2015年8月29日土曜日

二次

結局、windowsにプリインストールしているofficeというソフトウェアで、ある程度の「見え」まではできる、ようになっている。ただし、そもそものソフトウェアの基本的なコンセプトとは、方向性の違った作業をしていることになるわけだ。「エクセル方眼紙」にしても、プリントアウトして、プリントされた紙を使うのであればそれで済む。しかし二次利用はできない。他のソフトウェアにデータを流し込むことすらできない。
逆を言えば、印刷所やデザイナーなどが使うソフトウェアはとっても高額である。一般の人が使うには高い。もうひとつは、一般の人が使うにはちょっと知識が必要である。だから、手近なソフトでとりあえずなんとかしてみようと思うのだろう。

アナログな時代であれば、ユーザーの意向を拾える人がたくさんいた。印刷をしたければ印刷所に相談に行く。写真を引き延ばしたければ、写真屋さんに行って注文する。印刷所や写真屋さんのカウンターにいる親父さんが、いろいろと「どうしたいか」というのを聞く。どうしたいのかを明確に伝えることができれば、実作業はプロの職人さんの仕事である。
デジタル世代では、こういった「中間」にいる人がいなくなった。デジタル写真は撮影して自宅でプリントアウト、だからである。

結局我流でなんとかしたくなってしまうのかもしれない。 

2015年8月28日金曜日

熱意

今年の夏はとっても暑かった。しかしお仕事はしなくてはならない。

「エクセル方眼紙」の次につらいのは、「ワード」でレイアウトした冊子の組み直しである。
たいていエクセル方眼紙だと、ペラ、多くても2ー4ページ程度のものが多い。しかし、ワードプロセッサで組まれたものだと、もっとページ数が多いことがある。
ワード、というのはワードプロセッサで、レイアウトソフトではない。のだが、メーカーさんはいろいろと機能をモリモリに盛り込んでさまざまな作業ができるようにして、レイアウトっぽい作業ができるようにはなっている。ただし、使う人によってさまざまな使い方がある。

インデントを揃えるのに、「スペース」を打つのは茶飯事である。次のページまで送る時は、「改行キー」を連打している。
表が入っているのだが、本文上に「罫線」を引いている。
テキストは1ページにいくつかのテキストボックスが入り組んでいたりする。
こういう使い方もあったのかと、逆にときどき感心する。

困るのは、こういう持ち込みをした本人は、このように作りたいというよく言えば「熱意」、悪く言えば「頑固」である。

ページ数が多ければ、印刷所に持ち込めるレイアウトソフトのデータに組み直さなくてはならない。結局これも格闘することになる。 

2015年8月27日木曜日

変換

今年の夏はとっても暑かった。
あまりに暑いので、何もやる気がしない。だらだらである。

そうは言っても、お仕事はそれなりに来るものである。ありがたいことである。
ギャラが作業量相応か、といえば疑問な点もなくはない、と言えるのだが、少なくとも社会的な貢献をしている気分にはなるお仕事がやってくる。
基本的には、営業活動を積極的にしているわけではないので、知り合いからの紹介が多くなる。こちらの仕事の内容やペースはわかっている、ということが多い。

ただし、ときどき、こちらのテリトリーの「写真や映像」「グラフィックデザイン」などはあまりよく知らない、というケースがある。世間的には、こういった人の方がよほど多いと思われるのだが、今や国民的コンピュータ使用な時代である。ワードプロセッサでぽちぽちと文字を打ち込み、画像を配置すれば、それらしいプリントが仕上がってくる。最終的に印刷にあたり手直しして、印刷所指定のファイルデータに変換して、という話が1年に2、3度やってくる。同居人経由で学校関係者が多い。
基本的にレイアウトデータの「データ変換」は、あまりやらない。印刷所指定のソフトとフォントを使ってデータを作成するからである。
しかし、もらったデータを見てのけぞることがある。

