今年のサクラは、咲くのも満開になるのも散るのも、早かった。
日本的、と言われて久しい風景だし、それを見に来る外国人の観光客も多くなった。
たいがいの木はソメイヨシノという種類である。実生ではなく接ぎ木で育て、同じ遺伝子を持つ「クローン」だと言われている。さもありなん、だからこそ一斉に花が咲くわけだ。
母の実家の墓には、ソメイヨシノの大きな木があった。墓地は染井なので、それこそ染井のサクラである。墓を建てたのは明治の半ば頃、大正末期に建てた墓の横に植えたようだ。というのは、私が行くようになった1980年頃には、墓の下に根が入り込み、墓石の下の石がかなり傾いていたからだ。その10年頃後には、大きく張った枝の半分ほどが立ち枯れてきた。嵐で折れて落ちては大変、と植木屋にかなり枝を下ろしてもらった。かなりしょぼい姿になってしまい、木のイメージがかなり変わってしまった。その10年後には、ほぼ枯れてしまったのを機会に、傾いた墓石も整理した。長生きしない木だと、残念に思ったが、それをきっかけに身辺整理にはなったかもしれない。
現在住んでいるところの近所に、大きな寺がある。バス通りに面して大きなサクラとカエデが植えられていて、春はサクラ、秋は紅葉のトンネルのような景観だった。久し振りに通ったら、どちらもごっそりと切り倒されていた。倒木の恐れがあり、と看板にあった。今年はぽっかりと空が大きく見える通りになった。
2018年4月3日火曜日
2018年4月2日月曜日
落とし前
年度末ネタでよく出るのは、なんとかして単位をもらう作戦である。
就職が決まっているんです、卒業しなくてはならないのです、などと泣き落とす、というのはよく聞く話である。30-40年前ならいざ知らず、いまどきそんな手が通用するのは、勤務校あたりではあまり聞かない。最近の大学の教務課は、そこのあたりチェックが厳しい。
同居人の大学時代は、紛争時である。大学の授業そのものがボイコットされていたり、学内には入れなかったりなどして、授業そのものが、あったのだかなかったのだかよく分からない、と言う時代である。
それでもやっぱり卒業所要単位というのはあって、事務方はきちんと管理をしていた。いまどきの学校だと、卒業間際に「単位が足りない」と事務方から連絡が来るのかもしれないが、その時分は自分で管理をしなくてはならない。日頃の行いを省みて、事務方に取得単位を問い合わせる。やっぱり足りなさそうだという学生さんは、追加試験や追加レポートなど担当教員に談判しに行く。
先生のお宅で住み込み書生生活とか、かなりハードな事務所の手伝いとか、いくつも担当されていた講義授業資料のまとめとか、そういったことで単位にしてくれた、という話もあったらしい。のんびりした時代である。
就職が決まっているんです、卒業しなくてはならないのです、などと泣き落とす、というのはよく聞く話である。30-40年前ならいざ知らず、いまどきそんな手が通用するのは、勤務校あたりではあまり聞かない。最近の大学の教務課は、そこのあたりチェックが厳しい。
同居人の大学時代は、紛争時である。大学の授業そのものがボイコットされていたり、学内には入れなかったりなどして、授業そのものが、あったのだかなかったのだかよく分からない、と言う時代である。
それでもやっぱり卒業所要単位というのはあって、事務方はきちんと管理をしていた。いまどきの学校だと、卒業間際に「単位が足りない」と事務方から連絡が来るのかもしれないが、その時分は自分で管理をしなくてはならない。日頃の行いを省みて、事務方に取得単位を問い合わせる。やっぱり足りなさそうだという学生さんは、追加試験や追加レポートなど担当教員に談判しに行く。
先生のお宅で住み込み書生生活とか、かなりハードな事務所の手伝いとか、いくつも担当されていた講義授業資料のまとめとか、そういったことで単位にしてくれた、という話もあったらしい。のんびりした時代である。
2018年4月1日日曜日
延期
年度末ネタでよく出るのは、就職が卒業ではない、というものだ。
