2015年9月29日火曜日

ラッシュ

引っ越してきた頃は、ずいぶんと雑木林の残る地域だった。東京都と埼玉県の県境、というエリアである。特に交通不便というわけではなく、開発不能か、といえばそうでもない。県境、ということもあって病院が集まっている。母親の時代は、サナトリウムがあったし、今でもハンセン氏病の療養施設がある。つい数年前までは、小児病院があり、このあたりのエリアは「病院銀座」である。
こういった地域では開発のスピードが緩やかになるので、今でも畑が多い。
しかし、ここ数年、近所の雑木林が激減しているような気がする。

近所の女子大学のキャンパス内の林は、数ヶ月でサッカーコートになった。女子サッカーで有名な学校らしい。
自宅近くの林は、あっという間に更地になって、建築資材置き場になった。イントレが山のように積んである。
畑に今年はニンジンが蒔かれていないなあと思ったら、雑草が大きくなり、ある日シャベルカーが入って整地し、小さなお家が何件も建てられ、建売住宅ののぼりが立っていた。
勤務校も同様だが、大学の設備投資の熱心さ、世代交代を見ながら、建築ラッシュな今日この頃を感じる。

10年後も、同じように「建築」が続くのだろうか。その熱が過ぎても、林は戻らないような気がする。 

2015年9月28日月曜日

サービス

通り道にある蕎麦屋が廃業した。まあ普通の、たぶん出前がメインの小さな蕎麦屋である。
しばらく誰も出入りしていない風情だったが、ある日建物が解体された。木造2階建、あまり大きな建物ではなかったので、あっという間に更地になった。
しばらく空き地なのかと思ったら、雑草の生える間もなく、すぐに測量が入り、アスファルトが敷かれ、白い線で四角い枠が引かれた。駐車場である。半分は時間貸し、半分は月極、という様相である。

そんな、駐車場の月極コーナーに、同じ車種で色違いのワンボックスカーが3〜4台並ぶようになった。色見本、というわけではなく、同じロゴが車体に入っている。「放課後学童デイサービス にぎやか」。
後半はシニアなネーミングだが、前半は「民間学童保育」風、である。

子供にとっては「小1プロブレム」というのがあるそうだが、母親にとっても小学校というのは大変なのだそうだ。保育園では午後6時まで預かってもらえたのに、小学校1年生は昼過ぎには帰宅する。小学校の学童保育は空きが少なかったり、通っている小学校には設置されていなかったり。で、小学校入学を機会に会社勤めを辞めた、というのが知人にいた。

まあ、そういったニーズに応える民間業なのだろう。「にぎやか」さんは、ワンボックスカーで送迎付きというサービスなのかもしれない。お子様向けではなく、保護者向けの「サービス」であることが気にはなるが。

2015年9月9日水曜日

心配

新学期の初日を忘れた、などというのは、後になってみれば笑い話である。
中には、怪我をした、大病をした、入院中だ、実家が破産した、学費が払えなくて夜逃げした、などということもあった。だから、初日に来ない、というのは、少し心配なのである。

現在は勤務校もIT時代で、学校からの諸連絡がメール配信されるようになった。担当の研究室では全学生に「授業初日は何月何日デス。お忘れなく」という旨のメールを流しているらしい。
さすがに非常勤であっても教員の方には流してくれない。おかげでこちらは今も昔も、初日を忘れないかひやひやしているのである。 

2015年9月8日火曜日

永遠

さて、本年の新学期は1日始まりである。

小学校ではないので、学事予定表は年度始めに配るだけ、夏休み前の終業式も、夏休み中の登校日もない。自分で年間のスケジュールは管理せねばならない。

以前は、夏休みが明けても学校に来ない学生が、ちらほらいた。
オリエンテーションや履修登録などがあるので、大丈夫かなと思いながら、当日の業務終了。駅に向かうと改札口で当人とすれ違う。「あれ、こんにちはー」などと明るく挨拶される。病気じゃなかったんだと確認すると、「ぜーんぜん、元気ですよー」。今日は何していたのかと聞けば、バイト、と答える。こういう「新学期初日を忘れる」タイプがときどきいる。

夏休みが楽しくて、永遠に続けばいいなあと、暗に思っているのかもしれない。 

2015年9月6日日曜日

試験休み

二学期の期末試験が終われば試験休みである。

公立に進学した隣近所の友人が、新学期の始まりを楽しんでいる頃、こちらは「おやすみ」になる。夏休みを取り戻すほどの長期ではないにせよ、観光客のいなくなった海岸や、夏休みの子供が全くいない映画館など、ちょっと「平日おさぼり」な気分である。

考えてみると、三学期制だと、のべつ試験があるような気がする。ほぼ1ヶ月おきに試験がある、という計算だ。一方で、二学期制だと試験は少ないが試験範囲が大きくなる。成績落下のダメージは、試験の回数が少ないとリベンジしにくいような気がする。

どちらが良いのかは、生徒によってそれぞれだろう。ただ、二学期制の名残なのか、自分の中では夏休みに思いっきり「遊ぶ」ことに、ちょっと罪悪感を今でも感じてしまう。 

2015年9月5日土曜日

学期の始まり

8月の終わりに急に涼しくなってしまい、夏の終わりの名残惜しさなど感じる前に、室内に干されている洗濯物の多さに、ちょっと調子の狂ってしまう9月の初めである。

勤務校は1日が新学期である。なんと、小学校の新学期と同じなのかと思っていたら、都内の小学校では25日始まり、というところがあった。そういえば、横浜に住んでいる甥っ子の学校もそうであった。
「二学期制」である。

三学期制だと、長期休暇が区切りになる。終業式に通信簿をもらって休暇に入る、というスタイルである。私は中学校から私学に入ったのだが、そちらは二学期制であった。
一番違うのは「夏休みに遊べない」ことである。学期半ばには中間試験、学期末には期末試験がある。前期だと、中間試験が6月、期末試験が9月。だから、中間試験後、期末試験までの授業日数が少ない。しかし、試験範囲がその間だけ、というわけではなく、4月から9月までの授業内容が期末試験には盛り込まれる。夏休みは、4月からの復習、中間試験の挽回に励まねばならない。宿題、というのはあまり記憶にないが、ひたすら復習、というのがトラウマである。その頃の学習といえば、有無を言わさず「丸暗記」である。先生御用達の教科書の虎の巻「赤本」を書店でお取り寄せ購入、教科書の解説を、暑い中、ひたすら暗記するのが、「学習」である。

今考えると、学習としては「不毛」なもののように思える。試験のために暗記しているのであって、試験が終われば暗記内容は「用がない」。忘れるものの方が多いだろう。そういえばそんなことも覚えたかな、というのが「記憶」である。年を経た今、本をまるまる1冊暗記などという芸当はできないので、若さゆえの学習方法ではあるのだろうが。