一番大変なのは、「エクセル方眼紙」である。作成した本人しかルールがわからない。インターネットでフォントをダウンロードして使っているらしく、macでは再現できない。本文テキストがブツ切れで、再構成しにくい。結局、データ分析、似たようなフォント探し、本文の組み直し、もちろん画像の処理も全くやっていないので、こちらの作業である。

アナログ時代には、原稿用紙に原稿、写真とイラストは実物もしくはプリントで集めるしかなかった。写植で文字組したり、切り貼りしたり、製版指定を出したり、という作業が必要だが、それはデザイナーさんのお仕事である。

しかしまあ、「エクセル方眼紙」起こしは、それよりもはるかに複雑で煩雑な作業である。 

2015年8月26日水曜日

送信

授業が終わって8月、先生の夏休みの宿題といえば、採点、である。

同居人の方の出席とテスト、レポートなんかの素点をざっくり表にして、合計点を出す。
そのあとは、同居人が表をにらんで、最終的な素点を出す。
素点は大学のサーバーに送信、というのが最近の大学内ITの作業内容である。

以前は手書きの点数表を書き留めで送る、という作戦だった。これはこれで「儀式」ではあるのだが、大学のサーバーに接続してデータとして点数を送るのは、IT時代としては便利な面もあるのだろう。
手書きの時代は、書き写しのミスなんかがあったりして、人海戦術でひたすらミスをつぶしていたものである。今や、ボタン一発。らくちんである。
…はずなのだが、大学のサーバーに接続するまでが大変である。もちろんセキュリティーの管理も厳しいので、二重三重にパスワードが必要だ。4月の着任時に大学の教務課の受付で、自分で設定したはずなのに、覚えていない。なぜかといえば、「セキュリティー確保のため、パスワードを書き控えないように」と言われたからだそうである。しかも覚えやすいのはダメ、類推されそうなのはダメ、といくつかの条件がある。しかも使うのは入点の作業時のただ1回だけ、数ヶ月後である。
やっぱり覚えていないので、結局大学の教務課とサーバー管理者に何度もパスワードを問い合わせたりしていた。


不便なITである。 

2015年8月25日火曜日

結果

同居人の大学の方は7月末が学期末、授業終了だった。

最近の講義科目は、1学期内完結方式のようで、概ね15回ほどが1クール、という感じである。
私の頃は1年間26回が基準だったので、その半分である。中だるみせずに済むかもしれないと思う反面、がっつり内容のあるものなら、物足りない感じもする。

同居人の今年の講義は登録が90前後と、以前に比べるとずいぶん減った。担当し始めた当初は200人近くいたので、ほぼ半分程度である。ひとつは「出席はがっちり、抜き打ちテスト2回、その他に授業内机上レポート2回、テスト期間内の試験なし」が行き渡り、一方でウラ番組というか選択肢である授業がいくつか増えた、というところである。名簿を見ると、2年生以上の受講者が激減している。2年生では学生生活が楽しくなり、夏休みや学園祭のドロップアウト、3年生の「自分の制作が忙しくなる」、4年生の「就職活動」「教育実習」「介護実習」による公欠と「卒業制作」の方が切羽つまってくる、という事情がある。公欠では、出席は確保できても授業の内容が確保できるわけではなく、抜き打ちテストや机上レポートに対処できないからだ。

そのせいかどうかわからないが、受講生の8割以上は1年生である。昨今の大学生は現役合格が多いので、高校生の延長であり、「真面目」かどうかはともかく、とりあえず「教室にはやってくる」習性がある。

集計してみると、出席日数でアウトなのは、4〜5名程度、授業中に「居た」かもしれないが授業を「聞いていない」ので出席はまあクリアだがテストやレポートはさんざんなので、明らかに無理、というのが2-3名。したがってドロップアウトが1割未満、当たって砕けろとか、とりあえず登録してあわよくば単位がもらえるかもしれない、という選択傾向が減ったので、授業の計画と進行はスムーズにいった年だったようだ。