私が助手だった頃は、バブルな時期で、就職活動も早々に内定がたくさん出ていた。思わず、こんな学生があんな大企業に!、というケースもあって、研究室スタッフで、真剣に大丈夫かなどと心配した。遅刻の常習者で、授業中は居眠りか、タバコを吸うために廊下にいることが多く、課題もたいてい締め切り間際に提出、つまりいつもは締め切り後に駆け込み提出でごり押し、という学生だ。会社勤めに向いているようには思えない。その頃の企業内定は秋の初めに出ていた。後期になって、当該の学生は「どんなもんだい」状態である。就職が決まって余裕を決め、授業に出ずに趣味のバンド活動にいそしんでいた。4年だから、最後の実技は卒業制作である。こちらも締め切りすれすれ、お世辞にも優秀作、とは言えない。まあ就職が決まっているから、なんとか出してやるか、という教員の温情で最低点で滑り込みセーフである。まあ社会人になったら、生活も変わるから、真面目な会社人間になるかも、などと話していた。
卒業判定会議で判明したのは、彼が卒業所要単位を満たしていないことだった。研究室では実技授業を見ているが、一般教養や外国語の取得状況は把握していない。研究室では慌てて、学生に連絡をした。ところが全く連絡がつかない。携帯電話やインターネットのない時代である。実家の家族には「卒業旅行に行く」と言って、出かけたままだそうだった。友人の誰も、どこにどれくらい旅行に行くのか知らなかった。どうやらヨーロッパあたりに行こうかという話をしたらしい、というところくらいまではわかった。そうなると全く連絡がつかない、というわけだ。
卒業式に、彼は意気揚々とやってきた。ヨーロッパ帰りらしく、ゴロワーズの両切りをくわえている。友人と旅行の話で盛り上がっている。そこで、彼は自分の名前が卒業者名簿にないのを知った。そこで帰るのかと思ったら、ちゃっかり卒業式には列席し、謝恩会には出て、明け方まで飲み歩いたらしい。大企業という就職先は、そこのあたりチェックが厳しい。就職はキャンセルになってしまった。
4月に入ってから、何度か彼を構内で見かけた。卒業延期になって、講義を取り直していたらしい。翌年の卒業式にもやってきた。
私が助手だった頃は、バブルな時期で、就職活動も早々に内定がたくさん出ていた。思わず、こんな学生があんな大企業に!、というケースもあって、研究室スタッフで、真剣に大丈夫かなどと心配した。遅刻の常習者で、授業中は居眠りか、タバコを吸うために廊下にいることが多く、課題もたいてい締め切り間際に提出、つまりいつもは締め切り後に駆け込み提出でごり押し、という学生だ。会社勤めに向いているようには思えない。その頃の企業内定は秋の初めに出ていた。後期になって、当該の学生は「どんなもんだい」状態である。就職が決まって余裕を決め、授業に出ずに趣味のバンド活動にいそしんでいた。4年だから、最後の実技は卒業制作である。こちらも締め切りすれすれ、お世辞にも優秀作、とは言えない。まあ就職が決まっているから、なんとか出してやるか、という教員の温情で最低点で滑り込みセーフである。まあ社会人になったら、生活も変わるから、真面目な会社人間になるかも、などと話していた。
卒業判定会議で判明したのは、彼が卒業所要単位を満たしていないことだった。研究室では実技授業を見ているが、一般教養や外国語の取得状況は把握していない。研究室では慌てて、学生に連絡をした。ところが全く連絡がつかない。携帯電話やインターネットのない時代である。実家の家族には「卒業旅行に行く」と言って、出かけたままだそうだった。友人の誰も、どこにどれくらい旅行に行くのか知らなかった。どうやらヨーロッパあたりに行こうかという話をしたらしい、というところくらいまではわかった。そうなると全く連絡がつかない、というわけだ。
卒業式に、彼は意気揚々とやってきた。ヨーロッパ帰りらしく、ゴロワーズの両切りをくわえている。友人と旅行の話で盛り上がっている。そこで、彼は自分の名前が卒業者名簿にないのを知った。そこで帰るのかと思ったら、ちゃっかり卒業式には列席し、謝恩会には出て、明け方まで飲み歩いたらしい。大企業という就職先は、そこのあたりチェックが厳しい。就職はキャンセルになってしまった。
4月に入ってから、何度か彼を構内で見かけた。卒業延期になって、講義を取り直していたらしい。翌年の卒業式にもやってきた。
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