2016年10月12日水曜日

遅刻

担当している授業は、実習で、学生さんのグループ制作である。
朝9時に集合、早速グループに分かれて作業開始、なのだが、たいてい遅刻してくる学生がいる。そういう学生はたいてい、教室に入って、私のところへ直行して、こう言う。
「遅刻してすみません」。

私にではなく、所属しているグループのメンバーにまず言うべきだろう。その学生が15分遅刻したとする。遅刻した学生は15分授業に出られない「損」をしている。グループは4名、残りの3名は遅刻者を待つために15分過ごす。他者の15分、3名分、45分の無駄である。自分の遅刻は、他者の時間の無駄、なのである。
そうして、遅刻しがちな学生は、何度か遅刻をすると、メンバーからの信頼度が落ちていく。最初は「早く来てよ」だったのが、数回後には「どうせ来ない」になる。そのうち、それをカバーするほかのメンバーが「不公平感」を抱く。いつも遅刻しているあの人と、提出する作品は共同制作で「同じ」、つまり同じ評価になるのではないか。

いまどきの学生さんは、自分にも甘くて他者にも甘い、良い意味で言えば「優しい」のか、あまり不平を漏らすことはない。10年ほど前だと、明らかに不公平だ、と叫ぶ学生がいた。私は朝5時に起きて始発に乗って学校に来る。あの人の遅刻の理由は「単なる寝坊」である。しかも下宿で学校から徒歩10分に住んでいる。許せない、というわけだ。
「すみません」、と学生が談判に来る。
「遅刻しているあの人と、授業の評価が同じであることは理解できない。できれば、遅刻者の評価をひとつ下げて欲しい」。

自分に厳しいと、他者にも厳しい。良い意味で言えば「フェア」ではある。 

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