもある。
いいところ、2−3万円も出せば、それなりの機器が買えるのだが、ディーラーできれいに工事してもらうとその工賃が約2−3万円かかるらしい。この手の機器は、配線工事がそれなりに必要で、それを隠すのにあちこち内装を外して戻す作業が発生する。きれいに仕上げるためにはそれなりの費用がかかる。
最初はバスが多かったが、最近は普通の乗用車でも「ドライブレコーダーで録画中」というステッカーをよく見るようになった。実際に機器を設置しているか、よそからでは分からないが、抑止力にはなるのだろうか。
ずいぶん前から同様の機器はあったのだが、ここしばらくで普及に弾みがついた、という印象がある。ディーラーに行くと、新車のオプションで組み込めるようになったり、新型機種のデモ機が置いてあったりする。
普段自動車で走っていても、あおられることがある。以前は、あおられてコワいので、逃げられるほどの車に乗る、というのが私的なルールだった。今は逃げるほどのこともなくなったが、それでも不愉快ではある。あおってオカマ掘られたら、と思うと、ドライブレコーダーも有りかなあ、と思うようになった。目を剥くほど高額なものではなくなった、ということでもある。
いいところ、2−3万円も出せば、それなりの機器が買えるのだが、ディーラーできれいに工事してもらうとその工賃が約2−3万円かかるらしい。この手の機器は、配線工事がそれなりに必要で、それを隠すのにあちこち内装を外して戻す作業が発生する。きれいに仕上げるためにはそれなりの費用がかかる。
最初はバスが多かったが、最近は普通の乗用車でも「ドライブレコーダーで録画中」というステッカーをよく見るようになった。実際に機器を設置しているか、よそからでは分からないが、抑止力にはなるのだろうか。
2018年1月18日木曜日
軽量
同居人が自転車を買おうと画策している。
画策、というのはたいてい、布団の中でタブレットでECサイトを眺めている、ことである。
乗り物好きなのか、飽き性なのかよくわからないが、自転車もいろいろととっかえひっかえしている。
電動アシスト自転車、というものが発売された頃、坂道が多い街に住んでいたこともあって勇んで買った。20年ほど前のことだ。なかなか面白い乗り物で、走り始めに後ろから誰かが押してくれているような感じがする。結構楽しく、あちこちに出かけていた。
悲しいのは、電池、と言う存在である。当時のことなのでニッケル電池、もちろん重たくて高価である。残量がLEDのインジケータランプで表示されるのだが、これがどれほど「もつ」のかは、経験値でしかわからない。いや経験値でもよくわからない。もちろん、経年劣化もあるし、疲労もある。アシストやライトで電力を食うわけだから、どんな道でどれほど使ったのかも分からない。そのくせ、充電には時間がかかる。最悪なのは、出先で電池切れになったときだ。必要以上に重たい自転車に変身してしまう。坂道をのぼるのに、「快適」どころではなく、「重労働」である。今は、もっと軽くて性能の良い電池が使われているのだろうが。
そんなわけで、引っ越しを機に自転車を買い換えた。いわゆるクロスバイクという種類だ。その後、自動車に積んで先方で乗るというので、折りたたみ自転車に買い換え、タイヤ系が小さいので乗りにくいと、折りたたみ自転車2号に買い換え。再び、坂道が辛いと、電動自転車2号に買い換え。こちらはバッテリーが小さいのだが、やはり持ちが悪くて、帰宅時にバッテリーが持たない。再び折りたたみ自転車3号に買い換え。先週は、やはり健康のためには、もっと走るのが欲しいとクロスバイクに買い換え。今回は、重量9キロほど。最初の電動自転車は20キロほどあったのだが、自重も軽いと快適に走れるそうである。ここ数日は「自転車は軽いのに限る」が口癖だ。それよりも、乗る人間が標準体重にダイエットした方がもっと効果的だと思うのだが。
さりとて、自転車遍歴も激しい同居人である。
画策、というのはたいてい、布団の中でタブレットでECサイトを眺めている、ことである。
乗り物好きなのか、飽き性なのかよくわからないが、自転車もいろいろととっかえひっかえしている。
電動アシスト自転車、というものが発売された頃、坂道が多い街に住んでいたこともあって勇んで買った。20年ほど前のことだ。なかなか面白い乗り物で、走り始めに後ろから誰かが押してくれているような感じがする。結構楽しく、あちこちに出かけていた。
悲しいのは、電池、と言う存在である。当時のことなのでニッケル電池、もちろん重たくて高価である。残量がLEDのインジケータランプで表示されるのだが、これがどれほど「もつ」のかは、経験値でしかわからない。いや経験値でもよくわからない。もちろん、経年劣化もあるし、疲労もある。アシストやライトで電力を食うわけだから、どんな道でどれほど使ったのかも分からない。そのくせ、充電には時間がかかる。最悪なのは、出先で電池切れになったときだ。必要以上に重たい自転車に変身してしまう。坂道をのぼるのに、「快適」どころではなく、「重労働」である。今は、もっと軽くて性能の良い電池が使われているのだろうが。
そんなわけで、引っ越しを機に自転車を買い換えた。いわゆるクロスバイクという種類だ。その後、自動車に積んで先方で乗るというので、折りたたみ自転車に買い換え、タイヤ系が小さいので乗りにくいと、折りたたみ自転車2号に買い換え。再び、坂道が辛いと、電動自転車2号に買い換え。こちらはバッテリーが小さいのだが、やはり持ちが悪くて、帰宅時にバッテリーが持たない。再び折りたたみ自転車3号に買い換え。先週は、やはり健康のためには、もっと走るのが欲しいとクロスバイクに買い換え。今回は、重量9キロほど。最初の電動自転車は20キロほどあったのだが、自重も軽いと快適に走れるそうである。ここ数日は「自転車は軽いのに限る」が口癖だ。それよりも、乗る人間が標準体重にダイエットした方がもっと効果的だと思うのだが。
