2018年12月28日金曜日

年末

ようよう、年末の仕事も一段落である。先生が走るから師走、というらしいのだが、先生は3月の年度末の方が、走っているような気がする。
学校に勤務していると、年末と年度末があるので、なんだか不思議な気分である。面倒だったのは、手帖の入れ替えだった。以前は、後期の授業は1月までだった。1月初めは2週休み、2週授業、1週が期末試験、というようなスケジュールだった。1月始まりの手帖だと、4月に始まった年度末、1月から3月までの行事を書き込める翌年の予定表がない。微妙だなあ—と思っていたのだが、4月始まりの手帖ができたり、デジタルデータにするようになってから、ずいぶん楽になった。人生はシームレス、である。
通信教育課程の方はこれからが忙しい。1月末がレポート課題の年度内締め切りなので、たいがいそこに向かって提出が増えてくる。自分としても身に覚えがあるので、偉そうなことは言えないが、締め切り間際、ギリギリにしてしまう癖の人は多いものである。得てして、ギリギリというのは、いろいろと不手際があったりすることも多い。焦ることは、よろしくない、ことの見本みたいなものがよく出てくるのも、年明けである。
そんなことを思いながら、来年度の授業の傾向と対策、ネタ集めなど、少し始めなくてはと思う、暮れである。

2018年12月23日日曜日

ブラック

ここ数日のニュースに、教員の勤務時間の上限設定についての話題があった。
同居人が小学校の教員をやっていたので、長時間かつ変則的な時間で勤務している実態は眺めていた。
https://tcd5m.blogspot.com/2017/05/
以前は、教員は「稼ぎが良い」部類の職業だった。定年まで勤め上げれば、退職金と年金で悠々自適、といったイメージがあった。だから我慢して時間外労働、という向きもあったかもしれない。今はどう見ても「ブラック企業」である。教員という人種が、自分で自分の仕事を増やす、という傾向のある人が多いとも思うが。
解決策が「勤務時間」と考えるのは、現場を知らないのではないかとよく思う。小学校の授業は45分くらいが一コマ、休み時間も授業の準備があったり、給食時間も子どもと一緒だったりで、「休憩」がない。放課後のクラブや委員会、保護者との面談、報告書を書き、翌日の授業のプリントの準備をしたら、既に夜である。勤務時間を「減らす」ことが解決策にはならないだろう、というのは現場を見ていればすぐに分かる。学校にいられなければ、隠れ残業をしたり、お持ち帰りの宿題になったりするだけだ。どこにしわ寄せが行くか、といえば、子どもに向かうだけだからだ。
教員数を増やす、という対策もよく見かける。これも案外解決策にはならないような気もする。学校卒業後いきなり教員になってしまう「先生」は、いろいろな意味で実務経験がないから、「使えない」と思うことがよくあった。むしろ業務のタスク分けと、それに見合うプロフェッショナルの配置だろう、と新聞を読みながら考える。授業で言えば、「教員」よりも、秘書やアシスタントといったイメージである。出席簿やテストの点数の集計などの事務作業、プリントや授業教材の準備などの実務作業、機器の扱いなどのアシスタントエンジニアやインストラクターといったイメージだ。もちろん、クラブや委員会などの授業外の専門的な指導は、別のスタッフでチームを組む。もっとさまざまな人が教育現場に出入りすることで見えてくるものがたくさんあるような気がする。問題は、現場の先生がチームでプロジェクトをやったことのある人がどの程度いるか、ということかもしれない。仕事を抱え込む先生が多いように思えるからだ。結局現場の働き方ではなく、教員養成から考えるべき問題なのかもしれない。

2018年12月19日水曜日

年末

さて、昨年同様、10月いっぱいで、通学課程の授業はほぼ一段落した。11月終わりには採点作業もほぼ終了、今年も大きな怪我やポカもなく、無事に終わった、と思うことにしている。
振り返って多かったのは、1年生のドロップアウトだった。10月の授業は、担当学科以外の専攻学生を見るのだが、こちらも授業に来る前に2名が既にドロップアウト、つまり全学的にドロップアウトが多かったのではないかと推察される。
2年生の担当授業には保留が1名、こちらは出席状況がよろしくなく、通常であれば文句なく対象外というところなのだが、担当教授が進級させたがっているという話で、一応ペンディングにしてある。
勤務校では、このようなケースは、学生の専攻学科研究室がフォローしている。学生に連絡をとり、出席を促したり、学生相談室へ行かせたり、といった案配だ。生活指導を含めた対応が、大学としてどうなのか、とよく考える。まあこれも時代の趨勢というものかもしれないが。
生活指導が必要な学生が増えた印象があるということは、学生さんが幼く見える、ということでもある。こちらがトシをとった、というだけではないような気もする。幼く見える、というのは、なべて真面目で、言うことを聞くからだ。外れたことはあまりやらないので、授業の進行があまり外れない。逆を言えば、とんがった学生が少なくなったので、蓋を開けてびっくり、というタイプの学生は見かけなくなった。
授業自体は、受講している学生さんの「傾向と対策」で出来ているようなものだ。相手の出方を見ながら、細かい修正をして、ゴールを目指す。トシをとったら、経験値が増えるので、その分振り幅が大きくても応用が利く。トシをとって良かった、と思うこともたまにはある。