2019年5月25日土曜日

歴史

先日の自動車暴走事故のことが、よく話題に上る。たまたま同居人が車好きで、車好きの友人やら整備工場やらで話題になったりするからだろう。ブレーキペダルが戻らない、とアメリカで騒がれたが、フロアマットが入り込んだ、などということで片がついた車種でもある。運転者が高齢と言うこともあって、同居人の父親のことを思い出した。
同居人の父親も車好き、母親もよく運転していたそうだ。私が出会った頃は、母親の方は既に70過ぎで、運転は止めることにしたとのことで、息子たちを気軽に運転手として呼びつけていた。仕事が、などと返事しようものなら、「誰のおかげで大きくなったと思っているのか」と小言が始まる。母は強かった。
父親の方は、80近くでも運転を続けていて、息子たちは「危なっかしいから止めろよー」と言っていた。こういう言い方をすると反発して止めない、の見本のようなやりとりだ。同乗して、「ほらほらあぶない」などと言おうものなら、「俺は50年運転しているのだ」と言っていた。いやいや、だから危ないのであるが、本人は「キャリア」だと信じていた。その後、脊椎狭窄で足が不自由になったものの、運転は諦める気はさらさらなかった。しかし、やはり足が運転操作では肝心なので心許ない。病気診断後、杖をつかなくてはならなくなった時に、同居人が早速手配したのは、車の改造だった。両足を使わなくても操作できるように、手元にアクセルとブレーキのレバーを増設、福祉車両改造専門業者に特注である。執念だ。結局その頃免許を取得した孫の一人が、近所住まいで呼びつけやすかったこともあり、運転手で駆り出されていて、本人が運転する回数はかなり減っていたのだが。ともあれ、自分が運転できる自動車を保有しているだけでも、本人としてはある程度気が済んでたのではないかと思う。かれこれ15年ほど前の話だ。

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