さりとて、自転車遍歴も激しい同居人である。
2018年1月17日水曜日
制度
しばらく前のニュースで、夫婦別姓についての訴訟を取り上げていた。
数年前にも、「別姓」問題で訴訟があり、なかなか懲りない国だなあと思ってしまった。
男性側が不利益を被ることがあまりないし、私の母親のように家事手伝いからサラリーマン家庭の専業主婦になったような人は「不都合」を感じることも少なかっただろう。母親が結婚してから既に半世紀以上、世間様は動いているのに、制度は動かないものである。
私も旧姓で仕事をしているクチなので、姓を変えるというのはいろいろと面倒だった。公的な書類はすべて変更しなくてはならない。役所や銀行というのは日曜日は営業していないので、平日何回か休みを取って役所の窓口で書類を書いたり申請したりする。名前変えました、という書類を一式揃えて、勤務先にも申請しなくてはならない。今と違って、アナログな時代である。インターネットで一発、では済まない。書式通りに書類をつくって、窓口に申請し、別の日に受け取りに行く。あれやこれやで、時間的なロスも多い。若かったので財産もなく、それくらいで済んでいたのだろうが、登記を変えなくてはならなければ、書類ごとに「変更」のための費用がかかったはずだ。
けっこう面倒だったので、これが結婚の「代償」かと思った。相手の方は、何も変更するものはない。勤務先に口頭で届けて、健康保険証を書き換えてもらうくらいだ。不公平である。全然、「平等」ではない。
同居人と一緒になるとき、あちらはバツイチコブつき。同居人は三人兄弟、お母さんが「跡取り娘」だったし、同居人はフルタイムの教員だったので、男性が名字を変えるなど全く発想がなく、まあしょうがないかなあと私が変えることになった。役所に行くために休みをとるたびに後悔した。
仕事の方は、旧姓で引き続き作業させてもらっている。フリーで仕事もしていたし、名字としてカブる人があまりいなかったし、名字を変えたから仕事を変えるわけではないからだ。その前に、銀行口座は本人の戸籍名でしか登録できなくなったので、仕事をしている名簿上のお名前と、経理課で使ってもらうお名前と、今も2本立てでやってもらっている。めんどくさくて申し訳ない。
この期に及んで面倒なのは、ずーっと昔に使っていた銀行口座の解約に手間取ったことだ。3−40年ほど前につくった口座なのだが、ほぼ動かしていないので、解約しようとしたら、本人確認が出来ない、と言われた。旧姓で確認できるモノはと言えば、昔のパスポートくらいしかない。
現在動かしている口座に、お仕事で報酬を振り込んでもらうとき、名義が「お仕事用」の名前ではないので、問い合わせが来たり、振込ミスがあったりする。これも面倒である。全然、「平等」ではない、けどなあ。
数年前にも、「別姓」問題で訴訟があり、なかなか懲りない国だなあと思ってしまった。
男性側が不利益を被ることがあまりないし、私の母親のように家事手伝いからサラリーマン家庭の専業主婦になったような人は「不都合」を感じることも少なかっただろう。母親が結婚してから既に半世紀以上、世間様は動いているのに、制度は動かないものである。
私も旧姓で仕事をしているクチなので、姓を変えるというのはいろいろと面倒だった。公的な書類はすべて変更しなくてはならない。役所や銀行というのは日曜日は営業していないので、平日何回か休みを取って役所の窓口で書類を書いたり申請したりする。名前変えました、という書類を一式揃えて、勤務先にも申請しなくてはならない。今と違って、アナログな時代である。インターネットで一発、では済まない。書式通りに書類をつくって、窓口に申請し、別の日に受け取りに行く。あれやこれやで、時間的なロスも多い。若かったので財産もなく、それくらいで済んでいたのだろうが、登記を変えなくてはならなければ、書類ごとに「変更」のための費用がかかったはずだ。
けっこう面倒だったので、これが結婚の「代償」かと思った。相手の方は、何も変更するものはない。勤務先に口頭で届けて、健康保険証を書き換えてもらうくらいだ。不公平である。全然、「平等」ではない。
同居人と一緒になるとき、あちらはバツイチコブつき。同居人は三人兄弟、お母さんが「跡取り娘」だったし、同居人はフルタイムの教員だったので、男性が名字を変えるなど全く発想がなく、まあしょうがないかなあと私が変えることになった。役所に行くために休みをとるたびに後悔した。
仕事の方は、旧姓で引き続き作業させてもらっている。フリーで仕事もしていたし、名字としてカブる人があまりいなかったし、名字を変えたから仕事を変えるわけではないからだ。その前に、銀行口座は本人の戸籍名でしか登録できなくなったので、仕事をしている名簿上のお名前と、経理課で使ってもらうお名前と、今も2本立てでやってもらっている。めんどくさくて申し訳ない。
この期に及んで面倒なのは、ずーっと昔に使っていた銀行口座の解約に手間取ったことだ。3−40年ほど前につくった口座なのだが、ほぼ動かしていないので、解約しようとしたら、本人確認が出来ない、と言われた。旧姓で確認できるモノはと言えば、昔のパスポートくらいしかない。
現在動かしている口座に、お仕事で報酬を振り込んでもらうとき、名義が「お仕事用」の名前ではないので、問い合わせが来たり、振込ミスがあったりする。これも面倒である。全然、「平等」ではない、けどなあ。
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